タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

「せんそうがやってきた日」ニコラ・デイビス作、レベッカ・コップ絵/長友恵子訳/すずき出版-ある日突然戦争はやってくる。そして、すべてを奪い去る。家族も居場所も。

 

 

家族が食卓を囲む平和な日常。いつまでも続くと思っていた平和な日々。だが、戦争はある日突然にやってくる。

「せんそうがやってきた日」は、家族4人が朝の食卓を囲む平和な場面から始まる。お父さんは弟に子守唄を歌い、お母さんは朝ごはんを作って私にキスをして学校へと送り出してくれる。ランチタイムのすぐあとに戦争がやってくるまでは、平和な時間があった。

いまも世界のどこかで戦争が起きている。そして、罪もない命が無差別に奪われ、何もかもが破壊されていく。生き延びた人たちは戦争から逃れ難民となる。祖国を離れ、他の国で暮らさなければならなくなる。だが、難民を温かく受け入れてくれる国ばかりではないし、優しい人ばかりではない。一時的な滞在は認めても定住することは認めない国もある。

作者のニコラ・デイビスはあとがきの中で、世界には2250万人の難民がいること、その半分以上が子どもであること、2016年の春にイギリス政府が3000人の孤児の難民の受け入れを拒否したことを書いている。また、座る椅子がないという理由で難民の女の子が学校への入学を拒否されたことも記している。本書は、そうした出来事をきっかけにして生まれた。

ランチタイムのすぐあとにやってきた戦争によって家族と祖国を奪われた少女は、難民となって逃げていく。少女にはもう居場所がない。学ぶための椅子すらない。だけど、そんな少女に優しく手を差し伸べてくれる人もいる。将来への希望を与えてくれる人がたくさんいる。戦争はすべてを奪うし、すべての人が優しいわけではないけれど、きっと誰かが少女を支えてくれる。だから、希望を失ってはいけないのだと語りかけてくる。いつの日か少女が新しい人生を歩み、祖国に戻って幸せをつかむ未来がくると信じたい。

本書の元となった詩と誰も座っていない椅子の絵がガーディアン紙のウェブサイトに掲載されると、その内容は多くの反響を呼び、ハッシュタグ「#3000chairs」をつけたツイートが数多く投稿されたという。今でもツイートされ続けている。

戦争反対を叫んでも簡単に戦争は止まらない。その叫びを、無意味な叫びだと言う人がいるかもしれない。だけど、無意味だからと諦めてしまってはいけないのだと言いたい。私たちは、世界中で起きている戦争に反対を叫び続け、平和であることの尊さを叫び続けていかないといけない。平和であることを長く続けることの難しさをあらためて考え、これからも平和を続けていけるように考えていかなければいけない。それが世界中に広がってほしい。

希望に満ちあふれた未来のために、子どもたちの将来のために、戦争を押し返していかなければならない。

 

「異常(アノマリー)」エルヴェ・ル・テリエ/加藤かおり訳/早川書房-2022年の海外文学で間違いなくトップクラスの衝撃作。さまざまな人々の群像劇であり、SFエンターテインメントであり、極上のサスペンスでもある作品。

 

 

エルヴェ・ル・テリエの「異常(アノマリー)」は、2022年の翻訳文学の中で間違いなくトップクラスの衝撃作だ。

物語は3部構成になっている。第1部ではさまざまな人物と彼らに関わる人たちが描かれる。冷酷で非道な殺し屋、作品の評価は高いが売れ行きはパッとしない小説家、初老の建築家との関係に迷うシングルマザーの映像編集者、余命わずかの癌患者、ペットのカエルを愛する7歳の少女、良心の呵責を感じながらきな臭い大手製薬メーカーの顧問弁護士として働く女性弁護士、ナイジェリアから世界に羽ばたいていくアフリカンポップの帝王。彼らには、直接な接点はない。唯一、映像編集者のリュシーと建築家のアンドレの間に、恋人未満の相互にすれ違った微妙な関係が存在しているだけだ。

