タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

「吹きさらう風」セルバ・アルマダ/宇野和美訳/松籟社-整備工場を舞台に描かれる4人の物語は、まるでひとつの舞台劇のよう。その舞台を特等席で鑑賞しているような感覚になる作品

 

 

開演のブザーが鳴る。照明に照らされた舞台には4人の登場人物。自動車整備工のグリンゴ・ブラウエル、彼のもとで働く少年タピオカ、故障した車の持ち主で牧師のピルソン、彼の娘のレニ。車の修理が終わるまでの短い時間の中で、4人の物語が描かれていく。

アルゼンチンの女性作家セルバ・アルマダの「吹きさらう風」を読み終えて、いや読んでいる最中から、私は完成された舞台劇をみているような感覚にとらわれていました。4人の登場人物たちが織りなすドラマは、派手さはありませんがじんわりと胸に染み入ってくる物語だと思います。そんな胸に染みる物語を特等席で鑑賞しているという感覚が読書の醍醐味だなと思います。

牧師のピルソンは、娘のレニを連れて、アルゼンチンの辺境をキリスト教の布教活動をしてまわっています。その旅の途中、彼の車は故障して動かなくなり、たまたま通りかかったトラックに牽引されてグリンゴの整備工場にたどり着きました。こうして、この物語を構成する4人は出会います。

ピルソン牧師の説教はすばらしい。いつでも忘れられない説教をすると、教区中に名がとどろいている。
ピルソン牧師が壇上にあがると、人々は黙り込む。まるで出るのを阻もうとする悪魔と取っ組み合いをしてきたかのように、彼はいつでもいきなり躍りでる。

物語の中でそう評されるピルソン牧師は、信仰心の強い人物として描かれています。子どもの頃に経験した説教師による洗礼が彼を信仰に目覚めさせ、自らの説教師としての日々が信仰をより強くしてきました。ですが、それは客観的にみると異質な印象があります。信仰心が人間としての生き方を狂わせているように思います。そのことを一番感じているのが、もっとも身近で彼を見続けてきた娘のレニなのです。

母親に置いていかれたとき、タピオカは三年生になっていて、読み書きと計算はできた。自分も学校は了えていなかったグリンゴは、学校に通わせるのが必要だとは思わなかった。一番近い学校でも十キロ以上はなれていて、毎日送り迎えをするのはやっかいだった。八歳までに受けた教育で十分だ。あとは、大自然と仕事から学ばせようとグリンゴは決めた。自然と仕事は学問ではないが、学べば立派な人間になれる。

ピルソン牧師とは対象的な人物として描かれるのが自動車整備工のグリンゴです。彼は、信仰などというものには何も興味がありません。息子のタピオカと犬たちとこの場所で暮らし、自動車整備の仕事で生活しています。仕事と自然から多くを学ぶことでタピオカは成長できると考え、学校で学ばせることもしていません。手に職をつけれ食いっぱぐれることはないという昔気質の人間という印象を受けます。

説教師として信仰の素晴らしさを説いてまわる牧師と、学びは仕事と大自然から得られると考える整備工。ふたりの対象的な人物が邂逅することで物語は生まれます。ピルソン牧師は、タピオカが洗礼を受けていないことを知り、彼に信仰の素晴らしさを説きます。無垢な少年は、牧師の言葉に心を動かされていきます。グリンゴは、牧師がタピオカに信仰について話すことを否定します。

牧師と整備工の対立は、徐々にエスカレートしていきます。そのプロセスを追いながら感じるのは、この対立の中には、本来中心となるべきタピオカの存在が感じられないということでした。正確に言うと、牧師の中にタピオカという人間の存在が希薄なように感じられたのです。牧師は、まだ洗礼を受けていない無垢な少年に信仰の素晴らしさを教えたいという説教師としての使命感に突き動かされています。ただ、それは相手がタピオカでなくても構わないのです。この物語の中では、タピオカという少年がターゲットになっているので、牧師は少年のために熱心に話してくれているように描かれていますが、それはタピオカ少年のためではなく、自身の信仰のためなのだと感じるのです。

そしてラストシーン。修理を終えて走り去る牧師の車。

牧師はそれを見なかった。
タピオカはそれを見なかった。
レニはそれを見なかった。
パヨはそれを見なかった。
そして、グリンゴはそれを見なかった。

彼らが何を見て、何を見なかったのか。それは誰にもわからないことです。“それ”を見なかったことで、その後の彼らの人生がどう変わるのか、それとも何も変わらずにそれまでと同じ日常が繰り返されるのか。それも誰にもわかりません。ただひとつ言えること。それは、「吹きさらう風」というひとつの物語が幕を下ろしたということ。終演のアナウンスが流れ、読者は現実の世界に戻るということ。本のページを閉じたら、彼らの物語をゆっくりと心の中で噛み締め、彼らの人生とともに私たちの人生について考える。そんな時間を大切にしたいと思います。