タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

「シャーロック・ホームズの護身術バリツ 英国紳士がたしなむ幻の武術」エドワード・W.バートン=ライト/田内志文訳/新見智士監修/平凡社-シャーロック・ホームズをライヘンバッハの滝から生還させた格闘技バリツ。そのもととなったとされる幻の武術バーティツの創始者による解説書

 

 

「崖っぷちから落ちかけたぼくたちは一瞬ふたりそろってよろめいたんだ。でもぼくは日本の格闘技であるバリツを少々かじっていて、何度もそれに救われたことがあってね。ぼくをつかんでいる手をするりとすり抜けると、教授はおそろしいような悲鳴をあげて何秒か足をばたつかせ、空をつかもうと両手を振りまわした。だけど必死の努力もむなしく、ついに崖から落ちてしまったのさ。崖っぷちから覗いて見たら、延々と落ちていく教授の姿が見えた。やがて岩にぶつかって跳ね返り、水しぶきを立てて滝つぼに落ちてしまったよ」

これは、本書「シャーロック・ホームズの護身術バリツ 英国紳士がたしなむ幻の武術」(以下長いので「バリツ」とします)の「監修者まえがき」および第1章扉裏にある「空き家の冒険」の引用です。1893年に発表された「最後の事件」で、宿敵モリアーティ教授と戦い、ライヘンバッハの滝でともに消息を絶ったとされていたシャーロック・ホームズですが、10年後の1903年に「空き家の冒険」で復活します。その中で、ホームズがライヘンバッハの滝で生還できたのが、彼が習得していた日本の武術バリツという武術でした。

ところで、ホームズの命を救った日本の格闘技バリツとはいったい何なのでしょうか。シャーロック・ホームズシリーズの作品を読んだことがある方の多くが、「バリツって何?」と思った経験があるのではないでしょうか。柔道でもなく、剣道でもなく、空手でも合気道でもない謎の武術バリツ。その謎めいた武術のもとになったと言われているのが「バーティツ」です。

本書は、「バーティツ」について解説した本になります。著者は、エドワード・ウィリアム・バートン=ライト。彼が日本で学んだ武術などをもとに生み出したのが「バーティツ」です。本書は、1899年から1900年にイギリスの「ピアソンズ・マガジン」に掲載された「バーティツ」の解説を全訳したものになります。

本書は、バーティツの技を使った護身術の解説書です。第1章、第2章では新しい護身術として、背後から羽交い締めにされた場合や上着の襟を掴まれた場合、殴りかかられた場合などのシチューエーションに応じた護身術について写真入りで詳細に説明しています。内容はとても実践的で、日本の柔術などがもとになっているからか、親近感を覚えます。見たことある、聞いたことあるような護身術がバーティツとして解説されている印象です。

第3章、第4章は杖を使った護身術の解説になっています。杖(ステッキ)を持ち歩いているシチュエーションというのは、日本人的にはなじみはありませんが、19世紀末から20世紀初頭のロンドンの街頭で、杖を手にした英国紳士同士が対決している様子を思い浮かべながら護身術の解説を読んでみるのも面白いかと思います。

第1章から第4章については、このように真面目な護身術(いくつかシチュエーション的に笑ってしまいそうなところもあるのですが)についての解説になっていますが、付録の「強い男に見せるには」は、ちょっと違った内容になっています。2本の指で男を制圧する、4人乗った椅子を持ち上げる、体を浮かせた状態でふたつの椅子の上に横になり胸に上に人を乗せるといった、びっくり人間大集合的な技が紹介されているのです。巻末の訳者あとがきによれば、この付録として書かれている技は、バーティツの魅力をアピールする広告的な役割と当時の芸人たちが披露していたパーラー・トリック(隠し芸)のネタばらしの意味合いもあったとのこと。バーティツ普及のためにいろいろな策を練っていたようです。

ホームズの命を救った護身術バリツのもととなったとされるバーティツですが、残念ながらほとんど普及することはなく数年でほぼ完全に閉鎖となってしまったのだそうです。「空き家の冒険」でホームズがバリツを使ったとされたときには、バーティツはすでに終了した武術でした。こうしたバーティツの創設から終了、その後の復活に至る経緯などは監修者である新見智士さんのまえがきやあとがきに詳しく記されています。

長く幻の武術となっていたバーティツですが、2002年になって世界各地の愛好家によるネットワークが発足し、バーティツ協会として活動するようになります。19世紀の護身術として“スチームパンク・マーシャルアーツ”と呼ばれることもあるようです。

120年以上前に消えた幻の武術が、こうして私たちの前に紹介され、また脚光を浴びる。シャーロック・ホームズのファンの人もそうでない人も、本書を読んでバーティツの魅力を見つけてみてください。