タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

「荒野にて」ウィリー・ヴローティン/北田絵理子訳/早川書房-孤独な少年チャーリーは一頭の馬と出会い、伯母の住むワイオミングに向かって旅立つ。

 

 

15歳の孤独な少年チャーリーがリーン・オン・ピートという競争馬と出会い、自分の置かれた境遇や自らの思いをピートに語りかけることで愛情を深めていく。やがて、ピートが前肢に怪我をしている疑いがでて、殺処分の可能性もあると知ったチャーリーは、ピートを連れて厩舎を抜け出し、伯母が住むワイオミングに向かって旅に出る。だが、その道中でもさまざまな苦難がチャーリーに降りかかる。孤独な少年と一頭の馬はワイオミングにたどり着くことができるのか。

「荒野にて」は、ひとりの少年が一頭の馬と出会い、愛情を深め、さまざまな苦難に見舞われながら、少しずつ成長し、幸せを願ってワイオミングを目指す物語だ。

主人公のチャーリー(本書は彼の一人称「ぼく」の語りで描かれる)は、父親とふたりで暮らしている。父はフォークリフトの運転手としての経験もあって仕事には困っていないが、気まぐれな性格で居場所をコロコロと変えてしまう。女性関係でのトラブルもあり、そのことがチャーリーの生活に暗い影を落としていく。

正直、読んでいてつらくて、胸が締めつけられるように苦しくなった。チャーリーは、学校でフットボールのクラブに入って活躍することを夢見る15歳の無垢な少年だ。そのために毎日のランニングも欠かさない。なのに、彼の周囲の大人たちは、彼にとって足かせになるようなクズしかいない。チャーリーの父も、チャーリーが働く厩舎の調教師デルも、人間としてダメな大人だ。

チャーリーが心を開く相手は、競走馬のリーン・オン・ピート。ピートはデルが調教する競走馬だ。チャーリーは、ピートに惹かれ、ピートに語りかける。自分のこと、家族のこと、いろいろなことをピートに語りかける。ピートに話すことが、チャーリーの心の平穏となっていく。

ピートに足の怪我の疑いがあり、殺処分の可能性が出たとき、チャーリーはピートを厩舎から連れ出す。彼は、唯一自分を愛してくれた伯母が暮らしているはずのワイオミングを目指す。だが、その道中でもチャーリーはさまざまなトラブルに見舞われる。それでも、ときには心優しく彼に接してくれる人もある。とてつもない苦しみや悲しみを乗り越えて、チャーリーは無事に伯母と再会できるのか。

途中、読み進めるのが苦しく感じることも多かった。読み心地の良い小説とはいえないところもある。それでも最後まで読ませるのは、心の中で主人公のチャーリーに「頑張れ!」「負けるな!」とエールを送っている自分がいたからだと思う。チャーリーには、若者らしい幸せを手に入れてほしいと願う自分がいたのだと思う。

『はじめての海外文学vol.5』で訳者の北田絵理子さんが推薦していた作品。孤独な少年の成長と幸せな未来を願って読んでみてほしい作品である。本書を原作とした同タイトルの映画も制作されていて(日本で昨年公開された)、現在はレンタルや配信で視聴することができるので、そちらもぜひ。

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「キッズライクアス」ヒラリー・レイル/林真紀訳/サウザンブックス-自閉症スペクトラム障害の少年マーティンが経験するひと夏の物語

 

 

「キッズライクアス」は、『自閉症スペクトラム障害』の高校生マーティンが、映画監督の母の仕事に合わせて、姉のエリザベスと一緒にフランスの田舎町で過ごすひと夏を描く物語だ。

自閉症スペクトラム障害』のマーティンは、他人とうまく接することができない。そんな彼が、フランスの田舎町にある普通高校に通い、そこで出会った少女に恋をする。だが、彼は彼女とうまく接することはできない。それでも、彼は少しずつ自分の言葉で彼女と接することができるようになり、他の同級生たちとも友だちになっていく。

『自閉症スペクトラム障害』という耳慣れない病気。どんな病気なのか、どんな症状があるのか、そもそも“病気”なのか。読んでいて思ったのは、まずそのことだった。『自閉症スペクトラム障害』には、「(他人と)視線が合わないか、合っても共感的でない」「ひとりごとが多い。人の言ったことをオウム返しする」といった特徴があるという。対人関係が苦手で、なにかに強いこだわりを持つことも特徴とされる。

