タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

「時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか?国会議員に聞いてみた」和田靜香/左右社-なぜ私たちはこれほどに生きづらいのか。少しでも疑問に感じたら国会議員に聞いてみよう!

 

 

政治に無関心でいられなくなった。いや、無関心でいてはいけないと思うようになったという方が正しいかもしれない。

きっかけはコロナだ。幸いにして私はコロナ禍でも比較的安定して仕事のある職業で、正社員として働けている。しかし、だからこそ世の中で困っている人たちに目を向けていかなければいけないと思う。

この本は、フリーライターとして活動する著者が、コロナ禍で自らが置かれた苦しい立場に疑問を感じ、この疑問の答えを求めて国会議員を訪ねて話を聞いた記録である。

フリーライターとして仕事をしているとは言っても、それだけで食べていくことはできず、コンビニやレストランなどさまざまなバイトを経験してきた和田さん。そのバイト代は常に最低賃金だった。そこへコロナがきた。非正規で働く多くの人、とりわけ女性が働く場所を失った。和田さんも例外ではなく、バイト先を解雇される。コロナ禍で人々が苦境に立つ中で、政府は何をしてくれたのか。アベノマスクという本人以外周囲の側近たちですらつけようとしないスカスカの布マスクを数百億円もかけて配り、苦境にいる国民への現金給付も渋々といった感じで10万円支給したがそれっきり。世界には国民にきちんと視線を向けて寄り添ってくれるリーダーがいるのに、なぜこの国のリーダーは、この国に暮らす人々の間に分断を作ろうとしているのか。

あらゆる疑問の答えを求めて、和田さんはひとりの国会議員を訪ねる。立憲民主党小川淳也さんだ。小川さんは2003年に総務省をやめて地元香川1区から当時の民主党候補として立候補。そのときは落選したが、2005年の総選挙で当選し、以降衆議院議員として5期をつとめている。小川さんのはじめての選挙から密着したドキュメンタリー映画「なぜ君は総理大臣になれないのか」(大島新監督)が2020年に公開されて話題になった。私も本書を読んで小川さんの真摯に問題と向き合う姿勢に好感を持ち、Netflixで配信されている映画をみた。その映画からも小川さんという人間が真っ当な人だということが伝わってきた。小川さんのような人だから、和田さんとも真剣に向き合って答えてくれたのだろうと思う。もし、和田さんが面会を求めた相手が自民党の議員だったら、これほど真剣に相手をしてくれただろうか。いや、そもそも会ってくれただろうか。

和田さんは小川さんに、自分が感じているさまざまな疑問、これまでに経験してきたことから感じた疑問をぶつけていく。感情がどうしても先に立ってしまう和田さんは、ときに激昂し、納得のゆく答えを求めて小川さんに詰め寄ったりする。だが、小川さんは感情的になる和田さんに理解を示しつつも、冷静に、そしてわかりやすい言葉で疑問に対する自分の考えを説明していく。

「政治家の説明責任」という言葉が壊れたテープレコーダーのように日々のニュースで繰り返される。統計データを偽装したり、公文書を改ざんしたり、友人に便宜を図ったとの疑いをかけられたり、利害関係者から利益供与を受けたとの疑惑をかけられたり、数え切れないほどの問題を次々と引き起こしても何ひとつとして説明せず、それでいてあたかも説明責任は果たしたかのように権力を誇示し続けるのが政治家だと思っていた。しかし、本書で和田さんと真剣に対峙している小川さんは違っていた。きちんと政治家として向き合い説明する責任を放棄していなかった。

和田さんが小川さんにぶつける疑問は、コロナ禍での苦しさばかりではない。少子高齢化の問題、税金の問題、社会保障や福祉の問題、環境問題、エネルギー問題、そして政治の問題。これまでそうした問題を私を含め多くの人は、漠然とは不安に感じつつも放置してきた。和田さんは必死に勉強をし、小川さんの言葉を理解しようと努力する。懇切丁寧に説明してくれる小川さんもすごいが、それに応えるために勉強する和田さんもすごいと思った。

ただ、本書にも書いてあるが、小川さんの考えが100%正しいわけではない。本書を読んで、むしろ小川さんに反感を抱く人は多いだろう。納得する人もいれば不満に思う人もいる。肯定する人もいれば否定する人もいる。考え方はひとりひとり違うのが当たり前で、そうした中で自分と考えが一番近い人を選ぶのが選挙なんだと思う。

