タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

母袋夏生編訳「お静かに、父が昼寝をしております ユダヤの民話」(岩波書店)-ひとつひとつの民話のどこかに今でも教訓となることが必ずあると感じられる民話集

『はじめての海外文学vol.4』で、編訳者でもある母袋夏生さんが推薦しているのが本書「お静かに、父が昼寝をしております」です。

この民話集は、大きく2つのパートに分かれています。ひとつは「各地に伝わるユダヤの民話」で、もうひとつは「『創世紀』のはなし」です。両パート合わせて38篇の物語が収録されています。

ユダヤ人が、世界中に暮らしていることはよく知られています。アメリカにも、ヨーロッパにも、アラブ圏の国々にも、ユダヤ人は暮らしていてコミュニティを形成しています。本書にある数々の民話も、ブルガリア、イラン、ロシア、ドイツ、イスラエル、モロッコ、等々の国々に伝承される物語です。

ユダヤの民話に限らず、古くから言い伝えられてきた民話には、現代の社会に対する警鐘を含むものや遠い過去に記された物語であるにもかかわらず今の時代を予言したかのような話があって、読んでいてドキッとすることがあります。それは、日本のおとぎばなしでもそうでしょうし、欧米の昔話もそうだと思います。

本書に収められている民話の中で、読んでいて印象に残った作品はいくつもあります。

「死神の使い」という民話があります。あるとき、アラブの男の夢枕に抜き身の剣を手にした男があらわれます。男は死神と名乗り「この剣で魂をもらいにきた」と言います。死神の言葉に男は「子どもたちに財産を遺してやれるくらいになるまで待ってほしい」と懇願し、死神はそれを許します。そのときに男は「次にくるときは前もって使いをよこしてほしい」とお願いするのです。やがて年月がたち、男は子どもや孫に囲まれて暮らし、いつしか老いていきます。すると再び死神が男の前にあらわれるのです。男は死神に訴えます、次にくるときは前もって使いをよこすようにお願いしたはずだと。すると死神は、使いなら来たはずだと告げるのです。その使いとは...。

人間は老いていきます。老いることでいろいろなことがその身に起きます。若い頃のようにいつまでも元気でいたいと思っても、なかなか思うようにはいかないのです。それこそが死神の言う『使い』なのです。

最近、働き方改革の必要性が声高に言われるようになっています。なかでも『生産性の向上』は様々な企業が取り組むべき課題の筆頭です。かくいう私が勤める会社でも生産性をどうあげるかに四苦八苦しています。

「二ズウォティのモイシュ」は、現代の生産性問題を語っているように読めました。ある商人のところに同じ名前のモイシュというふたりの若い男が働いていました。やっている仕事は同じですが、ひとりは週2ズウォティ、もうひとりは週6ズウォティの給料でした。同じ仕事なのに給料に差があることに不満をいうモイシュに商人はある仕事を任せます。週2ズウォティのモイシュは、ひとつ用事を片付けては商人の指示をもらって次の仕事をするので非効率的です。次に商人は、同じ仕事を週6ズウォティのモイシュに任せます。すると、こちらのモイシュは1回の作業で全部の仕事を片付けてしまうのです。ふたりの生産性の違いは明白です。これが、ふたりの給料の違いなのです。

この物語からは、今私たちがどう効率的に働くべきかが示されていると思います。今の自分の仕事のやり方を見直すきっかけになる話だと思いました。

後半のふたつめのパートは「旧約聖書」にある「創世紀」の話を読みやすく、わかりやすくしたものが収録されています。神様が昼と夜をつくった話。アダムとエバが楽園を追放されるに至った話。カインとアベルの物語。ノアの方舟の物語。どれも、話としては知っているけれど詳しい内容まではわかっていない話であり、キチンと物語として読む機会もなかった話だと思います。私は今回はじめて、ちゃんと物語として創世紀の話を読んだので、とても新鮮で面白かったです。