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マーティンにも、こういった特徴を感じさせるところがある。自分が見たこと、自分が感じたことを話すとき、「僕」を主語にして会話ができなくなってしまうことがある。

「僕は少々疲れました。僕は寝たほうがいいみたいです」

と言うべきところを、

「あなたは少々疲れました。あなたは寝たほうがいいみたいです」

と言ってしまう。マーティンの母親は、そんな息子の言い間違いを少しでも直そうと、ややもすると厳しく接してしまう。

自分の言葉で気持ちを発することが難しいマーティンは、あらゆることをプルーストの「失われた時を求めて」(本書でマーティンは「失われた時」と呼んでいる)の場面やセリフで考え、言葉にする。彼の世界のすべては「失われた時」の中に存在している。彼が出会い恋におちる少女を、彼は「失われた時」のジルベルト・スワンだと考え、ジルベルトと呼ぶ。

「キッズライクアス」は、自閉症スペクトラム障害』は治すべき障害なのか、という問いを読者に投げかけている。マーティンの母は、彼が障害を克服し、普通の男の子として学校に通い、友だちを作ることを望んでいる。『自閉症スペクトラム障害』のような障害を持つ人をありのままに受け入れるべきという考え方もあり、『ニューロダイバーシティ』と呼ばれている。

フランスの田舎町でジルベルトに出会ったマーティンは、少しずつ自分の言葉で自分の気持ちを伝えようとする。彼女の存在は、いつしかジルベルトからアリスへと変化し、マーティンは現実のアリスと仲を深めていく。ときに、彼を傷つけるような出来事も起きるが、それも乗り越えられるだけの経験を積んでいく。そして、彼の夏は過ぎていく。

マーティンは変わることができたのか。変わることが彼のこれからの人生にとって良いことなのか。その答えは誰にもわからない。それは、マーティン自身にしか経験することができないのだから。

私たちは、ともすれば彼らを特別な存在、可哀想な存在としてみてしまう。でもそれは、彼らにとって、生きづらい環境をつくってしまっているのではないだろうか。私たちの一方的な価値観に彼らをあてはめてしまってはいけないということを、この本を読んで考えた。

「瓶に入れた手紙」ヴァレリー・ゼナッティ/伏見操訳/文研出版-イスラエルの少女とパレスチナの少年の間で交わされるメールを通じて、パレスチナ問題を描く物語

 

 

ヴァレリー・ゼナッティ「瓶に入れた手紙」は、イスラエルエルサレムに暮らす少女タルとパレスチナガザ地区に暮らす“ガザマン”と名乗る男性(のちにナイームという少年とわかる)のメールのやりとりによって主に構成される物語だ。物語中ふたりはけっして会うことはない。ふたりの間には何よりも巨大で何よりも分厚い壁があるから。イスラエルパレスチナを隔てる壁だ。

タルとナイーム(ガザマン)がメールを交換するきっかけは、タルが兄のエイタンに託した瓶に入れた手紙だった。誰とも知らぬパレスチナの人に向けた長いメッセージと彼女のメールアドレスが記された手紙。それをナイームが拾い、タルにあててメールを書いた。“ガザマン”を名乗って送ったメールは、タルに対する皮肉がたっぷりと詰め込まれていた。それでも、タルはパレスチナ人からメールが届いたことが嬉しかった。こうして、イスラエル人のタルとパレスチナ人のガザマンの往復メールが始まった。

1948年にイスラエルが建国され、それに抗議するパレスチナとの対立が始まった。数度にわたって繰り返された戦争は西欧列強の軍事力に支えられたイスラエルが勝利し、パレスチナの領地は侵食され続けた。1993年に『オスロ合意』と呼ばれる和平合意がなされたが、その後、和平を推進したイスラエルのラビン首相が暗殺されるなどして、両者の関係は再び悪化、現在も紛争状態が継続している。