本書を読んでいたときは、ちょうど自民党の総裁選挙が真っ盛りで、メディアは連日4人の総裁候補を追いかけ続けていた。そして、このレビューを書いているいま、新しい総理大臣のもと衆議院選挙が行われることが決まっている。その選挙では、よく考えて自分の一票を投じたい。その一票は決して無駄ではないと信じている。

「赤い魚の夫婦」ダアダルーペ・ネッテル/宇野和美訳/現代書館-魚、ゴキブリ、猫、菌類、そして蛇。生き物の存在が醸し出す不穏さや不気味さ、あるいはユーモア。メキシコの女性作家による珠玉の短編集。

 

 

「短編集だし、1日1篇くらいのペースで読んでいこう」、そう考えていたのだが、気づいたら一気に読んでしまっていた。そのくらい面白い。

グアダルーペ・ネッテル「赤い魚の夫婦」は、表題作を含む5篇が収録された短編集。著者はメキシコの女性作家で本書が日本初翻訳となる作家である。

表題作の「赤い魚の夫婦」は、ある夫婦の姿を妻側の語りで描くストーリー。妊娠、出産、育児と女性が社会でキャリアを継続していくことに対するハードルの高さなど、現代社会で誰もが感じている理不尽さが描かれる。そして、その理不尽さをある意味象徴しているのが夫婦が飼っているベラという観賞魚だ。出産育児という逃れられない日々の中で次第に崩れ行く夫婦の関係が、オスメスつがいで飼育されているベラの姿と絶妙に重なっていく構図が怖くもあり切なくもある。単なる女性の生き辛さを描いた作品とは違った世界が感じられる。

読んでいて一番、いろいろな意味で怖さを感じたのは「菌類」だった。「わたしが子どものころ、母の足の爪に菌がいた」という一文から始まる物語。母は自らに寄生するこの菌を嫌悪するが、わたしはなぜか菌を守ってやりたいと感じる。そして月日は流れ、成長したわたしは音楽家として世界で仕事をするようになり、結婚もして平穏に暮らしていた。そこに現れたラヴァルという男性。わたしはいつしかラヴァルと関係を持つようになる。

「菌類」は、お互いに家庭を持ちながら惹かれ合う男女の物語としてのストーリーを有しているが、そこに不穏な存在感を見せてくるのが菌である。冒頭で母親の足に寄生した菌(水虫のことか?)を「守ってやりたい」と感じたわたしは、ラヴァルとの関係の中で「守ってやりたい」という感情をこじらせていっているように思う。歪んだ愛情とでもいうのだろうか、終盤の異様な質感が読んでいてゾワゾワと胸奥をまさぐってくるような気分になる。

他にも、ゴキブリが出てくる「ゴミ箱の中の戦争」、猫が出てくる「牝猫」、蛇が出てくる「北京の蛇」と、どの作品にも人間のある種あたりまえにある日常や誰しもが経験しそうなことや感情を描く中で、生き物たちの存在が、ある場面では不穏さや不気味さを醸し出し、ある場面では象徴性を表している。「北京の蛇」は、蛇に託された父親の哀切に胸をグッと締めつけられるような気がした。

海外文学を読んでいると、世界には本当にたくさんの魅力的な作家がいるのだと感じる。グアダルーペ・ネッテルは本書が初翻訳作品になるが、訳者あとがきや著者略歴を読むと他にも面白そうな作品を発表している。ぜひ他の作品も読んでみたい。

 

「芝木好子小説集 新しい日々」芝木好子/書肆汽水域-物語の中に巧妙に仕込まれた本質が表出したときにゾワッとした気持ちになる珠玉の短編集

 

 

横田創「落としもの」多田尋子「体温」太田靖久「ののの」と注目すべき作品を毎年出版している書肆汽水域が、今年刊行したのは芝木好子の短編集だった。

芝木好子は、1914年生まれで1941年下期の芥川賞(第14回)を「青果の市」で受賞した作家。1991年に亡くなっていて今年(2021年)は没後30年にあたる。命日は8月25日で、本書「芝木好子小説集 新しい日々」の発行日も同じ8月25日になっている。

