タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

「異常(アノマリー)」エルヴェ・ル・テリエ/加藤かおり訳/早川書房-2022年の海外文学で間違いなくトップクラスの衝撃作。さまざまな人々の群像劇であり、SFエンターテインメントであり、極上のサスペンスでもある作品。

 

 

エルヴェ・ル・テリエの「異常(アノマリー)」は、2022年の翻訳文学の中で間違いなくトップクラスの衝撃作だ。

物語は3部構成になっている。第1部ではさまざまな人物と彼らに関わる人たちが描かれる。冷酷で非道な殺し屋、作品の評価は高いが売れ行きはパッとしない小説家、初老の建築家との関係に迷うシングルマザーの映像編集者、余命わずかの癌患者、ペットのカエルを愛する7歳の少女、良心の呵責を感じながらきな臭い大手製薬メーカーの顧問弁護士として働く女性弁護士、ナイジェリアから世界に羽ばたいていくアフリカンポップの帝王。彼らには、直接な接点はない。唯一、映像編集者のリュシーと建築家のアンドレの間に、恋人未満の相互にすれ違った微妙な関係が存在しているだけだ。

接点のない人々をつなぐたったひとつの共通点は、パリ発ニューヨーク行きのエールフランス006便に乗り合わせていたということ。そして、強烈な乱気流に巻き込まれて九死に一生を得たということ。そして、“プロトコル42”というコードナンバーを付与された『究極に〈検討された状況にあてはまらないケース〉』に巻き込まれたということ。そのことが彼らの運命を大きく揺り動かすことになる。

プロトコル42”とナンバリングされる異常な状況とはなにか。本書はそこが最大のポイントとなる。プロトコル42の発案者であり、確率論研究者であるエイドリアンと数学者のティナもおそらくは絶対に起こり得ないであろうと考えていた異常事態。プロトコル42の発動により、軍、NSA、FBI、その他哲学者や宗教関係者、ありとあらゆる知恵を結集させた対策チームが組織され、この状況に対処することになる。

第1部の半ばを少し過ぎるくらいまでは、さまざまな人物たちのそれぞれのストーリーが描かれていくのみで、読みづらくはないが正直あまり面白くも感じないが、「エイドリアンとメレディス」の章に入り、プロトコル42が発動され、エイドリアンに緊急連絡が入るところで展開は一気に加速する。そして、次章「ジョーク」で荒れ狂う乱気流に巻き込まれた渦中のエールフランス006便にある異変が発生することで、物語は完全に“異常”へと突き進んでいく。

「エイドリアンとメレディス」そして次章の「ジョーク」と続く本書のターニングポイントをすぎると、そこからはどんどんと先が読みたくなる展開が続く。エールフランス006便に乗り合わせた乗客“同士”の複雑な関係。彼ら/彼女らがどのように関係を構築していくのか、あるいは受け入れられずに苦しむのか。また、彼ら/彼女ら自身のみならず家族や恋人も異常な状態の中で驚き、呆然とし、苦悩する。受け入れた者が幸せになれるわけでもなく、ただ不幸に陥るだけでもない。十人十色の人生模様がそこには存在する。異常な状況だからこそ生まれる複雑な感情は、もし自分が同じ状況に置かれたらどう考えるだろうかという問題提起も含んでいる。

エールフランス006便が巻き込まれる異常事態とはなにか。それを書いてしまうのは完全なるネタバレなので書けないが、かなりSF的な状況である。しかし、本書ではその異常事態がなぜ起きたのかといった謎解きのような話にはならない。ただ起きたこと、として描かれ、その状況の中での人間物語が描かれるのである。

そして、ラストシーン。そこで起きたある異変。そして、大統領によるひとつの決断。物語の中で終始物分かりの悪い滑稽な人物として描かれる大統領(本書は2021年に起きた事件として描かれるが、この大統領はバイデンではなく前大統領を想起させる)だけに、その決断がもたらす結果は幸福とは言えそうにない。最後のページに描かれる衝撃には、思わず目を見張ってしまい、読み終わってもしばし呆然とため息しかでなかった。

内容を紹介するのが本当に難しい作品なので、このレベルのことしか書けないが、とにかく2022年を代表する海外文学作品であることは間違いないと思う。