ふたりの間で交わされるメールは、当初はほぼ一方的にタルが、自分の思いを書き綴って送り、ガザマンがその内容を皮肉をこめて批判するものだった。だが、次第にナイームは自分の気持ちをメールに書くようになっていく。互いに出会うことのないふたりは、メール(のちにチャット)で会話を重ね、それぞれに意識し合うようになっていく。

著者のヴァレリー・ゼナッティは、フランスの作家だが、13歳のときに両親とイスラエルに移住し、18歳から2年間兵役にもついた経験があるという。2003年に起きた自爆テロで結婚式を翌日に控えた若い女性とその父親が犠牲となり、自爆したパレスチナ人も若い学生だったという事実に胸を打たれたことが、この物語を書くきっかけになったと「訳者あとがき」に記されている。

パレスチナ問題は、私にとって、あまりに遠すぎて理解の難しい問題だ。

「人種が違っても、信仰する宗教が違っても、同じ人間同士どうして仲良くできないの?」と言ってしまうのは簡単だけど、「みんな仲良く」の壁は想像もつかないほどに高くて、雲を突き抜けてはるか頭上までそびえ立ち、両者の間を隔てている。なんとか乗り越えようとチャレンジするが、ひとりでは容易に越えることはできず、多くの人が互いに支え合い理解し合わなければならない。それが難しい。

著者は、タルとナイームをイスラエルパレスチナを隔てる巨大な壁を乗り越える希望の存在して描いているのだと思う。ふたりが、メールやチャットを通じて言葉を交わすことで生まれたつながりが、いつの日かふたつの国をつなぐ礎となり、そびえ立つ巨大な壁を乗り越え、打ち破る。そんな日が来ることへの希望が託されているのだと思う。

最後にナイームから送られたメールに記された約束。ふたりがその約束を果たしたとき、ふたりが願う平和への希望が果たされていることを著者は願っていたのだろうと感じた。

 

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「弁護士アイゼンベルク 突破口」アンドレアス・フェーア/酒寄進一訳/東京創元社-恋人爆殺事件と過去の連続殺人事件。交互に描かれるふたつが結びついたときに見えてくる事件の真相

 

 

前作「弁護士アイゼンベルク」を読んだのが2018年6月。それから2年、待望の第2弾が翻訳刊行された。「弁護士アイゼンベルク 突破口」である。

前作では冒頭から主人公の弁護士ラヘル・アイゼンベルクが、何者かによって人里離れた家に手足を拘束された状態で監禁され、迫りくる死の恐怖に怯えているというインパクトのある場面から物語がスタートし、そこから一気にストーリーが展開していく読み応えのあるジェットコースターサスペンスだったが、本作も読者を惹きつけるストーリー展開は健在だ。

2017年5月28日。日曜日のその日、ラヘル・アイゼンベルクは、娘ザーラと少し口論となり、気持ちを落ち着かせようと町最大のビアガーデン〈ヒルシュガルテン〉でビールを飲んでいた。そこで彼女はユーディット・ケラーマンを見かける。ユーディットは、有名な映画プロデューサーの娘で、自らも『ジャンプカット』というプロダクションを経営している。ふたりが話していると警官が現れ、ユーディットは逮捕されてしまう。容疑は殺人。恋人のアイケ・ザントナーをプラスティック爆弾を使って爆殺したというものだった。ユーディットは容疑を全面否定するが、彼女の家からプラスティック爆弾の包み紙や遠隔操作に使用したと思われる携帯電話が発見され、検察は彼女が犯人である確信を深めていく。

なりゆきからユーディットの弁護人となったラヘルは、ユーディットが無実である証拠を求めて捜査を開始する。旧東ドイツ国家保安省の元職員で探偵事務所を開いているアクセル・バウムと契約し、ユーディットの無実を証明するための証言や証拠を求めて調査を進める。ユーディットの嫌疑を晴らし、彼女を検察から解放しようと手を尽くすラヘルたち弁護側とユーディットを事件の容疑者と確信とする検察側とのせめぎあいは、スリリングな知的攻防戦である。