本書は、芝木好子が発表した短編のうち花にちなんだ作品を集めた小説集である。今回も書肆汽水域の北田博充さんからご献本をいただいた。ありがとうございます。

収録されているのは次の8篇。

新しい日々
脚光
白萩
晩秋
冬の梅
遠い青春
老妓の涙
十九歳

表題作の「新しい日々」は染色工房が舞台。工房の主人が百合という若い娘を連れて帰ってくるところから話が始まる。なにやら訳ありな様子ながら工房の仕事に興味をもって取り組む百合と、彼女の図案のデザインセンスに驚きそして女性としても好ましく感じている工房の息子夏雄、さらには職人の雄次という青年も登場し、話は男女の恋愛模様や家族との確執などに進展するかと思わせるが、ラストは意外なほどに、まるで穏やかに押し寄せてきた波がそのまま穏やかに引いていくように終焉を迎える。

こう書いてしまうと退屈な小説のように思われるかもしれないが、収録された小説のひとつひとつには、ちょっとした表現に怖さを感じさせる巧みさがある。

「脚光」は、ある建築家の家で家政婦として働く女性からみた家族の姿が描かれる。オペラのプリマドンナとしての栄光を諦められず、我が子も家庭も省みることなく性懲りもない夢を追い続けるおくさまを、家政婦は冷ややかにみつめている。おくさまが家を出ていったとき、彼女はこう感じる。

おくさまのいないこの家の生活は、私とは不似合いな、不調和な、無縁のものにすぎない。私にとってはおくさまの在ることが、私の生きるあかしであった。私は闘ったり、つくしたり、たのしんだり、心配したりした。私はそこに仮託して生きた張りのある日々を忘れないだろう。

この場面を読んだときにゾワッとした。それまでに読んできた物語の中に描かれてきたこと、そしてその深淵に巧妙に見え隠れしていたものが、ここで解き放たれたのだと感じた。

こうした巧妙に仕組まれた物語の本質が、ある場面でスッと姿を表してくる。8篇の小説たちには、必ずどこかにそういう巧妙さが仕込まれている。だからこそ、どの作品も読者はしっかりと向き合って読む必要があると感じた。

芥川賞作家という経歴を持ちながら、没後30年、失礼ながら存在が薄れていた作家芝木好子。私自身、書肆汽水域からこの「芝木好子小説集 新しい日々」が刊行されなければ、もしかしたらこの先もずっとこの作家の存在も作品の豊穣さも知らないままでいたかもしれない。

最後に本書の装幀の話。本書には4種類の装幀がある。オリーブ、コルク、ボルドー、インディゴ。瑞々しさを感じさせるものから、円熟の渋みを感じさせるものまで揃っている。「梅田 蔦屋書店」のWebサイトが一番じっくりと書影を確認できるので、ぜひアクセスして見てみてください。どれも素敵で手に取りたくなります。

store.tsite.jp

 

「“いのち”のすくいかた 捨てられた子犬、クウちゃんからのメッセージ」児玉小枝/集英社みらい文庫-“殺される命”を“救われる命”にするために私たちができることはなにかを考えるきっかけとなる本

 

 

環境省が公開している統計資料「犬・猫の引取り及び負傷動物等の収容並びに処分の状況」の最新データ(対象期間:2019年4月1日~2020年3月31日)によると、全国の動物愛護センターなどの行政施設に引き取られた犬猫の数は85,897匹(内訳は、犬:32,555匹、猫:53,342匹)に及び、そのうちの11,119匹は飼い主に返還され、41,948匹は別の飼い主に譲渡されているが、残りの32,743匹は殺処分されている。

www.env.go.jp

同じページに参考としてあがっている平成16年度の引き取り数が418,413匹でそのうちの394,799匹が殺処分となっているデータからみると20年弱で殺処分数は10分の1以下に激減していて、自治体の動物愛護センターや民間の保護団体の殺処分ゼロに向けた取り組みが成果をあげていると言えるが、それでも3万匹の犬猫が殺処分されているという現実に心が痛む。

「“いのち”のすくいかた 捨てられた子犬、クウちゃんからのメッセージ」は、生後2ヶ月で捨てられ収容施設に入れられた子犬が譲渡会を通じて新しい飼い主に家族として迎え入れられ、幸せを掴む姿を追ったドキュメンタリー。そして、クウちゃんのように新しい飼い主のもとへ引き取られる犬がいる一方で殺処分される犬や猫たちがいることも記されている。

