タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

「ルシッドドリーム」中島さなえ/講談社-「これは夢だ」と自覚して見る夢“ルシッド・ドリーム”でつながる4つの短編たち

 

 

“ルシッド・ドリーム”とは、自らで「これは夢だ」と自覚して見る夢のことであり、“明晰夢”とも言われる。本書は、そのルシッド・ドリームを題材とした様々な人間模様の描かれる連作短編集である。

八丁堀の駅近くで開催されるルシッド・ドリーム・スクール(LDS)。そこに集う人々を主人公とする4篇が収録された連作短編集である。それぞれの人生が巧みに連携し合ってひとつの物語になっている。

大学を卒業して鉄道会社に入社した小路は、乗務員試験に落ち続け、いまだに駅員として乗客からの理不尽なクレーム応対に明け暮れる生活を送っている。偶然受け取ったチラシでLDSを知り、ルシッド・ドリームの魅力に取りつかれた彼は、夢をコントロールすることに魅せられる。だが、同棲していた恋人を失ったことで初めて現実世界での彼女の存在の大きさに気づく(ゆらゆら)。

天才歌舞伎役者苑若の息子として幼い頃から舞台に立ってきた一之助は、中学生になって次第に舞台に立つことに疑問を感じるようになる。ヘヴィメタルに夢中になった彼は、ロックドラマーになりたいと考え始めるが、学校と歌舞伎の稽古、舞台をこなす毎日の中ではドラムの練習もままならい。思うようにいかないことに苛立つ一之助は、友人からルシッド・ドリームの話を聞き、せめて夢の中で夢をかなえようと、夢のコントロールを実践するが、そのことを父に知られ、激しく叱責されてしまう。喧嘩して家を飛び出した一之助だが、実は両親は自分のためにいろいろ考えてくれていたことや、父のことを誤解していたことを知り、意識が変わる(奈落の赤獅子)。

ネットの世界でしか自分を出すことができずリアル世界では誰とも交流できないひきこもりの由理は、オンラインゲームの世界でノアと名乗り絶大な人気を誇っていた。ノアは、“RYUKA”という恋人とのラブラブな毎日をブログで報告する。もちろんそれは由理の妄想であり、RYUKAは空想の産物だ。由理はLDSに通い、夢をコントロールする術を身につけると、夢の中で理想の恋人RYUKAとの生活を実現させる。しかし、近所の新築工事現場でRYUKAとそっくりの青年を見つけたことで、由理の中に迷いが生じ始める。由理は、リアル世界での恋愛を実現したいと青年に告白するが、そのことで自らのリアルを逆に突きつけられ、現実を知ってしまうのだった(Written by RYUKA)。

父に連れられて行った温泉宿でみたマジックに魅せられ、マジシャンになったファイアー高橋は、有名になり、多額のギャラを手に入れ、結婚をする。幸せと思われた生活だったが、彼自身の放蕩癖が災いして家庭は崩壊し、仕事も次第に減っていく。人生を完全に転げ落ち、老ホームレスになり下がった彼は、定期的にLDSの教室に通っていた。講義終了直前の15分間だけの参加なら受講料はとられない。彼は、いつもその時間になると教室に現れ、講師の姿を見つめる。講師は、彼の成長した息子だった。マジシャンは、息子にマジックを見せるという一世一代の舞台に立つことを決めるのだが……(折れた魔法の杖)。

4つの短編はそれぞれに主人公の人生を描きながら、どことなく相互につながっている。ルシッド・ドリームというあまり聞き覚えのない事柄を題材にして、ファンタジックな世界観を構築している構成は、どことなく著者の父中島らもの世界観に通じる部分もあるように思える。中でも、第4短編の「折れた魔法の杖」に描かれる父親としてのマジシャンの姿は、著者から見た父中島らもが投影されている部分があるのではないだろうか。

前作「いちにち8ミリの。」に続いて上梓された本書。前作の書評にも書いたかもしれないが、読者はどうしても中島らもと比較してしまうものだ。だが、前作、そして本作といずれも読者をしっかりととらえるだけの確固とした世界観が築かれていたように思う。“中島らもの娘”という冠が取れるにはまだ時間は必要かもしれないが、早晩それも取り払われる時が来るだろう。実は秘かに直木賞とか狙える逸材なのではないか、そんな気もしている。

 

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「放課後にシスター」中島さなえ/祥伝社-星海女学院の生徒たちに代々語り継がれる『シスター峰事件』とは?