本書では、爆殺事件に絡む弁護士vs.検察のストーリーと並行して、ユーディットの過去の物語が描かれる。2012年のミュンヘンで起きたユーディットの恋愛と連続殺人事件のストーリーだ。ユーディット・ケラーマンというひとりの女性をめぐる2017年と2012年のふたつのストーリーは、話が進んでいくほどに互いに引きつけられ、やがて交差する。その瞬間、読者はそれまでぼんやりとしていた事件の謎がすべて絡み合い、すべての真相がクリアになったことを感じるだろう。と同時に、ユーディットに迫る死のタイムリミットと彼女の危機を阻止すべく疾走するラヘルたちの手に汗握るラストの怒涛の展開に胸を高鳴らせるだろう。

前作「弁護士アイゼンベルク」も圧倒的なスピード感とスリリングな展開で読んでいる間はずっと物語の世界に惹きつけられていたが、本作もそれ以上にスリリングで、読み始めたら止めらなくなる魅力的な作品になっている。もともとテレビ局に勤めていて、サスペンスドラマの脚本も手掛けていたという経歴をもつ著者だけに、読者を飽きさせないストーリー展開、気持ちを昂揚させるジェットコースターのような迫力のある場面描写で、ハラハラドキドキ、ワクワクする読書タイムを過ごせた。

 

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「ブックオフ大学ぶらぶら学部」武田砂鉄、山下賢二、他/岬書店-みんなにとっての『ブックオフ』。あなたにとっての『ブックオフ』。私にとっての『ブックオフ』

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ブックオフ』はこれまで数え切れないくらい利用してきた。単行本や文庫の比較的新しい作品が半額になっているのをヒャッホー!と手に取り、100円棚で「おぉ、これが100円!」と驚いたりしながら、あれもこれもと買い物かごに放り込んだ。ときに十数冊の本を抱えてレジに差し出し会計をする。合計で2000円前後。安い。「いい買い物をしたなぁ」とホクホクで家に帰り、山のような積ん読本の中に買ってきた本を積み増した。

ブックオフ大学 ぶらぶら学部」は、夏葉社の別レーベル『岬書店』から刊行された全編に執筆メンバーのブックオフ愛があふれる一冊になっている。

■執筆メンバー(敬称略)
武田砂鉄(ライター)「ブックオフのおかげ」
山下賢二(ホホホ座)「その時、人は無防備で集中する」
小国貴司(BOOKS青いカバ)「ブックオフは「暴力」だ」
Z(せどらー)「ブックオフとせどらーはいかにして共倒れしたか~せどらー視点から見るブックオフ・クロニクル
佐藤晋(ドジブックス)「私の新古書店
馬場幸治(古書ビビビ)「ブックオフに行き過ぎた男はこれからもブックオフに行く、そして二〇年後も」
島田潤一郎(夏葉社)「拝啓ブックオフさま」
大石トロンボ(漫画家)「よりぬき新古書ファイター真吾」

それぞれが自分にとってのブックオフを語っているのだが、内容は大きくふたつに分かれる。

・古本や中古CD、DVDなどを購入する『利用者』の視点
・相場よりも安く購入し他の古書店で高く売る『商売人』の視点

後者は『せどり』とよばれ、梶山季之せどり男爵数奇譚」や芳崎せいむ金魚屋古書店」などにも登場する。『せどり』は、市場では高価に取引されている古書を、その価値に気づいていなかったり、得意ジャンル以外として均一棚などで安価に販売している古書店を丹念に探し回って購入し、別の古書店(その古書の価値がわかっている)に買い取ってもらうことで利益を得る商売だ。

今でこそブックオフは、均一棚以外の古本はそれなりの値付けで販売しているが、以前は機械的に定価の半額で売られていた。市場での価値とか関係なく定価の半額やそれ以下で買えるので、新刊では買えない本もブックオフなら買えるという時期があった。そこに目をつけたのが『せどらー』たちだ。

『せどらー』視点でのブックオフについては、Zさんのパートを読むと面白い。私なんかは、ブックオフは安く本が買える古本屋としかみていなかったので、『せどらー』たちとブックオフとの攻防や『ビームせどり』などという手法(というか用語?)があることも今回はじめて知った。

