タカラ~ムの本棚

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「草 日本軍「慰安婦」のリビング・ヒストリー」キム・ジェンドリ・グムスク/都築寿美枝、李昤京訳/ころから-現在にもつながる女性としての尊厳の問題としてみた「従軍慰安婦」の人生を描いて世界的に高い評価を得たグラフィックノベル

 

 

1996年、中国龍井(ロンジン)。ひとりの老婆が家族や村人に見送られて旅立つ場面から物語は始まる。彼女は、55年振りに祖国韓国に帰るのだ。彼女の名は李玉善(イ・オクソン)。彼女は、日本軍の『従軍慰安婦』だった。

キム・ジェンドリ・グムスク「草」は、「日本軍「慰安婦」のリビング・ヒストリー」と題されているとおり、ひとりの日本軍従軍慰安婦の女性の生涯を描くグラフィックノベルだ。ニューヨークタイムズベストコミック2019、ガーディアンベスト・グラフィックノベル2019、ユマニテ2019マンガ大賞審査員特別賞など世界で絶賛された作品である。

従軍慰安婦』の問題は、すぐに政治的な話になり、補償問題や少女像に代表される韓国の反日問題として取り上げられることが多い。本書は、そうした政治的な部分ではなく、ひとりの女性、ひとりの人間として日本軍の『従軍慰安婦』として生きなければならなかったイ・オクソンの人生を描いている。

釜山の貧しい家庭で生まれたイ・オクソンは、学校にも通わせてもらえず(貧しいことも理由だが、同時に女だからという理由もあった)、弟妹の世話をしながら毎日を過ごしていた。その日の食事にも困るほどに貧しかったから、オクソンは養女に出されることになるが、養女とは名ばかりで、実際は下働きとして酷使された。学校にも行かせてもらえなかった。

ある日、オクソンは主人のお使いから帰る途中にふたりの男に捕まり、他の女の子たちとともに延吉東飛行場の慰安所に送られてしまう。1942年、14歳のときだった。『トミ子』という日本語名をつけられ、日本軍兵士の相手をさせられた。逃げることはできなかった。

慰安婦として過酷な時代を生きたイ・オクソンのような女性は、当時の朝鮮には数え切れないほどいた。本書は、『ナヌムの家』という慰安婦だった女性たちが暮らす施設で著者がイ・オクソンから聞き取った彼女の生い立ちや慰安婦にさせられた経緯、戦後どのようにして暮らしてきたかについて描いている。

貧しさから身売りされ、学校に通うこともできず子どものときから働かされ続けた少女が、ある日突然見知らぬ男たちに連れ去られ、同じような年ごろの少女たちと一緒に窓のない貨物列車で遠く中国まで送られてしまう。その道中の不安、恐怖はいかほどであったか。ようやくたどり着いた場所も慰安所という彼女たちにとっては地獄のようなところで、女性たちは慰安婦として日本兵の相手をしなければならない。休むこともできず、逃げ出すこともできない。毎日毎日彼女たちは文字通り身体を犠牲にして生きてきたのだ。

本書には、著者との会話の中でイ・オクソンが「日本が悪い」「安倍は謝罪しろ」と繰り返す場面がある。著者は、最初のうちは彼女の怒りに話を合わせているが、次第に困惑するようになっていく。だが、本書を読むとイ・オクソンの怒りは当然だと感じる。彼女が、強制的に日本軍の慰安婦として働かされたのは事実だし、そのことで長く苦しめられてきたことも事実だ。また、女性であるという理由で学校にも通わせてもらえず、学ぶ機会も奪われ、ただ家族(父や兄、弟、夫や息子)のために働くことだけを求められ続けたことも事実である。

従軍慰安婦として、本人の意に反して身体を犠牲にすることを強いられたこと。女性であることを理由に学ぶ機会を奪われたこと。それは、女性としての尊厳を踏みにじられたということだ。

今年(2020年)2月に、本書の日本語版刊行を記念して著者のキム・ジェンドリ・グムスクさんが来日した。来日講演で著者は、本書について「過去の話や民族の問題ではない。現代の性暴力につながる女性問題として描きました」とコメントしている。

■漫画「草」が語る従軍慰安婦  独自の作風で訴え「現代につながる性暴力問題」

news.yahoo.co.jp

従軍慰安婦』は、どうしても政治的な問題としてクローズアップされてしまうが、この記事にあるように、過去の歴史や当時の社会情勢を知る上で重要な問題として考えることも必要なことだ。そして、その問題が形を変えて今に至るまで続いていることも考えなくてはいけない。

この本を読んで、改めて『従軍慰安婦』について考える機会をもらったように思う。