タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

「老犬たちの涙 “いのち”と“こころ”を守る14の方法」児玉小枝/KADOKAWA-「飼えなくなったから捨てるなんて」と憤るだけでは解決しない問題

 

 

私事になりますが、昨年(2019年)11月に18年以上一緒に暮らしてきた愛犬ラムを看取りました。我が家のアイドルだった彼女の死は、家族にとってとても悲しいできごとで、2ヶ月以上経っても、まだ寂しい気持ちが消えていません。

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満面の笑顔が愛らしい

本書「老犬たちの涙」は、ラムがすっかり弱ってきて寝たきりの状態になった10月半ばころに書店の店頭でみつけて購入しました。表紙には、ケージの柵越しにカメラをじっと見つめる老犬の写真が使わています。

この世に生を受け、
人間の家庭に迎え入れられてから十数年間、
飼い主を信じ、飼い主を愛し、
飼い主の幸せを願いながら、
ただひたむきに生きてきた老犬たち……。

彼らは、ある日突然、帰る家を失い、
行政施設に収容されます。

そこは大好きな家族のいない、
見知らぬ場所……。

 

ペット大国とされる日本では、いまや人間の子どもよりもペットの犬や猫の方が多いといわれるくらいたくさんのペットが飼われています。その一方で、飼い主である人間の身勝手さによって、捨てられたり、保健所などに持ち込まれて殺処分となってしまうペットもたくさんいます。

子犬のときはかわいかったのに、大きくなってかわいくなくなった。
吠えてうるさいから。
引越し先に連れていけないから。

さまざまな理由で飼い主は愛していたはずの犬を捨てます。世の中の飼い主のすべてが、そういう心無い人たちではありません。まだ生まれたばかりのときに我が家に迎え入れ、その成長を見守り、たくさんの愛や癒やしを受け取り、一緒にたくさん遊んできた犬を最期の時まで愛情深く育て、看取ってきた飼い主の方が圧倒的に多いのが事実です。だけど、ほんの一握りの飼い主の行動が、命を持ち生き物である犬を不幸におとしいれているのも、悲しいことに事実です。

保健所などに持ち込まれる犬たちは、民間ボランティアのサポートなどを受けて新しい飼い主のところに引き取られるケースもあります。でも、新しい飼い主に譲渡されるのは、まだ子犬だったり、成犬であってもまだまだ若くて健康な犬がほとんどです。捨てられた犬の中には、高齢の犬もいます。そういう老犬を引き取ろうという人はほとんどいません。引き取り手のなかった老犬たちは、最終的に殺処分されてしまいます。

老犬になるまで育ててきたのに、なぜ最期の看取りまで世話をしないのだろう? そこには、いまこの国が抱えている問題が深く関わっているように思います。

本書は、老犬が捨てられる理由を4つに分類し、目次としています。

捨てられる理由①:老老介護の破綻
捨てられる理由②:看取り拒否/介護放棄
捨てられる理由③:引っ越し
捨てられる理由④:不明(迷い犬として捕獲・収容されたため)

子どもたちが成長して親としての責務が終わったとか、仕事を定年退職したとか、伴侶を失ったとか、そういう環境の変化をきっかけにして犬を飼うようになった人たちがいます。60代半ばから70代の初めくらいの「まだまだ自分は元気だ」と自負している世代の人たちが、新しい家族として犬を飼い始めるケースはこれからの時代どんどん増えていくだろうと思います。

本書でも指摘されているように、飼い犬が老犬となり介護が必要になるころ、飼い主もまた70代後半や80代の高齢者です。老犬の介護どころか自分の面倒すらみられなくなっているかもしれません。子どもたちも、自分の親の介護でさえ手一杯なのに、老犬の介護までやっていられません。結果、持て余した飼い犬を保健所に引き取ってもらうというのが、「捨てられる理由①:老老介護の破綻」です。

老老介護の破綻は、一方的に飼い主だけを責めることはできない問題です。そして、今後ますます増えるであろう問題でもあります。少子化によって生涯子どもを持たない人もいます。結婚しない人もいます。子どもよりも犬や猫を選ぶ人はこれから増えるでしょう。自分もいずれ年をとるということは、まだまだ健康なときには想像もしません。自分も、これからペットを飼うときには、自分が元気に最期まで面倒みられるかを考えないといけないと思います。