環境省のデータに話を戻すと、施設に引き取られた犬猫たちの中で幼齢(まだ離乳していない子ども)の子犬、子猫の数は41,581匹あり、そのうち殺処分された数は19,227匹となっている。およそ半数の子犬、子猫が殺処分されているということになる。

本書でもまず、施設に引き取られた犬猫たちの多くが殺処分されているという現実が読者に示される。施設に収容された犬猫たちは、冷たい檻の中に閉じ込められ、飼い主が引き取りに来るか、新しい飼い主が見つからなければ殺処分になる。ガス室でもがき苦しみながら殺される。そんな運命をただ待つだけの犬猫たちの写真が、本書のページには並んでいる。春や秋の出産シーズンには、生まれたばかりの子犬や子猫を段ボールやキャリーバッグに入れた人たちが引き取りを求めて施設にやってくる。産まれても育てられない。譲渡先も探せない。すべて飼い主たちの都合だ。引き取られた子たちがたどるのが、殺処分という結末かもしれないということを考えてほしい。

ペットが子犬や子猫を産んでしまい、育てることも譲渡先も探すことができないのならば、親犬親猫が子どもを産まないように不妊手術をするなどの対応をすればいい。だが、施設に子犬や子猫を引き取らせようと考える飼い主にはそういうモラルも欠けている。「手術代がかかる」「手術を受けさせるのはかわいそう」などとできない理由を見つけて言い訳にする。

それでも、施設や民間団体の努力もあって、殺される命は少しずつ救われる命に変わっている。クウちゃんのように新しい家族に救われる命の数は少しずつ、だが確実に増えている。全国各地で殺処分ゼロを目指す活動が行われていて、確実に成果をあげている。

だけど、行政やボランティアの活動だけでは殺処分ゼロは実現できない。私たち飼い主も、ペットに適切な去勢手術や不妊手術をしたり、それができないのなら妊娠しないように気をつけるようにしなければいけない。そして、一番大切なのは預かった命は最期まで責任を持って面倒をみるということだ。犬や猫の寿命はだいたい15年~20年くらい。最近は医療やフードの質の向上などもあって長命の犬猫が増えている。15年後20年後まで責任を持って飼い続けるのが飼い主の義務だと思う。

新しい家族と暮らし始めたクウちゃんの様子も本書は伝えてくれている。幸せそうな家族の写真を見ると読者である私まで幸せな気分になれる。クウちゃんみたいに幸せな犬や猫がもっともっと増えてほしいと願う。

本書は、集英社みらい文庫から刊行されていて、すべての漢字にルビがふってあるので、ひらがなが読める子どもも読むことができる。ペットを飼いたいと思っている子どもたちがいたら、まずこの本を読んでみてほしい。もちろん大人も。そして、安易にペットショップで買うのではなく、譲渡会を通じて保護犬や保護猫を迎えるという選択肢も考えてみてほしい。

犬も猫も人間も、みんな幸せなのが一番です。

「カシタンカ」アントン・P・チェーホフ作、ナターリャ・デェミードヴァ絵/児島宏子訳/未知谷-読む人や読み方で解釈が分かれそうな作品。読みやすさの奥にある複雑な世界観

 

 

この若い赤毛の犬はダックスフントと野良犬の雑種で、キツネそっくりでした。

指物師のルイに飼われているキツネそっくりの雑種犬の名前は『カシタンカ』といいます。この物語は、ひょんなことから飼い主とはぐれてしまったカシタンカが見知らぬ男に拾われ、ネコやガチョウやブタたちと出会うお話です。

その日カシタンカは、お得意さんに出来上がった商品を届けるルイのあとについて街に出ました。道中ルイはところどころで居酒屋に立ち寄っては酒を飲み、カシタンカはおでかけの興奮ではしゃぎまわってはルイに叱られていました。

そんな中でカシタンカはルイとはぐれてしまいます。そのことに気づいたカシタンカは、飼い主の姿を探しますが、まったく見つかりません。カシタンカはどんどん不安になり、疲れ果ててしまいました。そこで出会ったのが見知らぬ人でした。

小柄で小太りな見知らぬ男に連れられて、カシタンカは彼の家に行きます。その人はカシタンカに食事を与え、眠る場所を用意してくれました。家には、カシタンカの他にガチョウとネコ、ブタがいました。見知らぬ人は動物たちに芸を仕込み、それをお客さんに見せる仕事をしていました。その練習風景がカシタンカの目線で語られていきます。