ユダヤの民話も創世紀も、どうしても宗教色が強いように感じられるし、まして「旧約聖書」を読み通すような気概も持ち合わせない軟弱な読者としては、このような機会に、しかも『岩波少年文庫』という読みやすい形の作品として手にとれたことは、とても良い経験だったと思います。『はじめての海外文学』にふさわしい一冊ではないかと思いました。

 

トレバー・ノア/齋藤慎子訳「トレバー・ノア 生まれたことが犯罪!?」(英治出版)- 白人の父と黒人の母の間に生まれたトレバー・ノアの半生は、強くてたくましい母によって育まれた。

冒頭に『背徳法』という法文が掲載されている。まずは、その全文を記しておく。

欧州人と現地人のあいだにおける
性行為およびその他の関連行為を禁止する法律。

英国王陛下、南アフリカ連邦上院および下院は次のように制定する。
1.現地女性と性行為を持つ欧州男性、また、欧州女性と性行為を持つ現地男性は、違法行為の罪で6年を上限とする禁固刑に処する。
2.欧州男性に性行為を許す現地女性、また、現地男性に性行為を許す欧州女性は、違法行為の罪で4年を上限とする禁固刑に処する。

 

「トレバー・ノア 生まれたことが犯罪」の著者であるトレバー・ノアは、南アフリカヨハネスブルグにドイツ系スイス人の父ロバートと黒人である母パトリシアの間に生まれた。彼が生まれたのは1984年。その時代の南アフリカには、アパルトヘイト政策があり、先述した『背徳法』もまだ施行されていた。白人と黒人の混血であるトレバーは、まさに『生まれたことが犯罪』だったのである。

本書は、トレバー・ノアの半生を綴った自叙伝である。

混血児として生まれたトレバーは、白人とも黒人とも違う『カラード』という微妙な存在である。それでも、彼は持ち前の明るさやバイタリティで世の中をうまく立ち回っていく。ちょっと、いや相当な悪童で、犯罪スレスレどころか完全にアウトな行為にも手を染めたりする。冷静に考えれば、眉をしかめたくなるようなこともやってきたことが、本書には赤裸々に記されている。

トレバーが生きる上で大きな影響を与えたのが、母パトリシアの存在だ。アパルトヘイトで黒人が徹底的に差別された時代に、パトリシアは正面から社会と闘っている。トレバーに対する姿勢も厳しい。それは、彼女の気の強さもあるだろうが、白人優位黒人差別の南アフリカで生き抜くための厳しさでもある。

非人間的ともいえる差別が描かれるとき、その描写には、作者のつらさや悲しさ、憤りが込められていることが多い。そういう描写を読んでいると、こちらもつらく感じたりするものだ。だが、本書からはそういう悲壮感のようなものは感じられない。それは、著者のトレバー・ノアがスタンダップコメディアンであり、本書の語り口も軽妙なユーモラスがあふれる描写になっているからだ。

それでも、ただ笑い飛ばしているわけではない。アパルトヘイト政策がもたらした弊害(黒人への教育の不足、隔離政策をとったことによる黒人同士の対立など)や貧しい生活の中で生きるために犯罪に手を出さなければならない事情など、読んでいて考えさせられる話もたくさんある。

軽妙な語り口にたくさん笑いながら、差別の愚かしさのこともじっくりと考えさせられる。本書はそういう一冊だと感じた。

エリザベス・ウェイン/吉澤康子訳「ローズ・アンダーファイア」(東京創元社)-ひとりの少女の人生を狂わす強制収容所での過酷な現実におもわず目を背けたくたる。しかし、それが戦争の現実。

「コードネーム・ヴェリティ」を読んだ余韻をもったまま、姉妹編となる「ローズ・アンダーファイア」を読んだ。「コードネーム・ヴェリティ」が、伏線とその回収の見事さを含みつつ、戦争文学、青春と友情の物語として傑作と感じただけに、本書も期待して読んだ。その期待は、間違っていなかった。

 

s-taka130922.hatenablog.com

 

