タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

「りこうすぎた王子」アンドリュー・ラング/福本友美子訳/岩波少年文庫-おりこうさんは褒められる。でも、りこうすぎると嫌われる。

 

 

子どもがなにか良いことをしたとき「○○ちゃんはおりこうさんだね!」とほめられる。だけど、度を過ぎてかしこいと逆にムッとしてしまうことがある。子どもというのは、適度におバカで、適度にかしこいくらいが大人から見ると可愛かったりするのだろう。

プリジオ王子は、パントウフリアという国をおさめるグログニオ王とお妃さまの間にようやく授かった男の子だ。王さまは、プリジオ王子の洗礼式には妖精たちを招待したいと考えていたが、妖精の存在を信じないお妃さまは聞く耳を持たない。洗礼式の日、招待したはずの貴族たちが誰もこない中で妖精たちが次々とやってきた。妖精たちは、プリジオ王子にさまざまな贈り物を与える。

いくらつかっても空にならない『さいふ』
たった一歩で千里の道を行くことができる『千里ぐつ』
かぶると誰からも姿がみえなくなる『かくれぼうし』
かぶると願い事がかなう『ねがいぼうし』
上に乗って行きたい場所をいうとそこに運んでくれる『まほうのじゅうたん』

他にもたくさんの贈り物が与えられる中、不機嫌な妖精が最後にプリジオ王子にこういう。

「王子よ、おまえはりこうすぎる王子になるがいい!」

こうして、プリジオ王子はとてもりこうな王子になった。りこうすぎて国中のひとたちから嫌われるくらいになる。

人間とは、たとえそれが正論であったとしても、面と向かって自分の考えや行為を否定されると腹が立つものだ。アンドリュー・ラング「りこうすぎた王子」のプリジオ王子は、あまりにりこうすぎて正論を相手にぶつけてしまうため、誰からも嫌われる王子になっていた。父のグログニオ王に対しても文句をいうので、腹を立てた王さまからりこうすぎると横っ面を張り飛ばされるほどだ。(幼い息子に正論を吐かれて腹立ち紛れにビンタするって、この王さまはずいぶんと心が狭いなw)

父である王さまにまで嫌われたプリジオ王子は、とうとうお城にたったひとり残されてしまう。お金も着るものも食べ物も家来もない。だが、王子は屋根裏部屋であるものをみつける。それは、王子の洗礼式で妖精たちから贈られた品々だった。それらをつかって町にでた王子は、そこでロザリンドという娘に出会い恋におちる。

ロザリンドの登場が王子の性格を変える。りこうすぎることには変わりはないが、ロザリンドには嫌われたくないので、それまでにみせていた態度を彼女に対してはとらなくなる。どんなにかしこい人も、恋におちれば自分を偽れるということだろうか。

ロザリンドと出会ったあとのプリジオ王子は、妖精たちから贈られた品々をつかってファイアードレイクを倒し、最後は幸せな結末を迎えることになる。国中の嫌われ者だったりこうすぎる王子を人間として成長させたのは、愛の力だったということだ。

りこうすぎるから嫌われる、というのはなんだか釈然としないところがある。とくに、プリジオ王子に対する父のグログニオ王の態度は実に大人げない。プリジオ王子が嫌いで王位を継がせたくないからと、危険なファイアードレイク退治に行かせようとしたり、お金も食べ物何一つ残さずに王子をたったひとり城に残して出ていってしまうなど、父親としては最低の人物だ。今の時代なら児童虐待である。

この物語は、プリジオ王子というキャラクターを読者がどう捉えるかで印象や評価がだいぶ違ってくる作品だ。私も最初は、グログニオ王ほどではないけれどプリジオ王子のりこうすぎる態度にはところどころでムカついた。だが、話が進んでいくと次第にグログニオ王の大人げない態度のほうが気になりだして、いつの間にか王子の方を応援したくなっていった。ロザリンドと出会って以降の王子の活躍は、素直に楽しく感じた。最後の収め方も思わずニヤリとしてしまった。

物語を読み進む中で、こうしていくつも楽しめるポイントがあるのは、作者のアンドリュー・ラングの力なのだろう。以前に、「夢と幽霊の書」を読んだが、幽霊譚と童話の違いはあれど物語としての面白さには共通するところがあると感じた。100年以上前に書かれた作品の多くが、今なお読まれ続けているところにアンドリュー・ラングという作家の魅力があるのだろうと思う。