物語は、ときにユーモラスでありながら、場面場面で胸苦しさや悲しさを醸し出します。本当と飼い主であるルイとその息子フェージャとカシタンカの関係、見知らぬ人に救われたカシタンカが経験する驚き。カシタンカ自身の心の内を直接描いているというわけではありませんが、カシタンカの興奮や愛情、驚きや悲しみが感じられるように思えます。

物語のラストについては、カシタンカの視点で考えたとき、ルイとフェージャの視点で考えたとき、見知らぬ人の視点で考えたときで感じ取り方が変わってくると思います。どこに思い入れしても、それぞれに違ったエンディングを感じられる作品だと感じました。

表紙をはじめ作品に貴重な印象を与えてくれるのが、ナターリャ・デェミードヴァによる挿絵の数々です。ナターリャが描くカシタンカの姿の愛くるしさ、見知らぬ人の姿から漂う哀愁や苦悩は、作品の世界をより深く読者にイメージさせてくれます。セピアカラーの落ち着いた色合いの挿絵を見ているだけでも気持ちが落ち着いてくるように思います。

本書は、『はじめての海外文学vol.6』で、翻訳家の永田千奈さんが推薦している作品です。ロシア文学に馴染みのない人、ハードルが高いと思っている人にオススメしたい一冊だと思います。

「犬は愛情を食べて生きている」山田あかね/光文社-24時間365日を動物に捧げる“奇跡の獣医”太田快作の動物愛

 

 

「犬やネコのような伴侶動物は、寿命を長くしてほしいと思っていない。飼い主と一緒に幸せになりたいと思っている」

表紙カバーの折返しに書かれたこの言葉を著者は、太田快作の名言として紹介している。

太田快作とは誰か。多くの人が、「その人、誰?」という感じかもしれない。表紙で毛布にくるまれる犬を優しい微笑みで見つめる男性が太田快作なのだが、写真を見てもやはり「誰?」という感じだろう。

本書「犬は愛情を食べて生きている」は、太田快作という人物の生き方に迫ったノンフィクションである。

太田さんを語る上で外せないのが、彼が北里大学獣医学部在学中に立ち上げたサークル『犬部』だ。この『犬部』については、ノンフィクション作家片野ゆかが著書「犬部!」(2010年ポプラ社刊、2012年ポプラ社文庫)で紹介し、今年(2021年)映画化され公開された(映画「犬部!」公式サイト)。本書の著者は、映画の脚本とノベライズ本も担当している。

inubu-movie.jp

著者と太田快作との出会いも映画がきっかけだった。そして、取材の過程に知った彼の動物に対する強い愛情と動物の命を守るための行動力、情熱にすっかり参ってしまう。

彼の動物保護に対する行動力や情熱の強さは、私たちの想像をはるかに凌駕する。彼が開業する『ハナ動物病院』のスタッフが「太田先生は、365日、24時間を動物に捧げる人だから」と話すように、太田さんは動物のために生きているといっても過言ではない。獣医師として活動している人は全国にごまんといるが、太田さんのような人は稀有な存在だと思う。

彼の活動の根底にあるのが、どんな動物も殺さないという信念だ。北里大学獣医学部に入学し、それまで当たり前のように生体で行われていた外科実習を「僕は一匹も殺したくありません」と拒否し、大学に対して『動物実験代替法』の導入を要求するなど、時に強引とも思える行動力を示したのも、彼の信念があってのことだ。犬部も、彼の信念と行動力があって、それに共鳴した大学の仲間や後輩たちによって創設され運営されている。太田さんの猪突猛進さについていけないと離れていった仲間もいるだろうが、それでも太田さんは自分の信念を貫いてきた。

太田さんの最愛のパートナーとなった愛犬『花子』とのエピソードも胸に迫る。大学近くのアパートで暮らし始めた太田さんは、保健所に出向くと「ここにいる犬全部ください」と収容されている犬を全頭引き取りたい言い出す。保健所の職員は仰天しただろう。よくわからない若い男がやってきて、収容されている犬を全部引き取ると言うのだ。もちろん、そんな要求は叶わず、結局太田さんは1匹の子犬を引き取ることになる。それが表紙カバーの写真で太田さんに優しく見守られている『花子』だ。花子は太田さんにとってかけがいのないパートナーとなっていく。太田さんが開業した『ハナ動物病院』も、花子の名前からつけられている。花子は、2019年9月に18年半の天寿をまっとうして天国へ旅立つまで、常に太田さんの傍らで彼の活動を見守り、太田さんも花子を無限の愛情を捧げ続けた。