主人公は、イギリス補助航空部隊に所属するアメリカ人飛行士のローズ・モイヤー・ジャスティス。本書は彼女の手記の形をとっていて、大きく3つのパートにわかれている。

「第一部 サウサンプトン」では、まだほんとうの意味での戦争の怖さを実感していないときのローズが描かれる。戦争の最中であっても、ローズは少女らしい恋愛を経験し、仲間や家族との幸せも感じられている。第一部で描かれる彼女の姿は、それゆえに、第二部で描かれる苛酷な強制収容所での日々をより一層残酷にみせる伏線のようにも思える。

「第二部 ラーフェンスブリュック」で描かれる強制収容所での苛酷な日々は、まさに地獄絵図だ。身ぐるみを剥がされ、髪を刈り落とされてラーフェンスブリュック強制収容所に入れられたローズが見たのは、シュモーツィッヒと呼ばれる物乞いたちの姿であり、人間としての尊厳を奪われる地獄であった。

その地獄で、ローズはローザという名前のポーランド人の少女と出会う。ローズは、ローザの足をみて驚愕する。

彼女の両脚は半分に割れていたのだ。見たところ、そんなふうだった。両方のふくらはぎに、膝裏から足首にかけて、指の第二関節まで入れられそうな深くて長い裂け目があった。

 

人体実験の材料とされたローズたちポーランド人の少女は“ウサギ”と呼ばれている。足の筋肉を削ぎ落とされたり、骨を切り取られたり、想像するのもおぞましい人体実験の数々には、思わず目を背けたくなる。

強制収容所での日々は、確実にローズの人生を狂わす。明るかった性格も失われ、恐怖のトラウマだけが彼女を支配する。強制収容所を仲間とともに脱走し保護されたローズは、パリのホテル・リッツの部屋に閉じこもり、強制収容所での日々を書き記していく。書くことで、彼女は少しずつ自分を取り戻しているのだ。

そして、「第三部 ニュルンベルク」では、ローズたちの再生が描かれる。

ドイツから帰還して1年半後、ローズはニュルンベルクで行われる国際軍事裁判の傍聴人席にいた。ローズの隣りにはローザがいる。ふたりの目の前では、強制収容所で“ウサギ”たちに行われた残虐な人体実験の裁判が進行していた。証言台には、実験により身体を傷つけられたウサギたちがいる。その姿は、ローズとローザに勇気を与える。読者である私たちに勇気を与える。そして、そのときからローズたちの新しい人生が始まっていく。再生の日々が始まっていく。

この物語は、大筋ではフィクションである。しかし、著者があとがきで記しているように、ラーフェンスブリュックは現実にあったことであり、ウサギたちに対する残虐な人体実験もナチスが実際に行ったことだ。これは、戦争の現実を私たちに伝えるために著者が記した叫びでもあるのだ。

冒頭に書いたとおり本書は「コードネーム・ヴェリティ」の姉妹編にあたる。「コードネーム・ヴェリティ」に登場したマディやアンナが本書にも登場する。すでに「コードネーム・ヴェリティ」を読んでいるなら、ふたりがその後どういう運命をたどったかを本書で確認してほしい。まだ未読ならば、ふたりが過去にどのようなことを経験してきたのかを確認するために「コードネーム・ヴェリティ」を読んでみてほしい。

 

コードネーム・ヴェリティ (創元推理文庫)

コードネーム・ヴェリティ (創元推理文庫)

 
コードネーム・ヴェリティ (創元推理文庫)

コードネーム・ヴェリティ (創元推理文庫)

 

 

エリザベス・ウェイン/吉澤康子訳「コードネーム・ヴェリティ」(東京創元社)-謎に満ちた第一部と対になる第二部。その見事な構成と物語としての完成度に驚愕した。作品評価の高さに納得!

