タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

「赤い魚の夫婦」ダアダルーペ・ネッテル/宇野和美訳/現代書館-魚、ゴキブリ、猫、菌類、そして蛇。生き物の存在が醸し出す不穏さや不気味さ、あるいはユーモア。メキシコの女性作家による珠玉の短編集。

 

 

「短編集だし、1日1篇くらいのペースで読んでいこう」、そう考えていたのだが、気づいたら一気に読んでしまっていた。そのくらい面白い。

グアダルーペ・ネッテル「赤い魚の夫婦」は、表題作を含む5篇が収録された短編集。著者はメキシコの女性作家で本書が日本初翻訳となる作家である。

表題作の「赤い魚の夫婦」は、ある夫婦の姿を妻側の語りで描くストーリー。妊娠、出産、育児と女性が社会でキャリアを継続していくことに対するハードルの高さなど、現代社会で誰もが感じている理不尽さが描かれる。そして、その理不尽さをある意味象徴しているのが夫婦が飼っているベラという観賞魚だ。出産育児という逃れられない日々の中で次第に崩れ行く夫婦の関係が、オスメスつがいで飼育されているベラの姿と絶妙に重なっていく構図が怖くもあり切なくもある。単なる女性の生き辛さを描いた作品とは違った世界が感じられる。

読んでいて一番、いろいろな意味で怖さを感じたのは「菌類」だった。「わたしが子どものころ、母の足の爪に菌がいた」という一文から始まる物語。母は自らに寄生するこの菌を嫌悪するが、わたしはなぜか菌を守ってやりたいと感じる。そして月日は流れ、成長したわたしは音楽家として世界で仕事をするようになり、結婚もして平穏に暮らしていた。そこに現れたラヴァルという男性。わたしはいつしかラヴァルと関係を持つようになる。

「菌類」は、お互いに家庭を持ちながら惹かれ合う男女の物語としてのストーリーを有しているが、そこに不穏な存在感を見せてくるのが菌である。冒頭で母親の足に寄生した菌(水虫のことか?)を「守ってやりたい」と感じたわたしは、ラヴァルとの関係の中で「守ってやりたい」という感情をこじらせていっているように思う。歪んだ愛情とでもいうのだろうか、終盤の異様な質感が読んでいてゾワゾワと胸奥をまさぐってくるような気分になる。

他にも、ゴキブリが出てくる「ゴミ箱の中の戦争」、猫が出てくる「牝猫」、蛇が出てくる「北京の蛇」と、どの作品にも人間のある種あたりまえにある日常や誰しもが経験しそうなことや感情を描く中で、生き物たちの存在が、ある場面では不穏さや不気味さを醸し出し、ある場面では象徴性を表している。「北京の蛇」は、蛇に託された父親の哀切に胸をグッと締めつけられるような気がした。

海外文学を読んでいると、世界には本当にたくさんの魅力的な作家がいるのだと感じる。グアダルーペ・ネッテルは本書が初翻訳作品になるが、訳者あとがきや著者略歴を読むと他にも面白そうな作品を発表している。ぜひ他の作品も読んでみたい。