接点のない人々をつなぐたったひとつの共通点は、パリ発ニューヨーク行きのエールフランス006便に乗り合わせていたということ。そして、強烈な乱気流に巻き込まれて九死に一生を得たということ。そして、“プロトコル42”というコードナンバーを付与された『究極に〈検討された状況にあてはまらないケース〉』に巻き込まれたということ。そのことが彼らの運命を大きく揺り動かすことになる。

プロトコル42”とナンバリングされる異常な状況とはなにか。本書はそこが最大のポイントとなる。プロトコル42の発案者であり、確率論研究者であるエイドリアンと数学者のティナもおそらくは絶対に起こり得ないであろうと考えていた異常事態。プロトコル42の発動により、軍、NSA、FBI、その他哲学者や宗教関係者、ありとあらゆる知恵を結集させた対策チームが組織され、この状況に対処することになる。

第1部の半ばを少し過ぎるくらいまでは、さまざまな人物たちのそれぞれのストーリーが描かれていくのみで、読みづらくはないが正直あまり面白くも感じないが、「エイドリアンとメレディス」の章に入り、プロトコル42が発動され、エイドリアンに緊急連絡が入るところで展開は一気に加速する。そして、次章「ジョーク」で荒れ狂う乱気流に巻き込まれた渦中のエールフランス006便にある異変が発生することで、物語は完全に“異常”へと突き進んでいく。

「エイドリアンとメレディス」そして次章の「ジョーク」と続く本書のターニングポイントをすぎると、そこからはどんどんと先が読みたくなる展開が続く。エールフランス006便に乗り合わせた乗客“同士”の複雑な関係。彼ら/彼女らがどのように関係を構築していくのか、あるいは受け入れられずに苦しむのか。また、彼ら/彼女ら自身のみならず家族や恋人も異常な状態の中で驚き、呆然とし、苦悩する。受け入れた者が幸せになれるわけでもなく、ただ不幸に陥るだけでもない。十人十色の人生模様がそこには存在する。異常な状況だからこそ生まれる複雑な感情は、もし自分が同じ状況に置かれたらどう考えるだろうかという問題提起も含んでいる。

エールフランス006便が巻き込まれる異常事態とはなにか。それを書いてしまうのは完全なるネタバレなので書けないが、かなりSF的な状況である。しかし、本書ではその異常事態がなぜ起きたのかといった謎解きのような話にはならない。ただ起きたこと、として描かれ、その状況の中での人間物語が描かれるのである。

そして、ラストシーン。そこで起きたある異変。そして、大統領によるひとつの決断。物語の中で終始物分かりの悪い滑稽な人物として描かれる大統領(本書は2021年に起きた事件として描かれるが、この大統領はバイデンではなく前大統領を想起させる)だけに、その決断がもたらす結果は幸福とは言えそうにない。最後のページに描かれる衝撃には、思わず目を見張ってしまい、読み終わってもしばし呆然とため息しかでなかった。

内容を紹介するのが本当に難しい作品なので、このレベルのことしか書けないが、とにかく2022年を代表する海外文学作品であることは間違いないと思う。

 

「Mリーグほぼ毎日4コマ①」藤島じゅん/竹書房-Mリーグにハマった著者がその魅力をたっぷりと伝えてくれる4コママンガの第1巻

 

 

問題。Jリーグはサッカー、Vリーグはバレーボール、Bリーグはバスケットボール、ではMリーグは?