「捨てられる理由②:看取り拒否/介護放棄」は、老老介護の破綻とは事情が違い、人間の身勝手さを感じざるを得ません。
看取り拒否は、「ペットが死ぬところを看取るのが嫌だから」という理由で保健所に老犬を引き取らせる飼い主のことです。大好きなペットが死ぬところをみたくないという気持ちはわからなくもないですが、それまで家族として暮らしてきたペットを死ぬ間際に保健所に持ち込むことは理解できません。人間の身勝手なり靴でしかないと思います。
介護放棄も同じです。人間と同じで老犬も身体の自由がきかなくなったり、認知症になって徘徊したり粗相をしてしまったり無駄吠えをするようになります。我が家のラムも亡くなる直前は自力では起き上がれず排泄もままならなくなりました。でも、介護が大変だから保健所にやってしまおうという発想にはなりませんでした。それが普通の感覚だと思うのですが、世の中には最期まで面倒をみようと思わない飼い主もいるということに驚きます。

「捨てられる理由③:引っ越し」は、少し事情が違います。
いろいろな理由で引っ越しをしなければならなくなるのは仕方のないことです。本書に事例としてあがっているような、ペット可のアパートに住んでいたけれど建て替えなどの理由で退去を求められ、転居先として用意された新居はペット禁止のアパートだった、というケースは仕方ないことかもしれません。「ペット可のアパートを自分で探せばいいじゃないか」「家族や他の引取先をみつければいいじゃないか」と飼い主を責めたくなる気持ちもありますが、家賃の問題や頼れる家族がいないという事情もあるでしょう。なにか助ける方法はないかと悲しくなりました。

さまざまな理由で捨てられる老犬たち。全力で愛し信頼してきた飼い主に捨てられる老犬たちはどんな気持ちなのでしょう。犬の言葉を理解することはできません。でも、きっと悲しんでいるに違いありません。裏切られたという絶望を感じているかもしれません。

老犬たちが穏やかで安らかな最期を迎えられるために、私たちにできることはないのでしょうか?

本書では最後に、老犬たちのために私たちができることとして14項目をあげています。その14項目を紹介してこのレビューの締めくくりとします。

1.終生飼養の覚悟
2.介護サポーターを見つける
3.困ったときは早めに相談
4.犬のための貯蓄
5.犬の健康管理
6.正しいしつけ
7.鑑札と注射済票、迷子札をつける
8.行方不明になったら、すぐに捜索
9.犬の老化現象や、老犬がかかりやすい病気、介護やサポートについて学ぶ
10.老犬の気持ちを理解する
11.万が一のとき、犬を託す人を決めておく
12.老犬を救うボランティア活動に参加する
13.保護された老犬を家族に迎える
14.共生社会の実現

人間も老犬も、すべての生き物が穏やかで楽しく生きられる社会になりますように。

「魔眼の匣の殺人」今村昌弘/東京創元社-「男女二人ずつ、四人が死ぬ」。予知能力を持つとされる老女が告げた予言の通りに人が死んでいく。年末のミステリランキングを席巻した前作に続くクローズドサークルミステリ

 

 

2017年の各種年間ミステリランキングで軒並み1位を獲得し、映画化もされたデビュー作「屍人荘の殺人」に続く第2弾。剣崎比留子と葉村譲のコンビが、またしてもクローズドサークルで発生した殺人事件の謎にせまる本格ミステリ小説である。

 

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shijinsou.jp

前作「屍人荘の殺人」で描かれた事件から数ヶ月後、大学のミステリ研究会での平穏な日常を取り戻していた比留子と葉村だったが、沙可安湖での事件にも関わっていたとされる斑目機関について、新たな情報を入手したことで再び事件に巻き込まれることになる。

斑目機関が、極秘で超能力実験を行っていたという情報を得た比留子の葉村は、その施設があったとされるW県I郡の旧真雁地区のある『好見』という場所へ向かう。その道中、ふたりは今回の事件に一緒に巻き込まれることになる人々と出会う。

未来の出来事を予見して絵にする能力を持つ少女十色真理絵と彼女の後輩でオカルト好きの少年茎沢忍。
ツーリング中にガス欠になり好見を訪れていた王寺貴士。
好見の元住人で墓参りに訪れていた朱鷺野秋子。
大学で社会学教授をしている師々田巌雄とその息子純。