 

 

中学生、高校生くらいの頃、学校に代々語り継がれてきた噂話があったという人は多いだろうか。夜中になると自殺した生徒の霊が出るといった怪談話もあれば、◯◯年の卒業生が在学中に先生と駆け落ちしたみたいな話もあるかもしれない。

「放課後にシスター」は、とあるミッション系の中高一貫女学校に代々受け継がれている『シスター峰』に関わる噂話の真相を探ろうとする物語だ。

星海女学院には30年以上にわたって語り継がれてきた噂話がある。それは、ひとりのシスターが突然に姿を消したという話だ。『シスター峰事件』と呼ばれる噂話は、代々で微妙に変化しながら受け継がれて、それぞれのストーリーができあがっている。真相ははっきりしていない。本書では、その噂話の真相を探ろうとする高校生たちが主人公となる。

『シスター峰事件』は、この学院に通う卒業生、在校生の間では知らぬもののない話だ。しかし、その真相は完全に藪の中であり、根も葉もない噂話としてそれぞれが好き勝手に話を作っているのが現状である。

かつて、この学院に在学していた『わたし』は、教師として再び学院に戻ることになる。そして、感謝祭前のあの日に先輩や後輩、友達と交わした『シスター峰の失踪事件にまつわる謎解き』のことを思い出す。好き勝手な噂話ばかりが飛び交うシスター峰の失踪だったが、わたしたちは次第にその真相に近づいていく。古い卒業アルバムで顔を黒く塗りつぶされていたシスター峰。なぜか歌われなくなったシスター峰の作った讃美歌。修道院の中で封印された部屋として存在していたシスター峰の居室とそこに残されていた謎のメモ。伊豆にある系列校の学院長がシスター峰の失踪について何かを知っているという話。そういった断片を少しずつ積み重ねて、わたしたちはシスター峰の事件の真相に行きあたる。

女子校というある種の閉鎖空間では様々な噂話が飛び交い、様々な解釈が飛び交う。そういう空気感が本書から感じられる。

シスター峰の存在そのものは、最後まで本書は明らかにしない。噂話から始まって、ある真相に行きつくまで、シスター峰の存在は誰かの口伝でのみ語られる対象でしかない。肝心の登場人物を実体として最後まで作中に登場させず、他の登場人物の証言でのみ浮き上がらせるという趣向の作品となっている。

シスター峰の存在は、物語のアクセントでしかなく、それほど重要なポジションではない。シスター峰を巡って繰り広げられる少女たちの言動や行動、それを後押しする好奇心、そして思春期特有の焦燥感が本書のポイントなのだと思う。

 

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「めんどくさい本屋」竹田信弥(本の種出版)-この『めんどくさい』にはいろいろな意味が込められている

 

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ときどき、「この人、いったいいつ寝てるんだろう?」と不思議に思う人がいる。竹田さんはそういう不思議な人の筆頭に位置している(私の中で)。

竹田さんは、赤坂にある『双子のライオン堂』という本屋の店主だ。本書「めんどくさい本屋」は、竹田さんの初の単著になる。「はじめに」で書かれているように、本書は本屋さんになるためのハウツー本ではない。竹田さんの一週間の生活。中学生の時の本との出会いから本屋を開くまでの話、会社員をしながら二足のわらじで本屋を続けていた頃の話。ひとりの本屋の店主が、どうやって本と出会い本屋を始め継続させてきたかが、実直に書かれている。

百年先にも本屋を残したい。
いつからか、そう思うようになっていた。

「双子のライオン堂宣言」の冒頭にはこう書かれている。双子のライオン堂を百年先にも残したい、ではなく本屋を百年先にも残したい、というところに竹田さんの「めんどくさい」ところが出ているな、と思う。もちろん、自分の店が百年先にも残っているのが理想なのだろうが、たとえ双子のライオン堂がなくなっていたとしても、『本屋』という存在は残っていてほしいと、竹田さんは真剣に考えている。そのために自分自身が、自分の店が、今そして未来にできることを考え続けている。