2019年に18歳6ヶ月で亡くなった花子は、我が家で飼っていたラムとまったく同じ年になる。ラムも2019年に18歳4ヶ月で亡くなった。本書を読むと、太田快作という人物のキャラクターが際立つが、私にとっては彼のすごさももちろん印象深いが花子の存在がラムの姿と重なって胸に沁みた。

コロナ禍でペットを飼う人が増えている。たくさんの犬猫たちが、新しい家族としてその家庭に迎え入れられ、たくさんの愛情を注がれて育てられている。冒頭に引用した太田さんの言葉にある「飼い主と一緒に幸せになりたいと思っている」ということを多くの飼い主たちにも胸に刻んでほしい。たくさんの愛情を注いであげれば、犬猫たちはきっとそれ以上の何かを飼い主に与えてくれるはずだ。今この社会に生きている犬猫とその飼い主たちに幸せな未来がありますように。

 

 

 

 

 

「死に山 世界一不気味な遭難事故〈ディアトロフ峠事件〉の真相」ドニー・アイカー/安原和見訳/河出書房新社-半世紀もの間、謎とされてきた遭難死事件。長く解明できなかった事件の真相に著者はたどり着けるのか?

 

 

「あなたの国には、未解決の謎はひとつもないのですか」

1959年、旧ソ連ウラル山脈で起きた不可解な遭難事故。遭難した大学生トレッキンググループのリーダーだったイーゴリー・ディアトロフの名前から〈ディアトロフ峠〉と呼ばれるようになる場所で、9人の若者たちがおよそありえない状況で死亡しているのが発見される。9人は全員テントから離れた場所で、衣服もほとんど身に着けず、靴も履かず、ある者は頭蓋骨に致命的な傷を負い、ひとりの遺体からは舌がなくなっていた。一部の遺体の着衣からは、高濃度の放射線も検出されていた。いったい9人はどういう状況で遭難したのか。なぜ、不可解で凄惨な状況で死亡したのか。

〈ディアトロフ峠事件〉からおよそ半世紀。アメリカ人ドキュメンタリー監督でもある著者ドニー・アイカーは、この不可解な遭難死事件に興味を持ち、謎の解明を試みる。その記録が本書「死に山 世界一不気味な遭難事故〈ディアトロフ峠事件〉の真相」である。

冒頭に引用したのは、著者がディアトロフ峠で遭難死した9人と途中まで行動をともにしながら、自身は体調の悪化で途中離脱し生還したユーリ・ユーディンから投げかけられた言葉だ。事件から半世紀の間、生き残りであるユーリや、遭難死した9人の家族たちは、さまざまな好奇の目にさらされ、心無い興味本位の取材などにさらされてきた。だが、誰も9人の遭難事故の本当の原因、死因を解明することはできなかった。著者がわざわざアメリカからやってきたことに「またか」という気分になったのかもしれない。

捜査当局が最終報告の中で「未知の不可抗力」によって9人が死亡したとしたことで、〈ディアトロフ峠事件〉は50年以上解明されない謎として認知されるようになった。そして、さまざまな憶測が飛び交ってきた。核実験の放射能に巻き込まれたという説。現地住民に襲われたという説。雪崩に巻き込まれたという説。脱獄囚に襲撃されたという説。しかし、どの説も決定的なものではなく、謎は一向に解明されることはなかった。

著者は、事件当時の資料や記録を丹念に調べ、関係者の話を聞き、実際に現地に足を運び同じ時期にグループの足取りを辿る検証調査も行って、事件の真相を探っていく。著者が事件の調査を行う2010年パートと、ディアトロフグループの足取りを記録し、遺体捜索、捜査の様子を記録する1959年パートが交互に記される形で構成されていて、グループの9人が悲劇に向かって進んでいく緊張感と著者が謎の解明に向かって進んでいく緊張感が相まって後半に進むほどに先が気になって読み進めてしまう。

ここからはネタバレになるので、未読の方は注意してほしい。

 

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