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「田宮二郎、壮絶! いざ帰りなん、映画黄金の刻へ」升本喜年/清流出版-俳優・田宮二郎の壮絶にして濃密な俳優人生を描く骨太なノンフィクション

 

 

田宮二郎、壮絶! いざ帰りなん、映画黄金の刻へ」は、映画、テレビのプロデューサーとして俳優・田宮二郎と仕事をしてきた著者が、その生い立ちから、俳優としてデビューして銀幕の大スターとなり、不遇の時代を経てテレビドラマの世界で成功を収めるも、その性格から次第に追い詰められ43歳で自ら命を絶つまでの足跡を骨太のドキュメンタリーとして描き出したノンフィクションである。

著者は、松竹映画のプロデューサーとして田宮二郎を見続けてきた人物だ。当時、田宮は大映映画の専属俳優として活躍していたが、出演映画の宣伝ポスターでの名前の順番をめぐるトラブルで契約を破棄されていて、かつ、『五社協定』(東映東宝、新東宝大映、松竹の各映画会社間で所属俳優の引き抜きを禁止する協定)によって他社映画に出演する道さえ閉ざされてしまっていた。

俳優として不遇の時を過ごす田宮二郎だが、彼のスター性は斜陽産業となっていた映画界では必要なものであり、著者も松竹のプロデューサーとして田宮二郎を起用した映画製作を画策していた。こうして、ふたりは出会い、映画、テレビドラマへと進出していくことになる。

映画やドラマの世界から干されていた時期はあるにせよ、田宮二郎の俳優としての人生は華やかなものであったと思いがちだ。映画やドラマで成功し、何もかも手に入れて順風満帆であったと考えるのが、私たちからみたスターである。だが、実態はかなり厳しいものであったことが、本書には書かれている。特に大映を解雇され、テレビドラマに活躍の場を移してからの田宮二郎は、視聴率という数字に翻弄され、事業に手を出して失敗するという悪循環の中で精神的に疲弊していく。

精神的な疲弊(躁鬱病であった)から、田宮二郎の言動に奇行ともいえるものが増えていく。打ち合わせの場でなごやかに話を進めている最中に突然激高して怒鳴り散らしたり、撮影現場で監督を差し置いて勝手に撮影を仕切ったり、撮影中に突然トンガへ行ってしまったりと、それまでの田宮からはまったく考えられないような行動をするようになる。

田宮二郎の生前最後の出演ドラマは、山崎豊子原作の「白い巨塔」である。映画版でも主役の財前五郎役を演じた田宮は、この作品のドラマ化に強い思い入れがあったが、その撮影中も奇行は繰り返された。それでも、すべての撮影は無事終了させた。そして、ドラマの放送が残り2回となった1978年12月28日に田宮二郎は猟銃で自らの胸を撃ち抜き自殺する。

まさに『壮絶!』 本書のタイトルに田宮二郎の人生のすべてが込められている。なんと濃い人生を歩んでいるのかと驚かされる。と同時に、表向きは順風満帆で華やかで恵まれた俳優人生を送っていると思われたスターも、ひとりの人間としては悩み苦しんで、もがき続けていたのだということに切なくなる。観客動員数や興行収入、視聴率といった明確な数字によって人気の有無を突きつけられる厳しさ。スターであるが故のプライドもあったのだろう、チヤホヤされて「助けてくれ」と乞われれば怪しげなビジネスにも多額の金を投資してしまう男気の良さも田宮二郎を追いつめた要因のひとつだ。

こうして人は壊れていくのだと、本書を読んで思った。そして、俳優として頂点にのぼりつめたからこそ、誰にも助けを求めることができず、俳優仲間やスタッフ、家族にも苦しい胸の内を明かすことのできない田宮二郎の孤独を感じた。

私は、俳優としての田宮二郎をリアルタイムでは知らない。田宮二郎が出演した映画はみたことがないし、テレビドラマも再放送ではみたかもしれないがリアルタイムではみていない。ほとんどみたことのなかった田宮二郎の出演作品をみてみようと思った。