冒頭に書いたように、私は常々「この人、いったいいつ寝てるんだろう?」と思いながら双子のライオン堂のツイッターから流れてくるツイートをみている。「第0章 双子のライオン堂と店主の日常」では、ある一週間の店主の日常を記している。本屋を営みながらアルバイトを掛け持ちし、その合間を縫って神保町の『神田村』と呼ばれる取次店で仕入れをする。双子のライオン堂ではほぼ毎週のように読書会が開催されているから課題本も読むし、書評用の本も読んでいる。数年前からは出版業にも力を入れていて、年一回のペースで「しししし」という文芸誌を刊行している他、西島大介さんの本や室井光広さんの本も出版している。寝るひまどころか休むひまもないのでは、というくらい働いている。

これだけ精力的に動けるのは、竹田さんがこの状況を楽しんでいるからだと思う。しんどいときもあるとは思うが、それ以上に楽しいときが勝っているのだと思う。それは、本書を読んでいるとすごく伝わってくる。「めんどくさい!」といろいろなことを放り出したくなるときはないのだろうかと思うが、きっとそういう気持ちになることはなくて、この「めんどくさい」状況が楽しいのだろう。

私がこの本で、面白くて共感ポイントが多かったのは、「双子のライオン堂の読書会」と題する、お店に縁の深いメンバーによる「双子のライオン堂ってどんな店なの?」「店主ってどんな人なの?」を語り合う座談会だ。この座談会パートを読むためだけでも、この本を買う意味がある。(他のパートも面白いですよ)

田中佳祐さん、松井祐輔さん、中村圭佑さんに加えて店主の竹田さんによる座談会では、第三者からみた双子のライオン堂、第三者からみた店主の姿が伺える。メンバーが互いをよく知っているから、「店主は御本尊でマスコット」とか「100年続く本屋だから、みんな突っ込む」みたいな話がポンポン飛び出してくる。また、4人は文芸誌「しししし」編集メンバーでもあるので、そこにまつわるエピソードも興味深い。

座談会の中で松井さんがこんな話をしている。

松井 ライオン堂は、棚をつくり込まないじゃないですか。それはすげえなと思ってて。
(中略)
松井 毎日変わることによって、整えてるのは分かるんだけど、本屋的な、分類的な整理が示されていない。

私が一番共感したポイントはここだった。双子のライオン堂に行ったことがある人はわかると思うが、松井さんの言うようにライオン堂の棚はかなり雑然としている。本がとっちらかってるという意味ではない。どこにどんな本があるのかが予測不能なのだ。だから、店に行くと毎回じっくりと棚を見たくなるし、前回と違っているところを見つけると「そうきたか」とニヤけてしまう。決まった本を買いに行くというよりは、人の家の本棚をのぞきに行くみたいな感じだ。

だから何回も通いたくなるんだな、と思う。

新型コロナの影響で現在(2020年5月24日時点)で、双子のライオン堂は休業状態にある。でも、その間も竹田さんは精力的にいろいろなことを仕掛けてきている。オンライン書店「幻影書店街」を立ち上げ、6月にはオンライン上でZINEや同人誌を販売する「書物の変」も開催する。本屋もアルバイトも休業状態なのに、相変わらずいつ寝てるのかわからない笑

緊急事態宣言が解除され、休業要請や外出自粛要請が緩和されれば、近い内にお店も再開されるだろう。再開されたらお店に行って雑然とした棚をじっくり眺めたいし、読書会にも参加したい。なにより竹田さんと話がしたいと思っている。

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「Xに対する逮捕状」フィリップ・マクドナルド/好野理恵訳/国書刊行会-『世界探偵小説全集』の第3巻。偶然耳にした会話から浮かび上がる犯罪計画。見えない犯罪者にゲスリン大佐が迫るサスペンス小説

 

 

国書刊行会『世界探偵小説全集』の第3巻。著者はイギリスのミステリー作家フィリップ・マクドナルドで、アントニー・ゲスリン大佐を探偵役とする作品である。

アメリカ人の劇作家シェルドン・ギャレットは、自分が書いた芝居「賢者の休日」が公演されるロンドンにいた。9月のある日曜日、ロンドンの街を歩き回ったギャレットは、『ウィロー・パターン・ティー・ショップ』という喫茶店に入る。彼が店でお茶を飲んで一服していると、隣りの席の会話が耳に入ってきた。その会話から、ギャレットは何かの犯罪が計画されているのではないかと感じる。彼は、店を出ていったふたりの女を追うが途中で見失う。