答えは“麻雀”である。麻雀のプロリーグがMリーグだ。

本書はMリーグの魅力にすっかりハマってしまった著者が、週刊マンガ「近代麻雀」のWebサイト「キンマWeb」に連載する4コマ漫画をまとめたものである。

まず最初にMリーグについて説明しておきたい。2018年に発足したMリーグは、先述のとおり麻雀のプロリーグであり、2021-22シーズン時点では8チームで構成されている。(並びは2021-22シーズンの順位。カッコ内はチームオーナー企業名)

KADOKAWAサクラナイツ(KADOKAWA
セガサミーフェニックス(セガサミー
渋谷ABEMAS(サイバーエージェント
KONAMI麻雀格闘倶楽部KONAMI) ※格闘倶楽部=ファイトクラブ
U-NEXTパイレーツ(U-NEXT)
EX風林火山テレビ朝日
赤坂ドリブンズ(博報堂
TEAM雷電電通

各チームには4人の選手(規定により1名以上の女性選手が所属していなければいけない)で構成されていて、試合の着順と点数で決まるポイントの合計により順位を争う。10月からレギュラーシーズンが始まり各チーム90試合(麻雀用語でいうと90半荘)を戦って順位を決める。上位6チームがセミファイナルシリーズに進み各チーム16試合を行う。そこでポイントの上位4チームがファイナルシリーズ進出となり、12試合を戦って優勝チームを決定する。優勝チームには5000万円、2位には2000万円、3位には1000万円の賞金がでる。ちなみに2021-22シーズンの優勝は『KADOKAWAサクラナイツ』だった。

細かいルールを説明してもあまり意味がないので興味のある方はMリーグ公式ページでルールを確認してほしい。このレビューでは、私もハマっているMリーグの魅力と本書の面白さを語っていきたい。

まずMリーグの魅力について。一番の魅力は、麻雀というゲームの面白さとチーム戦の面白さを融合させたところだと思う。基本、麻雀は個人戦で争うゲームだ。4人のプレイヤーが卓を囲み、相手の捨て牌からどのような手牌で役を作っているのかを推理し、自分の手牌を大きく育てて高い役を狙う。1回のゲームだけで考えれば、とにかく点数の高い役をたくさんあがって、他の3人よりも多くの点数を稼げば勝ちだ。Mリーグでは、これまで個人戦の要素が強かった麻雀にチーム戦の要素を加えた。ひとつひとつの対戦は個人戦だが、その対戦で得たポイントはチームのポイントとしても加算される。1ゲーム内の着順によってはポイントがマイナスになることもあり、1着と4着では100ポイント以上の点差がつく場合もあって、ゲームごとにチームの順位が上下することもある。レギュラーシーズン終盤のセミファイナル進出ボーダーラインを巡る争いやファイナル進出時の争いなど、ここぞというときにはただ勝つだけではなくポイント差も加味した打ち回しが必要になったりするなど、実に知的なゲームメイキングが必要なのだ。

各チームに所属する選手たちも魅力である。現在8チームに4人ずつの選手が所属しているが、麻雀界最高峰のMリーグチームに所属しているだけあって、その実力は折り紙付き。それだけでなく、ビジュアル面も個性的で美男美女が揃っている。俳優としても活躍している萩原聖人やモデルとしても活躍している岡田紗佳、声優でもある伊達朱里紗といった別の顔でも大活躍している選手もいる。そういったプロの雀士たちが真剣に麻雀に向かう姿はとても美しい。

こうした魅力をさらに掻き立てるのが実況と解説。まるでプロレス実況のような、視聴者をときにあおり、緊張感を増大させるような迫力と、選手の思考や打ち方について巧みに説明してくれる解説は、麻雀を知らない視聴者にも面白さを伝える役割を果たしている。

このようなMリーグの魅力、選手の魅力、実況や解説の魅力にハマったひとりが著者であり、その面白さをもっとたくさんの人に見てほしいという気持ちから生まれたのが本書のもととなったWeb連載なのである。もともとは著者が自身のTwitterに流していたものを、竹書房のWebサイト「キンマWeb」が目をつけてサイトでの連載となった。