なぜか無人となっている好見で偶然出会った8人は、好見のさらに奥にある『魔眼の匣』と呼ばれる建物を訪れる。そこには、サキミという老女と彼女の世話をする神服奉子という女性、オカルト雑誌「月刊アトランティス」の記者臼井頼太がいた。

物語の登場人物たちが『魔眼の匣』にそろったところで事件が起きる。好見と『魔眼の匣』をつなぐ唯一のルートである橋が何者かによって燃やされたのだ。こうして、葉村たちは『魔眼の匣』に閉じ込められる。クローズドサークルの完成だ。そして、サキミの予言が彼らに告げられる。

十一月最後の二日間に、真雁で男女が二人ずつ、四人死ぬ

これで物語の舞台設定が整った。外部との接続をすべて絶たれ孤立した場所(クローズドサークル)と謎に満ちた恐ろしい予言である。『魔眼の匣』に集った11名以外には誰もその場所には近づけない状況で、サキミの予言どおりに事件は起きる。

まず、臼井頼太が地震による落石に巻き込まれる。
次に、サキミが毒を盛られる。
次に、十色真理絵が銃で撃たれ、動揺した茎沢は、半狂乱になり鬱蒼とした真雁の林に姿を消す。
そして、比留子が姿を消し、彼女のスニーカーとストールが轟々と勢いを増す滝のほとりで発見される。

果たして、彼らの死や失踪は連続した事件なのか、それとも偶然の事故の連鎖なのか。そして、一連の事件・事故は本当にサキミの予言が現実化したものなのか。サキミと斑目機関の関係は?

前作「屍人荘の殺人」が、読者の度肝を抜くような、賛否の分かれる設定の中で起きる事件を描いていたが、本作「魔眼の匣の殺人」も前作よりはスケールダウンしているが、かなり現実離れした設定になっている。前作よりは多少現実味はあるかもしれないが。

「屍人荘の殺人」「魔眼の匣の殺人」は、それぞれに閉ざされた空間で起きる謎の殺人事件を探偵コンビが解き明かすミステリ小説である、一方で、シリーズとしては、斑目機関という組織と剣崎比留子の関係が謎として提示されている。比留子には、「奇怪な事件を引き寄せる」体質をもっていて、その体質の謎に斑目機関が関わっているのではないかという謎だ。これは、剣崎比留子と斑目機関との戦いの物語でもある。

本シリーズのような本格ミステリ小説はあまり得意ではないのだが、本作については2019年2月に行われた「東京創元社2019年新刊ラインナップ発表会」で作者の今村昌弘氏が登壇され、会場では特別先行発売が行われるなど、東京創元社イチオシの国内ミステリとして紹介されていたことや、前作「屍人荘の殺人」が映画化されるなど話題になっていたこともあり、年末年始に手にとってみた。本格ミステリへの苦手意識は変わらないが、小説としてはとても読みやすかった。

 

 

 

「うもれる日々」橋本亮二/十七時退勤社-繁茂するデスクにうもれる出版営業のうもれない日々を記したエッセイ

 

liondo.thebase.in

著者の橋本さんと最初にお会いしたのは、双子のライオン堂で開催された「本を贈る」(三輪舎)の読書会でした。橋本さんも出版営業という立場で「本を贈る」に執筆していて、読書会のゲストとして参加されていました。読書会後の打ち上げでいろいろとお話をさせていただいたのを覚えています。

 

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その後、2019年3月の「本のフェス」や7月の「BOOK MARKET」の会場などでお会いする機会があって、そのたび少しずついろいろな話をさせていただきました。その橋本さんが、2019年11月の「文学フリマ」に出店することになり、作られたZINEが本書「うもれる日々」になります。版元は、橋本さんが社長、製本会社勤務の笠井留美子さん(「本を贈る」執筆者のおひとり)が副社長となっている『十七時退勤社(じゅうななじたいきんしゃ)』です。

吉祥寺にある「BOOKSルーエ」の店長花本武さん(「十七時退勤社」顧問)から「ハッシさんも文学フリマやろうよ」と誘われてスタートした出店への道。少しずつ書かれてきたエッセイのひとつひとつに、橋本さんのさまざまな思いが感じられます。

文学フリマ出店に向けて、「BOOKSルーエ」の花本さん、副社長の笠井さんとあれこれと話している様子を記したエッセイからは、3人が十七時退勤社のことを心底楽しんでいることが伝わってきます。