「コードネーム・ヴェリティ」は、『第一部ヴェリティ』『第二部キティーホーク』の二部構成になっている。

『第一部ヴェリティ』は、ドイツに潜入したものの拘束され捕虜となった諜報員クイーニーによる『告白書』である。彼女は、ショーツ1枚の姿で椅子に縛りつけられ、ナチス親衛隊大尉であるフォン・リンデンによる苛酷な尋問を受けている。辱めを受け、女性としての、いやそれ以上に人間としての尊厳を踏みにじられている。

私は臆病者だ。

クイーニーは『告白書』の冒頭にそう記す。屈辱にさらされ、いくつかの秘密(無線暗号や周波数)と引き換えに服を取り戻していく。最後に彼女は、残された暗号一組と交換に紙とインクと時間を手に入れる。リンデン大尉は、イギリスにおける民間人の戦時協力について思い出せるすべてを告白することを命じた。

第一部に記されるクイーニーの告白は、しかし単純な告白文ではない。彼女が記したのは、まるで小説のように描かれたものだった。

なぜ、彼女はそのような形式で告白文を記していったのか。

時間稼ぎのためか?
ナチスを欺くためか?
彼女は何を守ろうとしているのか?

クイーニーの記す告白文を読みながら、読者である私の頭にはたくさんの謎が渦巻き続けた。それは、クイーニー自身への苛酷な尋問であったり、彼女の同じ場所に拘束監禁されているフランス人レジスタンスへの拷問の凄惨さと相まって、強烈な印象を植え付ける。

囚われた諜報員の告白である第一部と対になるのが、『第二部キティホーク』である。

第二部は、クイーニーを諜報員として現地に送り届ける役割を担った飛行士マーガレット(マディ)・ブロダットが書いた記録となっている。

クイーニーを現地に送り届けたマディは、飛行機のトラブルで不時着しレジスタンスに救出される。そこで彼女は、レジタンスの家族や仲間と生活をともにし、諜報員として送り出した友人の安否を気に病みながらレジスタンス活動を手伝う。

第二部の内容をあれこれと書き連ねるのは、本書の重大なネタバレになってしまうので、ここでは簡単に紹介するにとどめておく。ひとつ言えるのは、もし第一部を読んでいて話に乗れなかったとしても、そこは頑張って読み切って第二部にたどり着いてほしいということだ。第一部で描かれる様々な謎や伏線は、第二部で見事に回収される。その見事さこそが、本書の最高の魅力だと思う。もちろん、『どうしてクイーニーは告白文を物語のように書いたのか』という謎も、本書を最後まで読めばわかると思う。

本書の姉妹編である「ローズ・アンダーファイア」が刊行されたのをきっかけに1年以上積んでいた本書をようやく手にとった。もっと早く読んでおくべきだったという後悔もあるが、2冊を続けて読める幸せというのもあるかもしれないとも感じている。

ローズ・アンダーファイア (創元推理文庫)

ローズ・アンダーファイア (創元推理文庫)

 
ローズ・アンダーファイア (創元推理文庫)

ローズ・アンダーファイア (創元推理文庫)

 

 

ハラルト・ギルバース/酒寄進一訳「終焉」(集英社)-ベルリン陥落、ソ連軍の侵攻、混乱の中でオッペンハイマーは妻をレイプしたソ連兵への復讐心を胸にナチスの原爆研究資料を探すことになる

ハラルト・ギルバース「終焉」は、「ゲルマニア」、「オーディンの末裔」に続くユダヤ人の元刑事リヒャルト・オッペンハイマーを主人公とするシリーズの第3作になる。

 

s-taka130922.hatenablog.com

s-taka130922.hatenablog.com

 

物語は、「第1部 焔」「第2部 灰」「第3部 光」で構成されている。第1部は、ベルリン陥落目前の混乱したベルリンの姿が描かれ、第2部ではベルリンがソ連軍によって占領されて混乱の中にある姿が描かれる。その混乱した戦争末期から占領期の中でオッペンハイマーは、また事件に巻き込まれるのである。果たして彼に『光』が訪れるのだろうか。

今回オッペンハイマーは、突然ソ連軍に連行され、ナチスの原爆開発に関わる資料を探すように命じられる。彼は、その資料を持ち出したディーター・ロスキと間違われて連行されたのだ。

