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「二重の影」森下雨村/ヒラヤマ探偵文庫-「新青年」編集長として江戸川乱歩を世に送り出した森下雨村が大正期に発表したティーン向けYAミステリー小説

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古き良き探偵小説を発掘し紹介する同人『ヒラヤマ探偵文庫』。これまで、『セクストン・ブレイク・コレクション』シリーズから「柬埔寨の月」「謎の無線電信」「ボンド街の歯科医師事件」や創刊間もない「週刊朝日」で連載された馬場孤蝶「林檎の種」といった大正期に週刊誌や探偵小説誌などに掲載された海外探偵小説をレビューしてきた。こうした古い海外探偵小説の一方で、同じく大正期に活躍した日本人作家の探偵小説もヒラヤマ探偵文庫では発掘して紹介している。今回レビューする森下雨村「二重の影」も大正期に発表された作品である。

「二重の影」は、表題作の「二重の影」と「幻の男」の2篇を収録した短編集である。「幻の男」は10ページほど、「二重の影」は40ページちょっとの長さの作品となっている。

「幻の男」は、森下雨村が「日本少年」という少年向け雑誌に1924年大正13年)1月号に佐川春風名義で掲載した作品。新聞記者仲間の中でも若手の腕利きと言われる立花のところに“警告状”が送りつけられてくる場面から始まる。

警告!!
今夜十時から十二時の間に、法医学者山口博士邸に忍び入り、博士の珍蔵する印度製仏像を頂戴すべし。余は仏像が欲しきに非ず。しかも、これを頂戴せんとする理由は、今更喋喋を要せざるところ。余の手腕立証のため、貴社立花君の立ち会いを得ば幸甚。
十二月九日  幻の男より

“幻の男”と名乗る人物は、関東大震災後の東京で富豪の邸宅ばかりを狙って財宝を盗み出す事件を繰り返していた。世間では“幻の男”を義賊扱いするものもあったが、法医学者の山口博士はそれを一蹴し、こそ泥扱いする記事を新聞に寄稿していたのだった。“幻の男”は、そんな山口博士に挑戦状を叩きつけたことになる。

犯行日時を予告し、衆人環視のある中で堂々と目的の品を盗み出す怪盗や義賊というと、アルセーヌ・ルパンや怪人二十面相を想像する。巻末の解説によれば、「幻の男」は、「怪人二十面相」のあるトリックの元ネタになった作品とされるとのこと。著者の森下雨村は、「新青年」の編集長として江戸川乱歩を世に送り出した人物としても知られているので、乱歩が「怪人二十面相」その他の作品を執筆するにあたり森下雨村の作品に影響を受けたりしたのかもしれない。

もうひとつの収録作品「二重の影」は、「少女倶楽部」という少女向け雑誌の1923年(大正12年)1月号から4月号まで連載された作品。

東京数寄屋橋近くの旅館でひとりの少女が祖父の帰りを待っている場面から物語は始まる。その少女、美智子は祖父とともに静岡から上京してきた。その祖父が昼食後に宿を出てから深夜になっても戻ってこないのだ。やがて、彼女のもとに届く凶報。祖父、澤本彦三は、何者かによって毒殺されてしまう。事件の影には、彦三が静岡で警察勤務をしているときに因縁のあったある女が関係していた。

「二重の影」もかなり有名なトリックを用いた探偵小説である。同種のトリックを用いた作品は、古今東西数多く存在するが、「二重の影」からは他の作品とは少し違う印象を受けた。この手のトリックは、賛否がかなり分かれるようだが、個人的には納得できるものだった。

巻末の解説にもあるが、「二重の影」の魅力はトリックの奇抜さなどではなく、登場人物である美智子の存在にあると思う。祖父を殺されたばかりの少女が、犯人と目される女のもとに単身潜入し、その命をかけて女の尻尾を掴まんと奮闘する。危険を顧みず使命を果たさんとする彼女の姿に、連載当時の読者はハラハラドキドキしながら読み進めたことだろう。そのハラハラやドキドキ、ワクワクといった空気は、令和のいま読んでも感じられると思う。

本書は、『森下雨村少年少女探偵小説コレクション』と銘打ったシリーズの第1巻である。その叢書シリーズ名にあるように、読者ターゲットは作品登場人物と同世代である十代の少年少女だ。大正期の探偵小説というちょっとマニアックなジャンルの作品ではあるが、ティーン向けYAミステリー小説とも言える。巻末の解説では、少年少女の気持ちになりながら作品を楽しんでほしいとあるが、大人はもちろんのこと、現役の中学生や高校生くらいの世代の人にも読んでもらいたいと思う。