本書は、Web連載されたなかの2018年シーズンと2019年シーズンを描いたマンガが掲載されている。Mリーグの試合は、月曜、火曜、木曜、金曜に1日2試合ずつ行われるが、マンガは試合を受けて翌日のお昼くらいにWebサイトにアップされる。その日のゲームで印象的な場面とか目立っていた選手などを題材にして、実質半日ほどで4コママンガを仕上げるのはかなり大変だろう。実際にゲームを見た上で4コマを読むと、「なるほどこの場面をネタにしたか」と納得したり、「ここに目をつけたのか」と驚いたりで実に楽しい。4コママンガを読むと、選手ひとりひとりの個性も伝わってくるので、より選手を身近に感じられるのもよい。Web連載されている4コマや本書からMリーグに興味を持ち、さらに麻雀というゲームの面白さにも気づいてくれる読者が増えるのではないだろうか。

麻雀というとどうしてもギャンブルのイメージが強くて、怖い世界のゲームのように思っている人も多いだろう。実際、芸能人が賭け麻雀で捕まったりしたこともあるし、中には身近な人がギャンブルで身を持ち崩した経験を持っている人もいるだろう。小説やマンガ、映画やドラマの世界でも麻雀は裏社会を描く小道具のように扱われているイメージがある。街の雀荘に入ったら強面のイカサマ師に身ぐるみ剥がされて半殺しにされるイメージすらある(それはおおげさ)。

だが、実際には麻雀というゲームは健全な娯楽であり、コミュニケーションの形成に役立ったり、脳を活発に利用することから健康麻雀として老化防止効果も認められている。そうした健全なイメージを、MリーグやMリーグを題材とした本書がさらに助長してくれるのではないかと思う。麻雀に興味がない人こそ、まずは本書をマンガとして面白く読んで、それで少しでも興味が出てきたらMリーグをみてみるといい。きっと最後は麻雀の魅力にハマるに違いない。

 

 

「地球のことをおしえてあげる」ソフィー・ブラッコール/横山和江訳/すずき出版-いつの日か遠い宇宙から来るはずの誰かへ、地球のことを胸を張って紹介したい

 

 

1972年に打ち上げられた惑星探査機パイオニア10号には、人類からのメッセージを記した金属板がとりつけられていました。人間の男女の姿や地球のことを記したそのメッセージが、いつの日か命のある星に届き、そこに住む異星人によって解読され、彼らが地球を訪問する未来があるかもしれないという夢が託されています。

もし、遠い星から異星人が地球にやってきたら、私たちは我が星地球をどんな場所だと教えてあげればいいんでしょうか。大きな海があって、自然豊かな山があって、大きな街には最先端の高層ビルが立ち並び、人々は仲良く幸せに生活をしていますと胸を張って教えられるでしょうか。

そんなことを思ったのは、ソフィー・ブラッコール「地球のことをおしえてあげる」を読んだから。本書は ユニセフセーブ・ザ・チルドレンの活動で世界中をまわっている作者による地球を紹介する物語。表紙カバー折り返しにはこのように記されています。

ユニセフセーブ・ザ・チルドレンの活動で世界じゅうをまわり、何千もの子どもたちと出会ったなかで、作者のソフィー・ブラッコールは、わたしたちのふるさとである地球を紹介する物語を誕生させました。地球そのものを説明しつつ、同じ星に存在する仲間として、あらゆる生きものを大切にしようとよびかけています。

『同じ星に存在する仲間として、あらゆる生きものを大切にしよう』という言葉は、いまの新型コロナ感染症による世界的なパンデミックとそこから生まれる人々の分断やウクライナやその他の世界で起きている国家間や人種間の分断の状況を考えると、とっても重い言葉だと感じます。