ご自身が子どもだった頃のゲームの話を記した「九〇年代の頃」は、世代や家族構成は全然違うけれど、私にも同じような経験があって親近感がわきますし、ご自身の子どもたちと過ごす夏の話も微笑ましい。そして、大好きな高校野球の話も。

とりとめもない日常は誰にでもある当たり前の日常なのだけど、こうしてエッセイとして読むと、当たり前だからこそ嬉しかったり楽しかったり悲しかったりするのだなと感じます。誰かの楽しかったり悲しかったりを読んで共感できるところがエッセイの魅力なのだと思います。「うもれる日々」はそういう共感が強いように思えます。

橋本さんは、出版営業で各地の本屋さんに足を運ぶと何かしら本を買うと言います。だから読書量も多い。「うもれる日々」でも読んできたさまざまな本について書いています。

岸政彦「図書室」
ルシア・ベルリン/岸本佐知子訳「掃除婦のための手引き書」
絲山秋子「夢も見ずに眠った。」

『出版社の営業であること』というエッセイの中では、いくつかの本のタイトルを並べてこう書いています。

挙げていけばきりがないのだが、これらのタイトルがいつも頭の中をめぐっていて、心がアラートを出す手前に知らずのうちに寄り添ってくれることがとてもありがたい。
右記のものはすべて読んでいる。繰り返し読んでいるものであるけれど、積読であったり、書店で見かけてタイトルをぼんやりと記憶しているだけのものでもそうだと思う。言葉はいつもひとを助けるからだ。

言葉がひとを助ける、というのは本当にそうだなと思います。私が本を読む理由で大きいのも、ページに書かれている言葉の数々で苦しかったり辛かったりするときに自分が救われるような気がするからだと思うのです。本は、たくさんの気づきを与えてくれます。本は、たくさんの知識を与えてくれます。ときには間違うことがあるけれど、基本的に本は私たちを裏切らないと思っています。

出版営業として本を届ける仕事をしてきた橋本さんは、本が読者に与えるパワーをよく知っているのだと思います。十七時退勤社というレーベルから自分で本を作ることで、そのパワーをよりいっそう実感したのではないかと思います。

十七時退勤社は、今後も年に1冊程度、秋の文学フリマに合わせて新刊を出していくことを考えているそうです。2020年の秋にどんな作品ができあがるのか。今から楽しみにしています。

 

 

 

 

 

「【改訂完全版】アウシュヴィッツは終わらない これが人間か」プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳/朝日新聞出版-アウシュヴィッツから生還した著者が記憶をもとに執筆した悲劇を二度と起こさぬために語り継ぐべき記録。

 

 

アウシュヴィッツやその他のユダヤ強制収容所で起きた悲劇については、数多くの作品が発表されてきた。フィクション、ノンフィクション、映像作品、文芸作品、その他さまざまな形で悲劇は語り継がれているし、これからも未来永劫語り継がれ続ける。

「これが人間か 改訂完全版アウシュヴィッツは終わらない」の著者プリーモ・レーヴィは、1944年にアウシュヴィッツに送られ、1945年にソ連軍によって強制収容所から解放されるまでのおよそ1年間を生き延びた。解放後自宅に戻った著者は、記憶を頼りに本書の執筆をはじめ、1947年に出版された。その後、1958年に第2版が刊行され、これが現在に至るまで読まれ続けている。

本書に記されているのは人間にとってもっとも苛烈な地獄だ。人間が人間としての尊厳をすべて奪われ、心を蝕まれ、考える力生きる力を失っていく。強制収容所の極限の中では、人間はこんなにも変わってしまうのか。

そういう人間の壊れていく様を、著者は自らの記憶から記録へと刻んでいく。アウシュヴィッツで体験したことをすべて残そうとする。それは、著者のみた地獄が忘れられてはいけない歴史だからだ。けっして忘れてはいけない、忘れられてはいけないことだからだ。強制収容所で命を失った者たち、心を壊された者たち、未来を奪われた者たちがいたことを次の世代の人たちに語り継いでいくために本書は書かれたのだと思う。

本書冒頭に掲げられた詩文が印象的だ。以下に全文を引用する。

暖かな家で
何ごともなく生きているきみたちよ
夕方、家に帰れば
熱い食事と友人の顔が見られるきみたちよ。

これが人間か、考えてほしい
泥にまみれて働き
平安を知らず
パンのかけらを争い
他人がうなずくだけで死に追いやられるものが。
これが女か、考えてほしい
髪は刈られ、名はなく
思い出す力も失せ
目は虚ろ、体の芯は
冬の蛙のように冷えきっているものが。

