タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

「聖なるズー」濱野ちひろ/集英社-犬や馬をパートナーとする動物性愛は性的倒錯行為なのか。それとも強すぎる動物愛なのか。

 

 

動物を相手にセックスをする。多くの人は、そのような性的嗜好を持つ人たちを変態と感じ、嫌悪するだろう。私もそうだ。

濱野ちひろ「聖なるズー」は、大学院で文化人類学におけるセクシャリティ研究に取り組む著者が、ドイツの世界唯一の動物性愛者団体ZETA (ゼータ:寛容と啓発を促す動物性愛者委員会「Zoophiles Engagement für Toleranz und Aufklärung」)のメンバーに会い、彼らの家に寝泊まりしながら調査を行った結果をもとに書籍化したノンフィクションである。2019年度第17回開高健ノンフィクション賞受賞作品。

著者が動物性愛を研究テーマに選んだのは、指導教官の勧めだった。

「ジュウカンやってみたら」
私は首をかしげた。
「ジュンタンですか……? 私はそんなに興味ないですね」
「ちがう、ちがう。獣姦だよ、獣姦」

『獣姦』を『絨毯』と聞き間違える程度の認識しかなかった著者だったが、なぜか妙に気になり獣姦について調べてみた。すると『獣姦』(bestiality)以外に「zoophilia」という言葉があるのがわかる。「動物性愛」のことだ。

さらに調べていくうちに著者は17分のショート・ドキュメンタリー動画を見つける。その動画でインタビューを受けていたのが「ゼータ」だった。

本書の「プロローグ」で著者は、自らの過去から語り始める。著者には、十代の終わりから二十代の終わりまでパートナーから性暴力を受けていた過去があった。その軛から逃れたあともしばらくは愛とかセックスを軽蔑していた。ようやく三十代の終わりになって大学院に入学し、セクシャリティを研究する道に進んだ。それは、愛やセックスを学術的に研究することが自らの軛から解放される手段だと考えたからだ。

著者は「ゼータ」のメンバーとコンタクトをとり、彼らの家に寝泊まりしながら「動物性愛」の実態を調査する。はじめは動物性愛者ではない著者からのアプローチに懐疑的だった「ゼータ」のメンバーたちも、接触を重ねるうちに多くを語るようになる。著者自身も最初は「獣姦」のイメージから彼らに対して不安を感じているが、話を聞くうちに彼らがけっして危ない性的嗜好をもっているわけではないことを知る。

動物性愛者(自らを「ズー」と呼ぶ)たちは、動物をただ性的な欲求を満たすための道具と考えているわけではない。彼らは心から動物たちを愛している。人間同士で異性愛や同性愛があるのと同じレベルで、ズーの恋愛は『異種愛』なのだ。人間と犬、人間と馬という種を超越した愛があるのだ。

彼らは、自分が愛する特定の動物の個体を「パートナー」と呼ぶ。夫だったり妻だったりもする。パートナーとは対等な関係にあり、それは日常生活でもセックスでも変わらない。人間同士の性愛と同じで相手の気持ちを尊重し、相手が求めていると感じたときに性的な関係になる。

ズーたちはパートナーである犬や馬がセックスを求めていると感じ取ることができるのだという。これは、動物性愛嗜好がないとなかなか理解はできそうにない。私も長く犬を飼い続けてきたが、彼らがセックスを求めていると感じたことはない。ただ、本書を読んでみて「あれがそうだったのかも?」と思うところがあった。だからといって「あのとき欲求を満たしてやればよかった」という考えにはならないのだが。

私自身は本書を読んだからといって「動物性愛」が理解できるとは思えないし、冒頭にも書いたように嫌悪感の方が強い。でも、それは生理的なものだから仕方ないだろう。同性愛がアブノーマルだ性的倒錯だと揶揄され迫害されていた(いる)ように、今はズーは性的倒錯と批判されている。だが、もしかすると将来彼らの性的嗜好が理解されるときが来るかもしれない。LGBTと同列に理解されるのは難しいかもしれないが、強い動物愛としてならば受け入れられることもできるかもしれない。

まだまだ「動物性愛」に対する理解へのハードルは高いが、少なくとも彼らが動物を傷つけるような人たちではないことは、本書を読んでわかった。