「Xに対する逮捕状」は、まだ起きていない犯罪に対して、アントニー・ゲスリン大佐が推理と観察で迫っていくミステリー小説だ。「薔薇荘にて」「第二の銃声」とは違うサスペンスでスリリングな展開の小説になっている。

茶店で偶然に耳にした会話から犯罪の予感を感じたギャレットは、警察に相談するが相手にされない。落ちこむギャレットを連れてエイヴィス・ヴェリンガムは、ゲスリンの家を訪れる。ゲスリンは、ギャレットの話に興味を持ち、事件の調査を始める。ギャレットが盗み聞きした会話の断片や彼が追跡した女たちの足取り、『ウィロー・パターン・ティー・ショップ』に女が忘れていった買い物リストと思われるメモなどから、ゲスリンは女たちの素性やどのような犯罪が画策されているかを推理していく。

ゲスリン大佐の手足となって動くのは、彼が株の二分の一を保有する週刊評論紙「梟(アウル)」の記者フランシス・ダイソンとウォルター・フラッドのふたり。彼らはゲスリンの指示を受けて各地を歩き、聞き込みをし、結果を持ち帰ってくる。ゲスリンはその報告から推理を組み立てていく。また、必要な場合には自らが調査に出向くこともある。

調査が進むにつれて、さまざまな事実が明らかとなっていくが、そのことがギャレットたちを危険にさらすことにもつながっていく。ギャレットは、地下鉄の駅で線路に突き落とされそうになり、路上で何者かに殴打され負傷する。だがそえは、彼らが犯罪者を追い詰めていることの証でもあった。

ついには警察も捜査に乗り出し、犯罪者は確実に追い詰められていく。後半の展開が実にスリリングだ。犯罪者が企んでいる犯罪の内容も明らかになり、ゲスリンはある罠を仕掛けるが、そのことでエイヴィスを危険にさらすことになる。危険の迫るエイヴィスのもとへ車を疾走させる場面では、猛スピードでタイヤをきしませ、縁石に乗り上げながらカーブを切り、一気にアクセスを踏み込んでグングンと加速している描写が、まるで映画のアクションシーンを観ているような臨場感がある。巻末の解説によれば、著者のフィリップ・マクドナルドはハリウッドで映画のシナリオライターをしていたこともあるそうで、こういう映像が浮かぶような描写や読者を飽きさせないストーリー展開は、解説でも言及されているように「映画的手法もふんだんに取り入れられている」結果なのだろう。

まず何らかの事件が起こり、警察や探偵がその事件の謎を解明するというのがミステリー小説の基本的なパターンだとしたら、「Xに対する逮捕状」はそのパターンとは違うタイプのミステリー小説だ。今となっては、まだ起きていない事件を未然に防ごうと探偵役が奔走する小説はたくさん存在すると思うが、本書が書かれた当時(1938年)は新しいタイプのミステリーと受け取られていたのかもしれない。

これで『世界探偵小説全集』の3作品を読了した。まだまだ先は長いが少しずつ読んでいこうと思う。

 

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「コピーボーイ」ヴィンス・ヴォーター/原田勝訳/岩波書店-大切な人との約束を果たすため、ヴィクターはひとり旅に出る。

 

 

ニュースの伝え手よ、目的地ばかり見ようとするな。そこまでの旅に常に目を向けよ。

ヴィンス・ヴォーター「コピーボーイ」は、吃音の少年ヴィクターのひと夏の経験を描いた「ペーパーボーイ」から6年後の物語だ。

17歳になったヴィクターは、メンフィス・プレス・シミタール新聞でコピーボーイとして働いている。コピーボーイとは、いわば雑用係。記事の切り抜き、糊の補充、タイプライターのインクリボン交換、テレタイプ受信機からの記事の回収、といった仕事をこなす。朝4時には出社しなければならないが、ヴィクターはこの仕事が気に入っていた。