考えてほしい。こうした事実があったことを。
これは命令だ。
心に刻んでほしい
家にいても、外に出ていても
目覚めていても、寝ていても、
そして子供たちに話してやってほしい。

さもなくば、家は壊れ
病が体を麻痺させ
子供たちは顔を背けるだろう。

 

日本でも、戦争が終わってから75年が経過して、戦争を体験した人たちはみな高齢となっている。戦争がいかに悲惨なことか、戦争がいかに人間の尊厳を踏みにじることか、戦争がいかにすべてを破壊するか。もう二度と戦争はしてほしくないと戦争体験者は口をそろえて言う。私たち戦争を知らない世代は、彼らの声をしっかりと聞かなければいけない。そして子どもたちに語り継いでいかなければいけない。

戦争の恐怖、戦争の地獄を語り継いでいくことが、とても大切なことなのだと思った。引用した詩文には、著者のそういう気持ちが強く込められている。

「嵐をしずめたネコの歌」アントニア・バーバー作、ニコラ・ベイリー絵/おびかゆうこ訳/徳間書店-イギリスに古くから伝わる伝説をもとにした物語。大嵐で荒れ狂う海に出た老いた漁師とネコの運命は?

 

 

この作品は、イギリスのコーンウォール地方に古くから伝わる、トム・バーコックという漁師の伝説をもとにした創作です。

本書「嵐をしずめたネコの歌」冒頭の謝辞で、作者のアントニア・バーバーはそう記しています。今からおよそ500年前にイギリスのコーンウォール地方にあるマウスホール村に暮らしていたトム・バーコックという漁師が大嵐に襲われて食料がなくなってしまった村のために命がけで漁に出て、魚をとって村を救ったという伝説です。

「嵐をしずめたネコの歌」の舞台もマウスホール村です。その村に、トムという年老いた漁師とモーザーという老猫がいっしょに暮らしていました。モーザーは、たくさんの子どもを産んだめすネコです。トムとモーザーはなかよく暮らしていました。

トムはとても腕のよい漁師です。トムは、モーザーのためにとってきた魚でいろいろな料理をつくってくれました。シチューやグリル、この地方の名物料理イワシのパイです。

ある冬にたいへんなことが起こります。大きな嵐におそわれたのです。

〈嵐の大ネコが、あばれだしたんだわ!〉

モーザーは気づきます。大嵐はいつまでも続いて、漁師たちは海にでられなくなります。食べるものがどんどんなくなっていきました。このままではたいへんなことになってしまいます。トムは、命がけで涼に出ることを決意します。モーザーもいっしょです。こうして、トムとモーザーの嵐の大ネコとの命がけの戦いが始まったのでした。

トムとモーザーが、いかにして嵐の大ネコに立ち向かい、マウスホール村の人々を救ったのか。その顛末をここに書いてしまうと、この物語を読む意味がなくなってしまいますので、このレビューでは割愛します。本書のタイトルが「嵐をしずめたネコの歌」となっているところから、なんとなく察せられると思います。

作者の謝辞や訳者あとがきにあるように、この物語の元となったのは実際にあったトム・バーコックの伝説です。ネットで調べてみると、この物語にも登場するイワシのパイが、トム・バーコックの勇気を讃えて作られた『スターゲイジーパイ』であるという記述をみつけることができます。

『スターゲイジーパイ』という名前を聞いても馴染みがないのでピンときません。この物語の中ではこんなふうに説明されています。

コーンウォールの名物料理、星空を見あげるイワシのパイ。パイ生地から頭をつき出したイワシが、まるで星空をながめているように見えるのです。

本書54ページのイラストにイワシのパイが描かれています。また、ネットで『スターゲイジーパイ』を画像検索すると写真もたくさん見つかります。見た目のインパクトはなかなかなものです。個人の感想ですが、あまり美味しそうな感じはしませんね(コーンウォール地方出身の方がいたらごめんなさい)。

スターゲイジーパイのインパクトはなかなかなものですが、ひとりの勇敢な漁師の伝説が、その地方で長く讃えられて名物料理まで生み出したのですから、トム・バーコックがいかにコーンウォール地方の人々に愛されているかがわかります。