宇宙からくる、だれかさんへ
地球がどんなところかしってる?
ぼくがきみに、おしえてあげる。

物語はそう始まります。地球が太陽の近くにあること。陸地と水があること。陸地のいろいろなところに人が住んでいること。いろいろな家族がいて、たくさんの人がいて、でもひとりひとり違っていること。子どもたちは学校で勉強をして、大人たちは世の中を動かすためにいろいろな仕事をしていること。広い海の中にもたくさんの生きものが住んでいて、陸地にもやはりたくさんの生きものが住んでいて、空を飛ぶ鳥もいること。私たちが住む地球に生きる人たちや生きものたちについて紹介していきます。

人にもいろいろあって、中には目が見えなかったり耳が聞こえなかったりする人もいる。そして、ときには互いにいがみ合うこともある。だけど、「それよりも、たがいにたすけあうほうが気持ちいいよね。」とぼくは宇宙からくる誰かさんに話します。

いまいちど最初の問いに戻ってみましょう。いまの私はこの本に書かれているみたいに胸を張って地球のことをおしえてあげられるだろうか、と。正直、あまり自信がない。自分は地球のことをあまりよくわかっていない気がするし、なにより目を背けたくなるような出来事が起こりすぎている。大きな海も大きな空も自然豊かな大地もどんどん失われている。そういう状況が胸を張って地球のことを紹介できなくさせているのかもしれない。そして、そういう状況を作ってしまったのは、間違いなく私たち人間なのです。

自分たちで壊しておいて、「私たちの星はいい星ですよ」なんて、なんだかとても恥ずかしいよね。だから、恥ずかしくないように直していかないといけない。地球にはいいところはたくさんあるけど、悪いところもたくさんある。その悪いところの多くは人間が作ったもので、作ったのなら元に戻すことや良いものに変えることもできるはず。いつか、どこからみても恥ずかしくなく、胸を張って紹介できる地球にしたい。そう思う。

 

「春、死なん」紗倉まな/講談社-普遍的にあるのに避けがちな性をテーマにして人間の本質的な部分を見直す短編集

 

 

紗倉まな「春、死なん」は、人間の普遍的な欲求のひとつである性をテーマにした2編の短編が収録された短編集。表題作「春、死なん」は老人の性、「ははばなれ」は娘からみた母親の性を描いている。

70歳の富雄は、息子夫婦が建ててくれた二世帯住宅に暮らしている。6年前に妻の喜美代に先立たれ、今は同じ屋根の下に息子家族が暮らしていても、富雄は孤独である。そして、『傍目から見れば、富雄の七十歳の老体からはすでに抜け落ちたと思われているであろう性欲』は、若い頃と比べれば劣るがいまだに枯渇することなく、むしろ持て余すほどだ。そんな性欲を自慰行為でやり過ごす虚無感は、富雄を一層孤独にさせる。

「春、死なん」は、誰もがいずれ迎える老いと、老いてもなお枯れることはない性への欲求とのアンバランスさがもたらす心の不安を描いている。これまで、どこかで避けてやり過ごそうとしていた、あるいは存在しないふりをしていた老人の性をしっかりと描いている。

人は、誰かとつながっていることで孤独から逃れようとする。つながり方にはさまざまな形があり、必ずしもセックスを必要するわけではない。それでも、相手の肉体を求め合うことでつながりの深さを感じることもあるだろうし、セックスレスが互いの関係を希薄にする場合もある。深くつながりあっていた相手を失ったときの喪失感とそこから生まれる孤独感は計り知れないものがあるかもしれない。

「春、死なん」が描くのは老人の性だけではない。古くから暗黙の了解のごとく存在する家庭における男と女の役割とそこに見える違和感も描かれている。男として、女として、夫として、妻として、親として、子として、息子として、娘として、嫁として、さまざまに存在する“として”という暗黙のうちにレッテル貼りされた役割。その役割が安定して機能しているときは、誰もその違和感に気づかない。しかし、何かが少し変化して役割が不安定になったときに人は違和感を覚え、やがて不安を感じる。だが、その違和感や不安こそが実は本来の姿なのではないか。それを認めることで人は強くなれるのではないか。

