タカラ~ムの本棚

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「iレイチェル」キャス・ハンター/芹澤恵訳/小学館-この物語には『アイ』が溢れている

 

 

『はじめての海外文学vol.5』で訳者の芹澤恵さんが推薦している作品。南アフリカ生まれのイギリス人作家によるキャス・ハンター名義での初の著作にあたる。

AI研究機関〈テロス〉でアンドロイド開発に携わっていたレイチェル・プロスパーは、夫のエイダン・ソーヤーと結婚記念日を祝った翌日に急死する。残されたエイダンとひとり娘のクロエが、レイチェルを失った悲しみにくれていると、彼女と一緒にアンドロイド開発を進めていたルークが現れ、伝えたいことがあるので研究室に来るようにと言う。エイダンが〈テロス〉の研究室で出会ったのは、レイチェルにそっくりに作られたアンドロイド〈アイ・レイチェル〉だった。

突然愛する人を失ってしまったら、そして、その愛すべき人とそっくりのアンドロイドが目の前に現れたら?

「iレイチェル」に描かれるのは、将来現実に起こるかもしれない世界の物語だ。それも、そう遠からぬ未来に起こるかもしれない。今年(2019年)の紅白歌合戦には、AIによってよみがえった美空ひばりが出場するという。彼女の声や歌い方の癖、仕草などをAI技術によって再現した〈AI美空ひばり〉が新曲を歌うというのだ。生身の身体をよみがえらせることはできないが、話し声や歌声は再現できる技術がすでに確立されてきている。

アイ・レイチェルは、生みの親であるレイチェルからあるミッションを託されていた。多くの人との対話的交流を通じてAIとして成長させるミッションだ。レイチェルのメッセージは、そのためにアイ・レイチェルを自宅に連れ帰り一緒に暮らしてほしいというものだった。

こうして、エイダンとクロエ、そして死んだレイチェルにそっくりなアンドロイド〈アイ・レイチェル〉は一緒に暮らし始める。

アイ・レイチェルの存在は、エイダンとクロエにとって異物であり、困惑でしかない。愛する妻であり愛する母であったレイチェルを失ったばかりのふたりにとっては、レイチェルが実験のために開発中のアンドロイドをふたりに託したことだけでも重荷なのに、そのアンドロイドはレイチェルにそっくりなのだ。そう簡単に受け入れられるものではない。

それでも、彼らは次第の状況を受け入れていく。アイ・レイチェルにレイチェルが残したさまざまな情報やメッセージが、エイダンの悲しみに寄り添い、クロエの苦しみを癒やし未来への道筋を与えてくれる。アイ・レイチェルを通じて、仕事人間だったレイチェルが、家族のことや家のことをいつも考えていたことを知り、彼女の愛情の深さに気づかされていく。

「iレイチェル」は『愛』の物語だ。夫婦愛、親子愛、家族愛の物語だ。愛する人を亡くした喪失感や親友に裏切られたときの絶望感、老いた母親が認知症で少しずつ記憶を失っていくことへの不安感を癒やしてくれるのは愛なのだ。

ただ、この物語がハッピーエンドに向かうとは限らない。そこにはどうしても越えられない壁がある。どんなに彼らが互いを愛しても、アイ・レイチェルがアンドロイドであるという現実から目を背けることはできない。その現実の中で、彼らが最後にどのような結末を迎えるのか。エイダンたちとの交流的対話によってAIアンドロイドとしてバージョンアップしたアイ・レイチェルが自ら決断した結末。そこには、アイ・レイチェルとしての自我が感じられたように思った。

著者のキャス・ハンターには、劇作家としてのキャリアがあるという。「iレイチェル」は映像作品向きの作品だと思う。映画化されたら面白いのではないか思った。