オッペンハイマーソ連軍に連行されている間に、妻リザは隠れ場所だったビール醸造所でソ連軍兵士にレイプされる。それを知ったオッペンハイマーは、復讐を心に刻み込む。

本書を読む直前に、深緑野分「ベルリンは晴れているか」を読んでいた。「ベルリンは晴れているか」は、終戦後連合国(アメリカ、イギリス、フランス、ソ連)によって分割統治されたベルリンが舞台となっていて、主人公のアウグステは自分を襲ったソ連軍兵士を射殺したことをトラウマとして抱えている。

 

s-taka130922.hatenablog.com

 

本書「終焉」の時代背景は、アウグステがソ連軍兵士に乱暴され射殺してしまったときと重なる。アウグステと同様にリザもソ連軍兵士によってレイプされた。その時代、アウグステやリザのようにソ連軍の乱暴狼藉によって犠牲となったベルリン市民が多数いたのである。

本書には、戦争末期からソ連による占領、そしてアメリカとソ連の間に生じる東西冷戦の萌芽の中で翻弄されるベルリン市民たちの姿が描かれている。アウシュヴィッツなどの強制収容所が連合国軍によって解放され、平和が取り戻されたと安心したのもつかの間、彼らは時代の流れの中で、生きるための闘いを強いられる。その姿が、オッペンハイマーやリザ、ヒルデ、エデといった登場人物たちの、ときに勇敢で、ときに脆くて、でもしたたかな生き様として描かれているのだと思える。

ナチスの原爆研究資料がどのような末路をたどったのか。オッペンハイマーは復讐を成し遂げることができたのか。それは、この物語のラストに描かれる。そこには、元刑事としてのプライドと人間らしさを抱えたオッペンハイマーの苦悩が描かれている。

ラストシーンでオッペンハイマーは、アクサーコフ大佐からアメリカが日本に原爆を落としたことを告げられる。原爆の研究開発にドイツ人研究者が関わっていたらしいことも。そして、大佐はオッペンハイマーに警察に就職する気がないかと問う。

オッペンハイマーの物語は、これで『終焉』を迎える。アクサーコフ大佐の問いかけに彼はやんわりと断りを入れるのだが、その真意はあいまいだ。もしかするともっと後の時代、別の形でオッペンハイマーはまた私たちの前に姿を見せるかもしれない。少しだけ、そんな期待も感じている。

ゲルマニア (集英社文庫)

ゲルマニア (集英社文庫)

 
オーディンの末裔 (集英社文庫)

オーディンの末裔 (集英社文庫)

 
終焉 (集英社文庫)

終焉 (集英社文庫)

 

 

相川英輔「ハイキング」(惑星と口笛ブックス)ー日常の中にいつの間にか入り込んでくる怖さを描くのが本当に上手いなぁ~

 

ハイキング (惑星と口笛ブックス)

ハイキング (惑星と口笛ブックス)

 

 

2018年10月12日の夜、赤坂にある双子のライオン堂書店で開催されたトークイベントに参加した。

『雲を離れた月』刊行記念 相川英輔×倉本さおりブックトーク

書肆侃侃房から大前粟生「回転草」、澤西祐典「文字の消息」と同時に刊行された「雲を離れた月」の著者相川英輔さんを招いてのトークイベントである。

s-taka130922.hatenablog.com

 

s-taka130922.hatenablog.com

 

s-taka130922.hatenablog.com

 

イベントに参加する前に、相川さんの既刊本を読んでおこうと手にしたのが本書「ハイキング」(惑星と口笛ブックス)である。

表題作「ハイキング」と「日曜日の翌日はいつも」、「ファンファーレ」、「打棒日和」の4つの短編で構成される本書は、「雲を離れた月」と同様に日常の中にスルッと恐怖や不安が入り込んでくる作品になっている。