“として”というレッテルが足かせになり、自由なようでいて実は不自由な生き方を私たちは強いられているのではないか。最後の場面を読み終えてふとそんな気持ちにさせられる作品だった。

「ははばなれ」は、娘の視点から母親の性を描く。

コヨリの母はあけすけな性格の女性だ。見た目とか体裁とかに頓着しないし、思ったことは無自覚に口に出してしまう人。母はコヨリを帝王切開で生んだが、そのことを当たり前のように受け入れて、あっけらかんと口に出すし、夫や息子に渋い顔をされても傷跡を隠さない水着を着る。そういう母だけど、墓参りから帰宅した家の前に立っていた不審な男を恋人と話したときは、コヨリも驚いた。しかも、母は彼がインポで悩んでいるという話までしてくるのだ。

あけすけな母親の性の告白がコヨリにとってショックなのは、母の性的な部分を知ったからというだけではない。コヨリは、夫との間に子どもができないことに悩んでいる。病院に行って検査を受けたりもしている。けれど夫はあまり問題意識を共有してくれていない。

「ははばなれ」という作品のポイントは、結婚、妊娠、出産という流れが当然であるかのように思っている私たちの認識が、当たり前ではないし、そのことについて男女で考えが噛み合わないもどかしさがあるということだと思う。それが、帝王切開の傷跡にまつわるエピソードだったり、コヨリの不妊のエピソードとして描かれている。これは、本作を読む人の性別だったり、置かれている立ち位置だったり、世代だったりで共感できたり、よくわからなかったりするところかもしれない。

本書は、老人の性、母親の性といった、あまり表立って語られることのないテーマが描かれているが、読んでみると性=セックスという話ではなく、性別、世代、夫婦、親子といった関係性や立ち位置の中で人間としての本質的な部分であったり、考え方や意識の乖離といった部分が存在することが描かれているのだと感じた。理解しているようで実際には何もできていない本質をしっかりと認識できた読書だった。

 

「ジョン・ウォーターズの地獄のアメリカ横断ヒッチハイク」ジョン・ウォーターズ/柳下毅一郎訳/国書刊行会-伝説のカルトムービー監督によるアメリカ横断ヒッチハイクの旅。最高のエンタメ作品なれど、下品な表現多目のためお食事中の読書はオススメしません

 

 

ボルチモアからサンフランシスコへ。カルト映画監督ジョン・ウォーターズは、66歳にしてアメリカを横断するヒッチハイクの旅を計画する。それを題材にした2篇の小説(フィクション)と現実のヒッチハイクの記録(ノンフィクション)で構成されるのが、本書「ジョン・ウォーターズの地獄のアメリカ横断ヒッチハイク」である。

まず、私も知らなかったので、最初にジョン・ウォーターズについて説明する。1946年生まれの映画監督で、代表作は「ピンク・フラミンゴ」。俳優としても活動していて、「チャイルド・プレイ」シリーズの一作にも出演している。作風は過激で下品。その悪趣味ぶりは代表作「ピンク・フラミンゴ」でいかんなく発揮されていて、公開当時は相当な物議を醸したようだ。本書を読むにあたって、この代表作である「ピンク・フラミンゴ」を観ておきたいと思ったのだが、ネットで作品情報を調べてみると想像を絶する内容だったので、きっぱり観るのは諦めた。幸い、私が利用しているNetflix等の配信サービスで「ピンク・フラミンゴ」を配信しているサイトは見つからなかったので、それも良かったと思う。どれだけ悪趣味な映画なのか知りたい場合は、作品名で検索してみてください。ただし自己責任でお願いします。

