タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

「十五匹の犬」アンドレ・アレクシス/金原瑞人、田中亜希子訳/東宣出版-もし動物が人間の知性を持ったら、幸せなのか不幸なのか。15匹の犬たちの葛藤する姿を我が身に照らし、幸せとは何かを考える。

 

 

物語は、トロントにあるレストランバー〈ウィート・シーフ・タヴァーン〉のある夜の出来事から始まります。

レストランバーにあったのは、アポロンとヘルメスの姿。言わずと知れたギリシア神話に登場する神です。ふたりの神はそのレストランバーで、人々が神を崇める態度に酔いながら他愛もない会話に興じていました。そして、その流れである賭けをすることになります。それは、動物が人間の知性を持ったなら、その動物は幸せになるのか不幸になるのかというものでした。知性を与えられた動物が死ぬときに1匹でも幸せだったならヘルメスの勝ち、そうでなければアポロンの勝ち。こうして、酔った神々の戯れから、近くの動物病院に預けられていた15匹の犬に人間の知性が与えられることになります。

動物が人間のような知性を持っていたら、その動物たちは幸せなのか。アンドレ・アレクシス「十五匹の犬」が問いかけるのは、動物が人間同様の知性を持つことの幸不幸です。それは、知性を持つことが当たり前の人間に対する問いかけでもあります。この物語は、読者に対して「あなたは知性を持っていることに幸せを感じていますか?」という問いを投げかけているのです。

ふたりの神によって知性を与えられた15匹の犬たちは、それぞれに複雑な変化をみせていきます。ジョークを飛ばすようになったり、詩を吟ずるようになったり、徒党を組んで他の犬を痛めつけたり殺したりする連中もいれば、孤高の存在として生きる犬もいます。15匹の犬たちは、自らに与えられた知性に戸惑い、混乱します。知性を持ったことで、犬としての行動に疑問を感じたり、羞恥心を持ったりします。その一方で、元来の犬としての本能もあり、その相反する知性と本能に葛藤するようになります。

知性を持つことで生じる羞恥心や苦悩、様々な葛藤は、犬が人間の知性を持ったから生まれたものですが、それは私たち人間のひとりひとりが日常的に抱えているものでもあります。「十五匹の犬」に描かれる15匹の犬たちの姿は、そのまま私たち人間の姿でもあると言えるのではないでしょうか。犬たちの苦悩し葛藤する姿を見ることは、客観的に自分自身を見ることになっているように思います。他者を攻撃し自分の優位性を築こうとする者がいれば、ずる賢く世渡りする者もいる。15匹の犬たちが作り出す社会は、私たち人間社会の縮図でもあると読んでいて思うのです。

動物が知性を持ったら幸せなのか不幸なのか。ふたりの神が掲げる賭けのテーマは、私たち人間に対する問いかけでもあります。15匹の犬たちがたどる運命の物語を読んで、それぞれの犬たちの行動や苦悩、葛藤に我が身を重ねてみて、自分が幸せなのだろうかと自問する。それは、かなり哲学的であり、ある意味禅問答のようなものかもしれません。ですが、本書に登場する犬たちの中には、自分自身と近い存在の犬がいるかもしれません。

幸せ/不幸せの基準や定義は、明確に決まっているわけではありません。その人がどう感じているかという個人的な問題です。15匹の犬たちは、それぞれに知性を持った人生を過ごし、それぞれに最期の時を迎えます。客観的にみて、幸せだっただろうと感じさせる犬もいれば、不幸だったと感じさせる犬もいます。でも、それは読者という神視点での印象です。実際は幸せだったのかもしれないし、不幸だったのかもしれない。いずれにせよ、犬たちが少しでも幸せであればいいなと思うし、私自身も幸せでありたいなと思います。