タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

「星屑の海 冬の怪獣たち」実相寺昭雄/筑摩書房-ウルトラシリーズ黎明期の特撮舞台裏を描いた前作「星の林に月の舟」に続く作品だが、これは正直きつかった

 

 

前作「星の林に月の舟 怪獣に夢見た男たち」で、「ウルトラQ」、「ウルトラマン」、「ウルトラセブン」という円谷プロの特撮テレビシリーズの黎明期に、特撮ドラマ制作に熱い心で取り組んだ人々の姿を描き出した実相寺昭雄が、その続編的作品(あとがきで著者自身は、「続編というより独立した小説」と記している)として発表したのが本書である。特撮に冬の時代が訪れていた頃を描いている。

最初にはっきりと書いてしまうが、本書は駄作だと思う。なぜこのような作品を書いたのだろうかと疑問に感じる。

ある特撮の撮影現場で事故が起きる。爆破シーンの撮影中にタイミングのズレから事故となり、監督が死亡する。それが本書のプロローグだ。そして本編に入ると、前作から引き続き本書でも主人公となる吉良平治が登場する。彼は、KXTVを退職してフリーのディレクターとなって10年ほど経っていて、同期入社の並本に呼び出されて、古巣のKXTVを訪れたのだ。そして、並本から事故で亡くなった監督の未亡人が不信感を持っているという話を聞かされ、特撮の現場に詳しく知り合いも多い吉良から関係者に話を聞いてみてほしいと頼まれる。

さて、ここまでの展開だと、特撮の現場で起きた謎の事故、その事故で亡くなった監督、その未亡人が抱いた不信感、そして主人公がその調査を依頼されるという流れで、この先は事故死の謎を追うミステリー的なストーリーへと進んでいくのかと思わせる。しかし、この話は、小説の本編とはまったくと言っていいほど関係ない。些末な枝葉のエピソードのひとつにすぎないのだ。

では、この小説が何を主体として描いているのか。それが、本書を読み進める中で一番の謎だった。基本的には、ウルトラシリーズが「ウルトラマンレオ」をもって一旦クローズし、特撮テレビドラマの時代は終焉を迎える。日本の“特撮”は次第に人気を失い、代わって「スターウォーズ」や「未知との遭遇」といったハリウッドSF映画が公開され大人気となる。“特撮”は“SFX”に取って代わられる。ヒーローや怪獣のきぐるみを着てミニチュアセットの中でプロレスごっこを撮影する時代は終わったのだ。吉良にとっても、彼を特撮の世界に引っ張り込んでくれた円谷一が急逝し、沖縄に帰った金城哲夫も亡くなって、特撮の現場も少なくなり、フリーディレクターとしては厳しい生活が続く。そういう冬の時代のことが、ただ連綿と書き連ねられている。そこに、なにか芯になるような部分が見当たらないのだ。

正直、最後の最後まで「何を読まされているのだろう」という気分のまま、モヤモヤしてしまった。そして、最後まで読み終わってもモヤモヤは晴れなかった。言い方は悪いが時間を無駄にした気分になった。

どういう経緯で著者が本書を執筆するに至ったのかは不明だが、特撮が冬の時代を迎えていた頃を軸として、特撮の仕事を失い雌伏の時を生き抜いてまた新たに特撮を次のステージへと導いていく、そういう未来に向けた作品として本書を書いたとするならば、その思いは残念ながら読者には伝わっていない。

さらに、ラストもわけがわからない。吉良は、並本の企画する生放送でスイスからの中継の演出をすることになるのだが、これがアルプスの気まぐれな天気の影響で大失敗に終わる。そのままラストシーン。吉良は偶然にかつて自分の上司だった石井と再会し、彼が見たというマッターホルンの荘厳な光景の話を聞き、自分は怪獣を見くびっていたのだと気づかされる。そして、怪獣ものを作ろう、冬の怪獣たちを目覚めさせたいと決意し、物語は幕を閉じるのだ。

ラストの場面のみを切り取ってみると、吉良という男が特撮をもっと頑張ろうと決意を新たにするというハッピーエンドのように思えるが、そこに行き着くまでの作品のプロセスが支離滅裂すぎて、せっかくのラストシーンも脳内の“?”が“???”になる要素にしかならない。ハッピーエンドか否かの二択で答えなければならないとしたら悩んでハッピーエンドと答えるが、その答えに納得感はない。

「星の林に月の舟」が、特撮の現場で生きていく若者たちの熱量を描いた良作だっただけに、そこからの落差が本書では強く感じてしまった。このレビューも徹頭徹尾ディスる内容になってしまった。どんな作品であってもできるだけ良い部分を見つけたいと思って読んでいるが、ごめんなさい、本作についてはどう頑張っても無理でした。