イワシのパイの話にとんでしまいましたが、「嵐をしずめたネコの歌」の物語の魅力はそれだけではありません。この物語は、年老いた漁師トムと老猫モーザーの愛情と勇気に満ちたお話です。長く生活をともにした老人とネコ。その信頼関係は、現実の世界にもある関係だと思います。ひとりと一匹がともに手を携えて、嵐の大ネコに立ち向かう姿、そしてその結末。トムとモーザーの物語は、いつまでもマウスホール村の人々に語り継がれることでしょう。トム・バーコックの伝説のように。

 

「りこうすぎた王子」アンドリュー・ラング/福本友美子訳/岩波少年文庫-おりこうさんは褒められる。でも、りこうすぎると嫌われる。

 

 

子どもがなにか良いことをしたとき「○○ちゃんはおりこうさんだね!」とほめられる。だけど、度を過ぎてかしこいと逆にムッとしてしまうことがある。子どもというのは、適度におバカで、適度にかしこいくらいが大人から見ると可愛かったりするのだろう。

プリジオ王子は、パントウフリアという国をおさめるグログニオ王とお妃さまの間にようやく授かった男の子だ。王さまは、プリジオ王子の洗礼式には妖精たちを招待したいと考えていたが、妖精の存在を信じないお妃さまは聞く耳を持たない。洗礼式の日、招待したはずの貴族たちが誰もこない中で妖精たちが次々とやってきた。妖精たちは、プリジオ王子にさまざまな贈り物を与える。

いくらつかっても空にならない『さいふ』
たった一歩で千里の道を行くことができる『千里ぐつ』
かぶると誰からも姿がみえなくなる『かくれぼうし』
かぶると願い事がかなう『ねがいぼうし』
上に乗って行きたい場所をいうとそこに運んでくれる『まほうのじゅうたん』

他にもたくさんの贈り物が与えられる中、不機嫌な妖精が最後にプリジオ王子にこういう。

「王子よ、おまえはりこうすぎる王子になるがいい!」

こうして、プリジオ王子はとてもりこうな王子になった。りこうすぎて国中のひとたちから嫌われるくらいになる。

人間とは、たとえそれが正論であったとしても、面と向かって自分の考えや行為を否定されると腹が立つものだ。アンドリュー・ラング「りこうすぎた王子」のプリジオ王子は、あまりにりこうすぎて正論を相手にぶつけてしまうため、誰からも嫌われる王子になっていた。父のグログニオ王に対しても文句をいうので、腹を立てた王さまからりこうすぎると横っ面を張り飛ばされるほどだ。(幼い息子に正論を吐かれて腹立ち紛れにビンタするって、この王さまはずいぶんと心が狭いなw)

父である王さまにまで嫌われたプリジオ王子は、とうとうお城にたったひとり残されてしまう。お金も着るものも食べ物も家来もない。だが、王子は屋根裏部屋であるものをみつける。それは、王子の洗礼式で妖精たちから贈られた品々だった。それらをつかって町にでた王子は、そこでロザリンドという娘に出会い恋におちる。

ロザリンドの登場が王子の性格を変える。りこうすぎることには変わりはないが、ロザリンドには嫌われたくないので、それまでにみせていた態度を彼女に対してはとらなくなる。どんなにかしこい人も、恋におちれば自分を偽れるということだろうか。

ロザリンドと出会ったあとのプリジオ王子は、妖精たちから贈られた品々をつかってファイアードレイクを倒し、最後は幸せな結末を迎えることになる。国中の嫌われ者だったりこうすぎる王子を人間として成長させたのは、愛の力だったということだ。

りこうすぎるから嫌われる、というのはなんだか釈然としないところがある。とくに、プリジオ王子に対する父のグログニオ王の態度は実に大人げない。プリジオ王子が嫌いで王位を継がせたくないからと、危険なファイアードレイク退治に行かせようとしたり、お金も食べ物何一つ残さずに王子をたったひとり城に残して出ていってしまうなど、父親としては最低の人物だ。今の時代なら児童虐待である。

この物語は、プリジオ王子というキャラクターを読者がどう捉えるかで印象や評価がだいぶ違ってくる作品だ。私も最初は、グログニオ王ほどではないけれどプリジオ王子のりこうすぎる態度にはところどころでムカついた。だが、話が進んでいくと次第にグログニオ王の大人げない態度のほうが気になりだして、いつの間にか王子の方を応援したくなっていった。ロザリンドと出会って以降の王子の活躍は、素直に楽しく感じた。最後の収め方も思わずニヤリとしてしまった。