では本書の話だ。本書はジョン・ウォーターズが、ボルチモアの自宅からサンフランシスコのアパート(別宅)までヒッチハイクで横断しようと計画したことで始まる。そして、その旅の様子を本にして出版する契約を結ぶ。旅を前にしてジョン・ウォーターズの興奮はとまらない。と同時にさまざまな不安も錯綜する。そこで彼は、旅に出る前に、この旅で起こる最高の出来事と最悪のパターンを想像して小説として書こうと思い立つ。そして、現実の旅にチャレンジして無事に成功させ、その記録を書く。かくして本書は、ふたつのフィクション(「起こりうるかぎり最高のこと」、「起こりうるかぎり最悪のこと」)とひとつのノンフィクション(「本物の旅」)で構成されることとなった。

「起こりうるかぎり最高のこと」では、ヒッチハイク旅行のすべてが万事順調に進んだパターンが描かれる。天気は最高だし、ヒッチハイクも驚くほど順調で乗せてくれるドライバーはみんないい人ばかりだ。映画の次回作にポンとキャッシュで500万ドルを出資してくれる人(ただしマリファナの売人)、初期作品に出演してくれた女優との再会(ただし彼女は死んだはずでは?)旅のカーニバル一座と行動をともにし“刺青なし男”としてフリークショーに出演して観衆の面前で全裸にされ、挙げ句にナイフ投げの的にされたりもする。あれ、これ本当に“最高の旅”か? と思わないでもないが、ジョン・ウォーターズは終始楽しそうなので、彼にとってはこれが起こりうるかぎり最高のことなのだろう。なにしろ最後には素敵なお相手まで見つかるのだ。

「起こりうるかぎり最悪のこと」では、文字通り最悪なことが起きる。雨が降る中で親指を立てても泊まってくれる車はない。それどころか彼がジョン・ウォーターズだとわかると「カマ野郎!」だの「あんたの映画は大嫌い」だのと罵声を浴びせられる始末。ようやく捕まえたドライバーも泥酔したアル中野郎だったりして、ことごとくトラブルに巻き込まれる。空腹に耐えかねて腐りかけの弁当を食べたり(当然腹を下す)、カンザス州では違法セックスで逮捕されたりする。もう何がなんだかよくわからない災難が、次々とジョン・ウォーターズに襲いかかってくる。

こうして「最高のこと」と「最悪のこと」を妄想したうえで、いよいよ「本物の旅」が始まる。これは実際にジョン・ウォーターズボルチモアからサンフランシスコへヒッチハイクで旅した記録。ドキュメンタリーだ。現実のヒッチハイクが、「最高のこと」のように順調で楽しいものになったのか、「最悪のこと」のような絶望的な災難に見舞われることになったのか。サンフランシスコまでの長い道のりでジョン・ウォーターズが、彼の求める刺激を得ることができたかは「本物の旅」で明らかとなる。

あとがきで訳者が「訳しながら爆笑してしまった」と書いているように、本書は最初から最後までとにかく面白い。私も読んでいてお腹を抱えて笑ってしまう場面がたくさんあった。映画監督ということもあってか、どのシーンも映像が浮かんできて、ジョン・ウォーターズの喜怒哀楽がスクリーンに映し出されたかのように想像できた。ただ、その表現は下品で悪趣味なフレーズや下ネタのオンパレードでもある。それゆえ、読んでいて気分が悪くなる場面もあった。なので、グロかったり下品な描写が苦手な方は読むときは注意が必要だ。絶対に食事中に読んではいけない。閲覧注意である。

とまあ表現のグロさはあるものの、作品としては最高に楽しめるエンターテインメント小説であることは保証してもいい。賛否が分かれそうだけど。

「逃亡テレメトリー」マーサ・ウェルズ/中原尚哉訳/東京創元社-脅威評価値7%のブリザベーション・ステーションで発見された他殺体。事件の真相を解明するため弊機は捜査に乗り出す(渋々だけど)

 

 

「マーダーボット・ダイアリー」、「ネットワーク・エフェクト」に続く“弊機”シリーズ第3弾が早くも刊行された。今回は、ブリザベーション連合のステーション内で発見された他殺体を巡り、弊機がブリザベーション連合警備局とタッグを組み事件解明に取り組む。