さまざまな書き手がそれぞれのブックオフを書いているが、個人的に読んでいて一番面白かったし共感したのが、BOOKS青いカバの小国貴司さんの「ブックオフは「暴力」だ」だった。内容は、小国さんが、「平井の本棚」という本屋の津守恵子さんと越智風花さん(以前は長野で「おんせんブックス」を営んでいた方)、某版元株主のY氏の4人によるブックオフ巡礼の珍道中を記したものだ。休みの日に何軒もブックオフをはしごする、というのは私も経験があるし、4人が向かったのが千葉方面ということも千葉県民として馴染みがある場所が出てきて、「千葉でブックオフ巡り」という共感ポイントありまくりだったし、「これが200円!?」とか「ここでこの本に出会えるとは!」といったエピソードがこれまた共感の嵐。もっとたくさんのブックオフに行きたいと思っているのに、ついつい1軒で時間を使ってしまうなんてのも「あるある!」と頷くところ。小国さんのパートを読んで、私も今度流山のブックオフに行ってみようと思いました。

私もブックオフは、今でも頻繁に利用しているし、意外な本を均一棚で購入したこともある。個人的に一番の拾い物は、ウンベルト・エーコ薔薇の名前」を100円で見つけたこと。上下巻なので合わせて200円+消費税で入手した。これは個人的にはかなり嬉しかった。あ、でも買っただけでまだ読んでません(笑)

インディーズレーベルで通常の書店ではなかなか手に入らないかもしれない本書だが、ネットで「ブックオフ大学」で検索するとオンラインで販売しているお店もある。ブックオフが好きな人も嫌いな人も読んで面白いのでオススメです。

 

「ボッティチェリ 疫病の時代の寓話」バリー・ユアグロー/柴田元幸訳/ignition gallery-コロナ禍のニューヨーク。ロックダウンで閉ざされた日々の中でユアグローが紡ぎ出した12篇の寓話世界

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ignitiongallery.tumblr.com

ここに収めた12本の物語は、2020年4月5日から5月11日にかけて、都市封鎖状態の続くニューヨークのクイーンズから届いた。1本目の「ボッティチェリ」が添付されていたメールには、「正気を保つため」に書いた、とあった。(筆者注:横書きに合わせて漢数字を算用数字に変更しています)

訳者あとがきにあたる「★この本について」の冒頭にそう書いてある。

ボッティチェリ 疫病の時代の寓話」は、「一人の男が飛行機から飛び降りる」や「セックスの哀しみ」などの著作がある作家バリー・ユアグローが、新型コロナのパンデミックによって都市封鎖(ロックダウン)が行われたニューヨークで、ロックダウン中に書いた12の掌編小説が収録された作品集だ。

ニューヨークのロックダウンは、2020年3月23日午後8時(現地時間)から始まった。それまで、多くの人々で賑わっていた街から、まるでゴーストタウンのように人の気配が消えた。外出を制限された人々は、じっと家にこもって、この未知のウィルスがもたらすパンデミックの収束を待つ日々を過ごすことになった。

ユアグローが描く短い物語には、閉ざされた日々の中で誰もが感じるであろう閉塞感や孤独、不安、見えないウィルスへの恐怖などからくる一種の『狂気』を感じざるを得ない。感染症パンデミックで都市が封鎖され、行動の自由が制限されるなど、世界中の多くの人々が経験したことのないことだ。この未経験の異常な状況の中で、私たちはいかに理性を失わず正気でいられるかを求められていた。「正気を保つため」に何ができるのかを考え続けた。

ユアグローにとって、それは『書く』ということだった。だから彼は書き始めた。そして、それを日本で彼の作品を翻訳している柴田元幸氏に届けた。『書いて』そして『届ける』ことが、ユアグローが「正気を保つため」に必要なことだったのだ。

本書に収録されている12篇は、それぞれ2ページから5ページほどのショートストーリーだ。

ボッティチェリ
ピクニック


スプーン
猿たち
戸口
サマーハウス
風に吹かれて
岩間の水たまり

書く

「★この本について」で柴田元幸氏が、「出版したいからというより、ただただ書かずにいられないから書いていることがよくわかった」と書いているように、作家は、これらの作品を広く世に送り出そうとしたわけではないのだろうと思う。だが、こうして柴田さんが翻訳し出版してくれたことで、あのとき、ロックダウンで封鎖された街で作家が紡いだ物語を読むことができる。作家が何を思い、何を感じ、何を経験したのか。そこから何が生まれたのか。本書は、非常事態の世界で書かれるべくして書かれた物語の集合体なのだ。暮らしている国は違えど同じパンデミックの世界を生きた私たちは、この本から、ここに書かれた物語から、きっと何かを得られると感じた。