物語を読み進む中で、こうしていくつも楽しめるポイントがあるのは、作者のアンドリュー・ラングの力なのだろう。以前に、「夢と幽霊の書」を読んだが、幽霊譚と童話の違いはあれど物語としての面白さには共通するところがあると感じた。100年以上前に書かれた作品の多くが、今なお読まれ続けているところにアンドリュー・ラングという作家の魅力があるのだろうと思う。

「iレイチェル」キャス・ハンター/芹澤恵訳/小学館-この物語には『アイ』が溢れている

 

 

『はじめての海外文学vol.5』で訳者の芹澤恵さんが推薦している作品。南アフリカ生まれのイギリス人作家によるキャス・ハンター名義での初の著作にあたる。

AI研究機関〈テロス〉でアンドロイド開発に携わっていたレイチェル・プロスパーは、夫のエイダン・ソーヤーと結婚記念日を祝った翌日に急死する。残されたエイダンとひとり娘のクロエが、レイチェルを失った悲しみにくれていると、彼女と一緒にアンドロイド開発を進めていたルークが現れ、伝えたいことがあるので研究室に来るようにと言う。エイダンが〈テロス〉の研究室で出会ったのは、レイチェルにそっくりに作られたアンドロイド〈アイ・レイチェル〉だった。

突然愛する人を失ってしまったら、そして、その愛すべき人とそっくりのアンドロイドが目の前に現れたら?

「iレイチェル」に描かれるのは、将来現実に起こるかもしれない世界の物語だ。それも、そう遠からぬ未来に起こるかもしれない。今年(2019年)の紅白歌合戦には、AIによってよみがえった美空ひばりが出場するという。彼女の声や歌い方の癖、仕草などをAI技術によって再現した〈AI美空ひばり〉が新曲を歌うというのだ。生身の身体をよみがえらせることはできないが、話し声や歌声は再現できる技術がすでに確立されてきている。

アイ・レイチェルは、生みの親であるレイチェルからあるミッションを託されていた。多くの人との対話的交流を通じてAIとして成長させるミッションだ。レイチェルのメッセージは、そのためにアイ・レイチェルを自宅に連れ帰り一緒に暮らしてほしいというものだった。

こうして、エイダンとクロエ、そして死んだレイチェルにそっくりなアンドロイド〈アイ・レイチェル〉は一緒に暮らし始める。

アイ・レイチェルの存在は、エイダンとクロエにとって異物であり、困惑でしかない。愛する妻であり愛する母であったレイチェルを失ったばかりのふたりにとっては、レイチェルが実験のために開発中のアンドロイドをふたりに託したことだけでも重荷なのに、そのアンドロイドはレイチェルにそっくりなのだ。そう簡単に受け入れられるものではない。

それでも、彼らは次第の状況を受け入れていく。アイ・レイチェルにレイチェルが残したさまざまな情報やメッセージが、エイダンの悲しみに寄り添い、クロエの苦しみを癒やし未来への道筋を与えてくれる。アイ・レイチェルを通じて、仕事人間だったレイチェルが、家族のことや家のことをいつも考えていたことを知り、彼女の愛情の深さに気づかされていく。

「iレイチェル」は『愛』の物語だ。夫婦愛、親子愛、家族愛の物語だ。愛する人を亡くした喪失感や親友に裏切られたときの絶望感、老いた母親が認知症で少しずつ記憶を失っていくことへの不安感を癒やしてくれるのは愛なのだ。

ただ、この物語がハッピーエンドに向かうとは限らない。そこにはどうしても越えられない壁がある。どんなに彼らが互いを愛しても、アイ・レイチェルがアンドロイドであるという現実から目を背けることはできない。その現実の中で、彼らが最後にどのような結末を迎えるのか。エイダンたちとの交流的対話によってAIアンドロイドとしてバージョンアップしたアイ・レイチェルが自ら決断した結末。そこには、アイ・レイチェルとしての自我が感じられたように思った。

著者のキャス・ハンターには、劇作家としてのキャリアがあるという。「iレイチェル」は映像作品向きの作品だと思う。映画化されたら面白いのではないか思った。