ブリザベーション・ステーションのモール。3本の通路が交差するジャンクションは、死亡事故の起きる脅威評価はほとんどゼロの場所だ。なにより、ブリザベーション・ステーション自体、殺人事件の発生確率は7パーセントである。しかし、いま弊機とメンサー博士(ブリザベーション連合の指導者)、インダー上級警備局員の前に横たわっているのは、明らかに他殺体である。

本作「逃亡テレメトリー」は、こうして物語の幕を開ける。弊機は、メンサー博士の依頼によりステーション警備局と協力して事件の捜査にあたることとなるが、警備局の責任者であるインダー上級警備局員は、弊機を信頼しているわけではない。というか、そもそも人間たちは弊機を信頼していない。かつて暴走し大量殺戮事件を起こしたマーダーボットである弊機が、またいつ暴走を起こすかわからないし、警備局はそもそも弊機のステーション滞在には反対だったのだ。それでもメンサー博士は、弊機にも人格があるとし、警備局もいくつかの条件をつけて弊機がステーションに滞在することを認めた経緯がある。そこに今回の事件が起きたというわけだ。

こうして弊機は警備局とともに事件の捜査にあたることになる。だが、警備局側は協力的ではなく、平気もそれは想定済み。それでもいくつかの情報から被害者の身元や素性、足取りなどがわかってくる。そして、事件の背景にある事実が明らかになってくる。

SF濃度が高かった前作と比べると、本作はミステリー要素が強い。殺人事件があり、その捜査をアンドロイドと人間が互いに相手に不信感を抱きながらも協力して進めていくという構図は、先日読んだアイザック・アシモフ鋼鉄都市」を思い出させる。あちらは人間が主人公だったが、こちらは弊機が主人公だ。「鋼鉄都市」では、捜査を進めていく中で次第に互いを信頼する気持ちが生まれていき、最後には最強のバディが誕生していたが、本作でも、弊機の行動からインダーをはじめとする当初は弊機を信用していなかった人間たちが次第にその能力を認めるようになる流れがある。最終的に互いに認め合う関係になれたのかどうかは、実際に本を読んで確認してもらった方がいいだろう。まあ、相手は弊機だということを考えれば想像に難くないかもしれない。

ミステリーとしてもさまざまな要素が盛り込まれていて面白かった。弊機に言わせれば十分とは言えないまでも、ある程度しっかりした監視警備システムが構築されているステーション内で、誰に見られることも検知されることもなくどのようにして殺人が行われ、どのようにして死体がモールのジャンクションに運ばれたのか。被害者はなぜ殺されたのか。そしてなにより犯人は誰なのか。ラストに明かされる真相は、これまで本シリーズを読んできた愛読者としては、なるほどという感じだった。

本書には表題作でもある「逃亡テレメトリー」の他に、採掘場での任務エピソードを描く「義務」というショートーストーリーと、メンサー博士の視点で描かれる「ホーム-それは居住施設、有効範囲、生態的地位、あるいは陣地」の2篇が収録されている。「ホーム」の方は視点が弊機ではないというところで、これまでの作品は違う一面がみられると思う。

日本翻訳大賞受賞の効果もあってか、2021年10月に「ネットワーク・エフェクト」が刊行され、半年後の2022年4月に「逃亡テレメトリー」が刊行されと、怒涛の刊行ラッシュとなった「マーダーボット・ダイアリー」シリーズ。弊機に萌えた読者にとっては嬉しいことだ。このペースで次々と翻訳刊行というわけにはいかないだろうが、これからも確実に弊機の活躍する作品が翻訳されることを期待している。シリーズ作品の翻訳は、既刊本が売れなければ継続しなかったりするので、今後も弊機の物語を読み続けたいなら、シリーズ作品は絶対に購入しておかなければと思う。次の作品も絶対に買うぞ!

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