タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

「ハリケーンの季節」フェルナンダ・メルチョール/宇野和美訳/早川書房-事件を複数の視点で描くことであぶり出される貧困、暴力、ドラッグの闇深さ。暗闇の中に引きずり込まれるような作品

 

 

2021年9月に「今読みたい!スペイン語圏の女性作家たち-フェミニズムマジックリアリズム? それとも…?-」と題して開催されたイベントに参加しました(イベントの模様はこちらの記事で読むことができます)。

www.365bookdays.jp

当時は、グアダルーペ・ネッテル「赤い魚の夫婦」が刊行されて話題になっていましたが、翻訳出版される海外文学作品は英米が主体であり、韓国文学がブームとなって翻訳刊行数を増やしつつある中で、スペイン語文学の翻訳刊行数はまだまだ少ないという状況でした。

イベントの中では、スペイン語圏(スペイン、メキシコ、アルゼンチンなど)で注目され、全米図書賞にノミネートされるなど世界的な広がりを見せつつある女性作家たちの作品が紹介されていました。紹介された作品からは、ピラール・キンタナ「雌犬」(村岡直子訳/国書刊行会)セルバ・アルマダ「吹きさらう風」(宇野和美訳/松籟社)(イベント時の仮タイトルは「吹きすさぶ風」)が2022年に翻訳刊行され、その他エルビラ・ナバロ「兎の島」(宮崎真紀訳/国書刊行会)から始まった『スパニッシュ・ホラー叢書』も2023年に第2弾となるマリアーナ・エンリケス「寝煙草の危険」(宮崎真紀訳/国書刊行会)が刊行されました。イベント以降、スペイン文学の翻訳が少しずつ増えてきているように思います。

フェルナンダ・メルチョール「ハリケーンの季節」もイベントの中で注目の作家、作品として紹介されていたものです。2023年に翻訳刊行予定として紹介されていました。

物語は、メキシコの村を舞台に描かれます。村という狭小なコミュニティの閉塞感や貧困、ドラッグ、家庭内暴力といった重いテーマで描かれていて、各章ごとに主体となる人物が異なる構成も独特ですし、会話も地の文も混在する形で一切の改行もなく1章分の文章が書かれているという構造も特長的な作品となっています。

村の人から〈魔女〉と呼ばれていた人物が死体で発見される場面から物語は始まります。〈魔女〉は、鉄格子のある家にこもり、困窮する女たちに救いの手を差し伸べ、様々な薬を調合して与えたり、堕胎の世話をしていました。誰も〈魔女〉の名前は知らず、その生活ぶりも謎に満ちており、村の女たちを助ける一方で恐れられる存在でもありました。本書では、事件に関わったり、〈魔女〉と関わった人物たちの物語が各章で視点を変えて語られていきます。

本書は、全8章で構成されています。第1章で〈魔女〉の死体が発見され、第2章では〈魔女〉の物語が語られます。第3章では、ジョセニアという女性の視点で事件の目撃談が語られ、第4章では、ムンラという男の視点で事件に関わったと思われる息子ルイスミや家族のことが語られ、第5章ではルイスミに拾われた少女ノルマの複雑な家庭事情が語られます。第6章では、〈魔女〉殺しの罪で捕まったブランドの視点で事件のこと、事件に至るまでの経緯、〈魔女〉の真実が語られ、第7章では〈魔女〉がいなくなった後の物語、第8章では遺体安置所での物語が語られ、「ハリケーンの季節」は幕を下ろします。

物語の中で主体的な役割を与えられる登場人物は5人です。〈魔女〉、ジョセニア、ムンラ、ノルマ、ブランド。物語の中心にいるのは〈魔女〉になりますが、その他の登場人物たちもそれぞれに繋がっています。その関係性を踏まえながら読んでいくことで、それぞれの視点から“〈魔女〉殺し”の実体、〈魔女〉という人物の実体、村を覆う貧困やドラッグ、暴力の連鎖の構造といった暗闇の部分がクローズアップされてくるのだと思います。読者は、物語を読み進めることで、その暗闇の深さに引きずり込まれそうになります。いや、実際に物語の中の暗闇に引きずり込まれてしまうかもしれません。

冒頭に紹介したイベントで登壇者の松本健二さんは本作について、

近頃珍しい読者を拒絶するタイプの作品だと思います。(中略)精緻にゆっくり読むのが好きな方に向いていると思います。実験小説的な作品で、この人の文体などを読むと、南米の女性作家、厚みがあるなあと思わされます。考えながら繰り返し読むという読み方ができる作品だと思います。

と評されていました。今回、翻訳刊行された本書を読んで、松本さんの言われていたことをようやく実感することができたと思います。正直、文体も含めて、決して読みやすい作品ではありません。テーマも暗いです。それでも、読むことで見えてくることがたくさんある作品だと思います。登場人物の相関関係を意識しながら繰り返し読むことで、最初に読んだときには気づかなかったことに気づくという読み方もできるのではないでしょうか。

この作品の翻訳にはどれほどの苦労があっただろうかと考えてしまいます。あとがきでは、本書を翻訳していることに対して、「チャレンジングだね」とスペイン語圏の友人から言われたと書かれていました。文体もそうですが、著者の故郷でもあるベラクルス地方の方言で書かれているところも翻訳をチャレンジングなものにする要因だったようです。

翻訳の難しさについてメルチョールは、翻訳によって失われるものはあるが、バランスを考えて近い言葉で伝えることで翻訳は可能、それによって他国の読者に作品が届くと語っている。そうであるよう、ただただ願っている。

訳者あとがきの締めくくりは、こう記されています。本書に限らず、翻訳者が様々に工夫をし、たくさんの苦労をして、我々読者に世界中の文学作品を届けてくれる。そのことに感謝をして、読んで楽しむことが苦労に報いることになるのだと信じて、これからも海外文学をたくさん読んでいこうと思います。