タカラ~ムの本棚

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「おちび」エドワード・ケアリー/古屋美登里訳/東京創元社-“おちび”と呼ばれた少女は、フランス革命前後の激動の時代を強く生き抜いて、マダム・タッソーとなる

 

 

エドワード・ケアリー著/古屋美登里訳「おちび」(原題は『Little』)は、アイアマンガー3部作(「堆塵館」「穢れの町」「肺都」)から2年、エドワード・ケアリーファン待望の新刊だ。実に執筆に15年を費やしたという長編小説は、マダム・タッソーの数奇な生涯を描く歴史小説であり、それでいてエドワード・ケアリーの世界が築き上げられた最高の小説である。

「おちび」と呼ばれた召使いの数奇な人生と歴史に残る大冒険

エドワード・ケアリーは、まず最初にこの一文から物語を始める。主人公アンネ・マリー・グロショルツ(後のマダム・タッソー)の一人称『わたし』で語られる自伝の体裁で描かれる物語は、1761年に生まれ1850年に89歳で没したマリーの人生を、

その前 小さな村で(1761年~1767年)
第一部 一方通行の道(1767年~1769年)
第二部 死んだ仕立て屋の家(1769年~1771年)
第三部 猿の館(1771年~1778年)
第四部 ヴェルサイユ宮殿の戸棚(1778年~1789年)
第五部 民衆の宮殿(1789年~1793年)
第六部 静かな館(1793年~1794年)
第七部 処刑待合室と見かけ倒しの家(1794年~1802年
その後 故郷で(1802年1850年

の構成で記していく。それぞれで、マリーが生きた時代は激しく動き回り、その激動に合わせて彼女の人生も大きく動かされる。

1761年、アルザスの小さな村でアンネ・マリー・グロショルツは生まれた。軍人だった父は、七年戦争の激戦の中で負傷し下顎を失っていた。やがて、父は亡くなり、マリーは母とともにスイスのベルンに移り住むことになる。母がそこに暮らすクルティウス先生の家政婦として雇われたからだ。クルティウス先生は、人間の身体の一部を蝋で作ることを仕事にしていた。

クルティウス先生と出会い、母親を亡くしたことで、マリーは彼の弟子として仕事を手伝うようになる。人間の身体の一部を作っていたクルティウス先生は、やがて人間の頭部から型を取り肖像を作るようになる。彼の作った肖像は評判となり、多くの人が彼に肖像制作を依頼してくるようになっていった。

クルティウス先生とマリーは、新しい居場所を求めてフランスのパリへ移り、仕立て屋の未亡人の家で暮らし始める。クルティウス先生の肖像はパリでも評判となる。マリーは、未亡人の家の召使いとしてこき使われながら、クルティウス先生の技術を学び身につけていく。そして、国王ルイ16世の妹エリザベート王女の蝋細工教師として宮殿に召喚されることになる。

マリーが生きた時代のフランスは、まさに激動の時代だ。1789年にフランス革命が勃発し、王党派とみなされた人物は容赦なく連行され満足な裁きもないままにギロチンで処刑されていく。マリー自身もさまざまな理由をつけられて連行されてしまう。そんな厳しい時代環境の中で、マリーは蝋細工の技術を身に着け、強くたくましく生き抜いていく。

最初に記したように「おちび」は、マダム・タッソーという実在した人物の波乱に満ちた人生を、彼女が生き抜いた激動の時代を背景に描く歴史小説だ。しかし、ケアリーの筆は、この物語をただの歴史小説の枠に留めない。これまでの作品と同様に、ケアリー自身の手で描かれた数多くのイラストが物語の世界観を形成し、実在の人物であるはずの登場人物たちは、アイアマンガーシリーズのクロッドやルーシーのように不思議な存在感を持って物語の中で躍動する。この小説は、間違いなくエドワード・ケアリーの小説なのだ。

読み始めてすぐに、ケアリーが築いた物語の世界に引きずり込まれた。私の頭の中で、私の心の中で、マリーがクルティウス先生が未亡人がエドモンがエリザベート王女が国王が、その姿を現し動き出すのを感じた。マリーが経験するさまざまな出来事をともに体験し、あるときは悲しみ、あるときは憤り、そしてあるときは幸せを感じた。

アイアマンガー3部作を読んだとき、エドワード・ケアリーという作家のすごさを知った。そこから過去作の「望楼館追想」「アルヴァとイルヴァ」を読み、ますますその作品世界に魅了された。

「おちび」は、エドワード・ケアリー作品の集大成となる作品だと思う。読み終わってまず思ったのは「この作品を最後にケアリーは作家としての活動を終えてしまうのではないか?」という懸念だった。だが、『訳者あとがき』を読んで、すでにピノッキオを題材にした作品が完成済みで2020年秋に発表予定であること、子ども専門の病院を舞台にした作品を執筆中であることを知って安心した。これからもエドワード・ケアリーの作品を読み続けていくことができそうだ。