「ハイキング」では、友人とハイキングに出かけた夫が予定よりもだいぶ遅い時間に全身ボロボロの状態で帰宅する。聞けば、山道の途中でスマホを落とし、探しているうちに足を滑らせたという。怪我の様子を心配する妻に夫は「大丈夫」と告げ、「腹が減った」と言うと妻が風呂に行っている間に食事を始める。だが、それが異常なのだ。二人分の食事を食べ、深夜に起き出して食べ続ける。ジャムを舐め尽くし、バターを丸かじりする。ハイキングで一体何があったのか。妻はネットを調べ、あるモノの存在を突き止める。

「日曜日の翌日はいつも」の主人公は、オリンピック代表を目指す水泳選手の宏史。最近になって急激にタイムを伸ばして周囲を驚かせている彼だが、それにはある理由があった。日曜日の夜に眠りにつき翌朝目覚めると、日曜日でもない月曜日でもない空白の一日があったのだ。電気も水道も使えない、活動しているのは宏史だけの空白の一日。彼は、その日を水泳の特訓にあてていた。それは、彼のわがままな振る舞いで選手生命を絶つ大怪我を負わせてしまった谷川由香子をオリンピックに連れて行くため。しかし、空白の“一日”だったその日は2日、3日と増えていく。恐怖を覚えた宏史は、その秘密を由香子に打ち明けた。

「ファンファーレ」は、“太陽病”という太陽の日差しを浴びると死んでしまう奇病が蔓延する世界が舞台。主人公の僕は、深夜に養鶏場で働いている。まだ研修中だがもうすぐ正式に採用される見込みだ。教育係の中倉のおっさんは嫌な奴で、強い者にはとことん弱いが自分より下の弱い奴には強気に振る舞う。だから僕は、はやく研修を終えて中倉のおっさんとは別の厩舎で働きたい。僕は思う。自分たちはかわいそうな人なんだろうか。自分たちは弱者なのだろうか。

「打棒日和」は、週に一度月曜日の朝にバッティングセンターに通う女性が主人公。彼女は『平日限定90分打ち放題コース』で黙々とバッティングをする。野球が好きなわけでも精通しているわけでもなく、ただ球を打つのが好きなのだ。口うるさく指導してくる健三さんの存在はちょっとウザい。図書館で働いていて仕事は楽しい。彼女をデートに誘ってくる男もいる。でも、なにもかもバッティングがあれば忘れられる。彼女は“バッティング狂”なのだ。

どこにでもいる普通の夫婦。オリンピック代表になるために練習にあけくれる選手。奇病が蔓延する世界ではあっても昼夜逆転の時間で普通に生きる若者たち。バッティングセンターで球を打つことですべてをリフレッシュできる若い女性。ちょっとだけイレギュラーな出来事があっても、基本に存在するのは当たり前の日常である。その当たり前とイレギュラーな状況が違和感なく融合して、いつもどおりの世界が作られている。それが相川英輔が描き出す小説の世界である。

とってつけたような違和感をあえてみせるタイプの小説もある。例えば大前粟生の世界は、最初からイレギュラーであり、逆に日常の方が不穏な世界のように感じられる。澤西祐典の世界は、日常が基本ではあるけれど、そこに入り込んでくる違和感はもっと明確な存在として描かれているように思う。大前、澤西の世界と相川英輔の世界は似ているようで、やっぱり違う。

まったく同時にこの3人の作品が刊行されたのがすごいとすべての作品を読んで感じた。そして、これだけの世界を描ける作家が同じ時代に作品を出していることに驚き、感激した。3人ともまだまだこれから多くの作品を書いていく作家だと思う。私は、これからもずっとこの3人を推していきたいと思います。

ヒドゥン・オーサーズ Hidden Authors (惑星と口笛ブックス)

ヒドゥン・オーサーズ Hidden Authors (惑星と口笛ブックス)

 
のけものどもの: 大前粟生短篇集 (惑星と口笛ブックス)

のけものどもの: 大前粟生短篇集 (惑星と口笛ブックス)

 
回転草

回転草

 
文字の消息

文字の消息

 
別府フロマラソン

別府フロマラソン

 
フラミンゴの村

フラミンゴの村

 