ある日、彼はある死亡記事をみつける。それは、あの夏の日、彼を成長へ導いてくれた大切な人コンスタンティン・スピロさんの死亡記事だった。

前作「ペーパーボーイ」を読んだ方は覚えているだろう。ヴィクター少年にとってスピロさんがどれほど大切な人であったか。吃音でうまく話すことができない少年を優しく受け入れ、大人としての道を示してくれたのがスピロさんだった。スピロさんからもらった4等分された1ドル紙幣には、彼が成長するために必要な4つのSが記されていた。

Student(学ぶ者)
Servant(尽くす者)
Seller(商う者)
Seeker(探し求める者)

ヴィクターは、スピロさんと特別な約束を交わしていた。それは、スピロさんが死んだら、彼の遺灰をミシシッピ川の河口にまく、という約束だ。ヴィクターはその約束を果たすために、たったひとりでメンフィスからニューオーリンズへの旅に出る。「コピーボーイ」は、ヴィクターの旅と出会いの物語なのだ。

大切な人との約束は絶対に果たさなければいけない。ヴィクターはその思いで行動に出る。そして、たくさんの人たちと出会う。6年前にスピロさんと出会った成長したように、ニューオーリンズへの旅の中でヴィクターは人との出会いを通じてさらに大人への道を歩んでいく。

「ペーパーボーイ」が、自らの内に閉じこもっていたヴィクターの心の扉を開く物語であるならば、「コピーボーイ」はヴィクターがさらに広い世界に向けて自らを解き放つ物語である。この連続する2作の物語は、ヴィクター少年の成長であると同時に私たち読者の成長にもつながる物語だと感じた。少年が青年となり、またひとつ大人への階段を昇っていく。成長とは自分と真摯に向き合うということであり、そのためにたくさんの出会いがあり、たくさんの経験を必要とする。その出会いと経験へ導くのが、大人たちの役割なのだ。

冒頭に記したのは、本書の後半で登場するスピロさんの言葉だ。この旅でヴィクターはスピロさんがなぜ自分と「遺灰をミシシッピ川の河口にまいてほしい」という特別な約束をしたのか、という問いへの答えをみつけることになる。その答えに気づいたときに、スピロさんが与えてくれた4つのSやスピロさんの残した言葉の数々が大きな意味を持っていることに気づく。

前作「ペーパーボーイ」を読んだときに、自分はスピロさんのような大人になれているのだろうか、と感じた。それほどに、スピロさんは偉大な人に思えた。あれから3年が過ぎ、本作「ペーパーボーイ」を読み終えて、なお私は自分に問いかけている。私たち大人は子どもたちの良き見本となれているのだろうか。良き理解者となれているのだろうか。良き導き手になれているのだろうか。

おそらく私はスピロさんのような大人にはなれていない。でも、子どもたちから見て恥ずかしくない大人にはなれていると思いたい。

本書は、岩波書店の海外YA叢書『STAMP BOOKS』シリーズの一冊。このシリーズから刊行されている作品は、良質な作品がたくさんあるので(前作「ペーパーボーイ」も同じ叢書シリーズ作品)、幅広い年代の人たちにオススメしたい。新型コロナによる外出自粛で家にいる今、手にとってほしいと思う。

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「第二の銃声」アントニイ・バークリー/西崎憲訳/国書刊行会-『世界探偵小説全集』の第2巻。全編にあふれるユーモアと終盤の二転三転する展開にハマった

 

 

「薔薇荘にて」に続く国書刊行会の『世界探偵小説全集』の第2巻。全集全体の中で最初に配本された作品となる。著者は、「毒入りチョコレート事件」などの作品で知られるアントニイ・バークリーで、原著は1930年に刊行された。ちなみに本書の刊行は1994年で、その後2011年に東京創元社から文庫化されている。

事件は、高名な探偵小説作家ジョン・ヒルヤード氏の邸宅があるミントン・ディープス農園で発生する。農園で行われたハウスパーティーの中で行われた素人劇の帰途に、招待客のひとりエリック・スコット-デイヴィス氏が死体となって発見されたのだ。エリックの死体が発見される直前には、少し間をおいて2発の銃声が聞こえていた。警察は、死体の第一発見者であるシリル・ピンカートン氏に疑いの目を向ける。警察だけでなく、ヒルヤード邸に滞在していた他の招待客もシリルがエリックを撃ち殺したと考えていた。このままでは自分が犯人にされてしまうと考えたシリルは、学生時代に付き合いのあったロジャー・シェリンガム氏に助けを求める。