 

「やんごとなき読者」アラン・ベネット/市川恵里訳/白水社-女王陛下、読書にハマる

 

 

「陛下にも暇つぶしが必要なのはわかります」
「暇つぶし?」女王は聞き返した。「本は暇つぶしなんかじゃないわ。別の人生、別の世界を知るためのものよ。サー・ケヴィン、暇つぶしがしたいどころか、もっと暇がほしいくらいよ。(後略)」

アラン・ベネット「やんごとなき読者」は、ひょんなことから読書の楽しさにハマってしまった女王陛下の物語である。女王陛下とは、エリザベス二世のことだ。

ある日、宮殿の裏庭に停まっていた移動図書館に足を踏み入れた女王陛下は、なりゆきで本を一冊借りることになり、次の本また次の本と読んでいくうちに読書の楽しみにハマっていく。次第に女王は公務を疎かにするようになり、なにかと口実をつけて読書の時間を作ろうとする。

困ったのは周囲の人たち。なんとか女王に読書の習慣をやめさせようとするが、女王の読書熱は冷めるどころかますますヒートアップ。晩餐会の席でフランス大統領に『ジャン・ルネ』について話かけたり、家族(ロイヤルファミリー!)に「本を読め」とすすめてきたり(しかも後日読んだかチェックする)と公務にも生活にも影響が出てくる。

冒頭に引用したのは、個人秘書のサー・ケヴィンが女王の読書熱にやんわりと苦言を呈する場面。サー・ケヴィンにとって女王が本を読むのは暇つぶしに過ぎない。だが、女王にとって読書は暇つぶしではないのだ。

この場面のように、読書好き本好きにとって「うんうん」「あるある」と共感できるポイントがたくさんある。

本の続きが読みたくて仮病をつかう女王陛下
読みたい本のリストを作る女王陛下
読書の喜びを人に伝えたくなる女王陛下
会った人がどんな本を読んでいるか気になってしまう女王陛下
読んだ本について自分の考えを書きとめるようになる女王陛下

ぜんぶ我が身に当てはまる。面白い本に出会えば仕事を休んででも続きが読みたくなるし、読んだ本について誰かと話がしたくなる。読みたい本のリストを作り、読んだ本の感想(まさにコレだ)を書きたくなる。

読書にハマった女王には時間が圧倒的に足りない。「読みたいだけ本を読むには時間が足りない」のだ。

それまではさして興味もなかった作家と会うことにも、女王陛下は喜びを見出すようになる。カナダに公式訪問した女王がアリス・マンローと会って彼女が作家だと知り、その著作をもらえないか頼む場面が微笑ましい。

たくさんの本を読み続けるうちに、女王は読書にも一種の筋力が必要であり、自分にその筋力がついてきたと感じるようになる。最初の頃は読み進めるのがつらかった本を楽しんで読めるようになった。その一方で本の中には女王自身の「自分の声」がないと思うようになっていく。女王の読書の行き着く先は、「書く」ことだった。そして、彼女は最後に決断するのである。本を書くために。

とにかく面白い。女王が読書にハマる姿も、彼女に振り回される家族や臣下の人たちのオタオタする姿もユーモラスだ。王室に対する皮肉もこめられている。その一方で、本書からは女王がおかれている立場の息苦しさも感じられる。本書の最初の方には、「趣味を持つのは女王の仕事の性質にふさわしくない」とある。公的な存在である女王が特定の趣味を持つことがえこひいきにつながるからだ。女王には公務としての仕事をこなす以外の自由がないということなのだ。

現在の上皇后様がまだ皇后様だったとき、翌年に退位を控えた2018年の誕生日会見で公務を離れたら本を読みたいと発言されて話題になった(ウッドハウスの「ジーヴスシリーズ」が注目されたのを記憶している人もいると思う)。公的な立場にいるとさまざまな行事や公務が忙しく自分の時間はほとんどないのだろう。公務から解放されなければゆっくりと本を読む時間もない。大変な立場だなと思う。

ゆっくり本を読む時間があるということは、幸せなことなのだということも、本書を読んで実感した。