 

 

岸本佐知子、今村夏子他「たべるのがおそいvol.5」(書肆侃侃房)-特集は『ないものへのメール』。岸本佐知子さんや今村夏子さんの創作も面白いですが、個人的には澤西祐典さん、大田陵史さんの作品でした。

つい先日(2018年10月)にvol.6が刊行された文学ムック「たべるのがおそい」ですが、こちらはvol.5のレビューになります。刊行されてすぐに読んでいたのですが、レビューを書き忘れていました。あらためて読み直して書いています。

vol.5の目玉は、翻訳家岸本佐知子さんのはじめての創作「天井の虹」です。岸本さんが訳される作家(ジャネット・ウィンターソン、リディア・デイヴィスなど)の作品、岸本さんのエッセイ(「ねにもつタイプ」「なんらかの事情」など)とも近いような、それでいて独創的な作品になっています。

すっかり「たべおそ」の常連作家になった気がする今村夏子さんは、これまでの作品同様に今回も独特な作品「ある夜の思い出」が掲載されています。無職で引きこもりの女性が主人公の作品は、怠惰なあまりに腹ばいで生活するようになった彼女が経験した不思議な一夜の出来事を振り返って記した形の物語なのですが、その“不思議な出来事”がなんとも奇妙で、ちょっと不気味な出来事なのです。

岸本さん、今村さんの作品もとても面白いのですが、個人的に印象に残ったのは「文字の消息」がとても印象的だった澤西祐典さんの創作「雨とカラス」と、公募作品から掲載された大田陵史さんの「地下鉄クエスト」でした。

s-taka130922.hatenablog.com

 

澤西さんの「雨とカラス」は、無人島と思われていたメラネシアのある小島で二十代半ばと思われる若い男性が救出されるところから始まります。彼(望月タダシ)は、この小島に漂着した旧日本軍兵士の祖父と従軍看護婦だった祖母の子孫であることがわかり、物語は彼とその一族の小島での生活と人生を描いていきます。元帝国軍人であった祖父の厳しい教えであったり、近親相姦によって生まれた兄弟たちの数奇な運命にグイグイと引き込まれる作品です。

公募から選ばれた作品が2篇(大田陵史「地下鉄クエスト」、斎藤優「馬」)掲載されていますが、個人的には大田陵史さんの「地下鉄クエスト」のユーモラスな物語に惹かれました。深夜の地下鉄に取り残された人を無事に地上へ送り返す仕事“SOS大東京探検隊”というある意味でバカバカしくもある設定は、読んでいて気楽になれます。地下鉄路線でしか営業していない神出鬼没のラーメン屋台で供されるラーメンが美味しそうです。

その他、特集の『ないものへのメール』には、柴田元幸さん、大前粟生さん、黒史郎さん、蜂飼耳さんが寄稿しています。編集長の西崎憲さんは、フラワーしげるとしての短歌、翻訳家としてエリザベス・ボウエン「ジャングル」が掲載されています。

紹介していない作品も含め、掲載されている作品はどれも面白いと思います。毎号毎号必ずなにか新しい発見がある「たべるのがおそい」です。vol.5のレビューも書けたので、最新vol.6を読み始めようと思います。

s-taka130922.hatenablog.com

s-taka130922.hatenablog.com

s-taka130922.hatenablog.com

s-taka130922.hatenablog.com

 

文学ムック たべるのがおそい vol.1

文学ムック たべるのがおそい vol.1

 
文学ムック たべるのがおそい vol.2

文学ムック たべるのがおそい vol.2

 

 

 

文学ムック たべるのがおそい vol.3

文学ムック たべるのがおそい vol.3

 
文学ムック たべるのがおそい vol.4

文学ムック たべるのがおそい vol.4

 
文学ムック たべるのがおそい vol.5

文学ムック たべるのがおそい vol.5

 
文学ムック たべるのがおそい vol.6

文学ムック たべるのがおそい vol.6