「第二の銃声」は、「プロローグ」「ピンカートン氏の草稿」「エピローグ」で構成される。「プロローグ」では、事件を伝える新聞記事と事件を担当するデヴォンシャー警察のハンコック警視による報告書によって、事件の概要と警察がシリルをエリック殺害容疑者と考えていること、その疑いの根拠となるものとしてシリルが書いた『草稿』が発見されていることが記される。ここで、客観的な事実としての『殺人事件』の存在が読書に示されているということになる。

「ピンカートン氏の草稿」は、事件渦中の人物であり最重要容疑者であるシリル・ピンカートン氏が書いた事件の記録である。「第二の銃声 第一章」から「第二の銃声 第十六章」で構成され、シリル自身が語り手となって事件が発生するまでの経緯、事件の発生とその後の経緯、ロジャー・シェリンガム氏が登場して事件が解明されるまでの経緯が記される。

「エピローグ」は、事件から数年後にシリルが記したとされるもので、そこで改めて事件の真相が語られる。

シリルは、エリック殺害の最重要容疑者である。彼が嫌疑をかけられるに足る理由は彼自身の語りによって読者に示される。シリルやエリックたちがミントン・ディープス農園に集められた理由。エリック・スコット=デイヴィスが極めつけのゲス野郎であり、彼の死によって幸福を得る人物たちがほとんどであること。それゆえに誰もがシリルがエリックを撃ち殺したと考えており、彼の行為を称賛し感謝している。シリルは、自分は無実であり、エリックを殺した犯人は別にいると主張するが、彼が声高に主張するほど周囲の感謝の度合いが増していくという悪循環になる。その様子がユーモラスで、笑いを誘う。

ロジャー・シェリンガムの登場で事件は真相解明に向けて動き出す。だが、シェリンガムに対してシリルは不思議な要求をする。彼は、自分が無事であることは証明したいが、別の誰かが有罪という犠牲にしたくないと言う。

自分の無実は証明したいが、他の誰かが有罪になることは避けたい。実におかしな要求である。シェリンガムはもちろん、読者もこの要求には違和感を覚える。

真犯人を見つけなくてもいいのか? と問うシェリンガムにシリルは、見つけてもいいが警察には言うなと要求する。なぜなら、誰もがエリックを撃ったことは称賛すべきことと思っているからで、エリックを撃ったことで誰も苦しんでほしくないからだと言う。

シリルの不可思議な要求を受け入れ、シェリンガムは事件の真相解明に着手する。そして、実にアクロバティックな展開でシリルの無実を証明してみせる。シェリンガムがたどり着いた事件の真相とはなにか。ある意味で納得であり、やはりある意味で煙に巻く結論であるとだけ記しておこうと思う。

ただ、物語はそこで終わりではない。さらに「エピローグ」で読者は混乱に底の底に突き落とされる。そして、本書がアントニイ・バークリーにとって『実験小説』であったことに気づかされるだろう。

「世界探偵小説全集」第2巻を読み終えた。まだまだ先は長いが、「薔薇荘にて」も「第二の銃声」も全集に選書されるだけあって面白くて読み応えの作品だった。第3巻以降も楽しみだ。

 

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「白の闇」ジョゼ・サラマーゴ/雨沢泰訳/河出書房新社-突然目が見えなくなる謎の感染症が蔓延した世界。異常な世界で露呈する人間の悪意とエゴを冷静な筆致で描き出す

 

 

突然、ひとりの男の目が見えなくなるところから物語は始まる。信号待ちをする車の列。横断歩道を行き交う人の波。やがて信号は赤から青に変わるが1台の車が動き出さない。不審に思った人々が集まってくる。運転席の男がなにか叫んでいる。

目が見えない。
最初に失明した男に見えるのはミルク色の海に落ちたような白い世界だけ。

ジョゼ・サラマーゴ「白の闇」は、突然失明してしまう謎の感染症パンデミックを起こし、それから巻き起こるさまざまな人間のエゴや社会の混乱を描き出す。

登場人物たちに明確な名前はない。そこには、目の見えない人たちにとって『名前』が『実態』と結合しないという本質的な問題が明示されているように感じる。

最初に失明した男とその妻
最初に失明した男を助けるフリをして彼の車を盗んだ男
最初に失明した男を診察した目医者
サングラスの女
母親とはぐれてしまった少年
黒い眼帯をつけた老人

政府が陰で『白い悪魔』と名付けた謎の感染症は、またたく間にパンデミックを起こし、街中に失明者があふれる。市民のほとんどが失明する赤、たったひとり目医者の妻だけが失明しない。彼女はその事実を隠し、夫とともに隔離施設に収容される。そこで彼女が経験するのは、失明によってあぶり出される人間のエゴ。倫理観と正義感の強い者たちは冷静に秩序だった生活を試みるが、次々と収容されてくる感染者の中には暴力的な人間もいれば権力者のごとく振る舞う人間もいる。平時とは違う異常な世界では誰もが不安と恐怖を抱え、その中で人間性を失い凶暴化していく。

感染者を救ってくれるはずの政府も、隔離された感染者たちを監視する軍人たちは、自分たちも失明してしまうのではという不安を抱え、疑心暗鬼を募らせ感染者たちに銃口を向ける。

やがて『白い悪魔』は全土に拡大し、目医者の妻を除いた全住民が失明する。隔離施設を抜け出した彼らは市中各地で泥人形のように打ち捨てられ希望を失い、醜く争い合う人々の中dどうにか安住の地を求め続ける。

サラマーゴが描くのは、感染症の原因や治療法など、病に関する謎ではない。『白い悪魔』はなぜ起きたのか。どうすればパンデミックが収束し元の生活が取り戻せるのか。そういう話は一切排除されている。ただただ、異常な状況に叩き落された人々がパニックの中でどのような人間性を露呈させるのかという点を追求していく。その事実だけを淡々とした描写で積み重ねることで、究極の危機的状況に陥った人間の醜さを描き出す。

現在(2020年)、現実世界では新型コロナウィルスによるパンデミックが起きていて、世界中で300万人以上の感染者、20万人以上の死者が報告されている(2020年5月1日時点。ジョンズ・ホプキンス大学調査)。世界各国で緊急事態宣言が出され、都市のロックダウンが行われて厳しい外出制限が国民に課せられている。長く続くロックダウンで疲弊と不安、不満を募らせ暴動の一歩手前の緊迫した状態まで発展してしまっている国もある。

日本でも、4月7日に一部都府県を対象に緊急事態宣言が出され、さらに4月14日には全都道府県に拡大した。飲食店などの小売・サービス業には休業要請が出され、ルールに沿って営業している店舗に対して悪質な貼り紙など営業を妨害するような『自粛警察』なるねじまがった正義感がはびこっている。感染リスクに怯えながら働かざるを得ない状況に追い込まれている人もいる。自営業者たちは自粛の影響で経営上の危機に直面していて、明日の生活にも不安を抱えている。

「白の闇」でも、政府は住民を守るための有効な施策をなんら講じようとはせず、隔離施設に閉じ込めて彼らの死を待ち望んでいる。日本も、本書に出てくるような非人道的な施策をとることはないが、一方的に休業や自粛を要請するばかりで、休業に対する補償については後ろ向きの思考しか持ち合わせていない。

このレビューを書いているのは5月2日の深夜だ。昨日5月1日に、緊急事態宣言をおよそ1ヶ月程度延長する方針が明らかになった。

緊急事態宣言が延長されれば、私たちの生活はさらに厳しいものになる。1ヶ月ならギリギリ持ちこたえられていた中小零細企業の体力も限界を迎える。いつ国民の不満が爆発し、「白の闇」でサラマーゴが描いたような醜悪な世界が現実化してもおかしくない。

ニュージーランドや台湾のように、強いリーダーシップと責任感のある決断で大きな成果をあげている国もある。なぜ、日本にはそれができないのだろうか。そこには、リーダーたる政治家たちの危機感のなさ、責任を回避したいという甘えがあるのだと感じざるを得ない。

レビューと言いつつ半分以上が政治不信に対するアジテーションのようになってしまった。でも、これが私がいま感じていることなのだということは。この機会にきっちりと表明しておきたい。