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「臆病な成就」多田尋子/福武書店-夫婦でもない、兄弟姉妹でもない、血の繋がりのない関係でも支え合える人たちの物語

 

 

『多田尋子作品を読む』の第6弾。「臆病な成就」を読んだ。表題作を含む3篇が収録されている。

臆病な成就
慰撫
白蛇の家 ※第102回芥川賞候補(1989年下期)

1988年、1989年は、多田尋子の作品に対する評価が一気にあがった時期といえるだろう。「単身者たち」(短編集「単身者たち」収録)で第100回芥川賞候補、「裔の子」(短編集「裔の子」収録)で第101回芥川賞候補、そして本書に収録されている「白蛇の家」で第102回芥川賞候補と3期連族で芥川賞の候補となっている。1988年から1989年の2年間で7篇の短篇を文芸誌「海燕」や「文學界」に発表している中で3篇が芥川賞候補に選ばれていることになる。

この短編集に収録されている3篇のうち、「慰撫」と「白蛇の家」が1989年に発表された作品だ。(「臆病な成就」は1990年発表)

芥川賞候補になった「白蛇の家」は、とある市の新興住宅地に暮らす佐知子が主人公だ。彼女は、短大入学を機にこの市にきた。卒業後は小学校の教師となり、そのままこのまちで暮らしてきた。校長のすすめもあって、野廼屋という茣蓙問屋の跡取り息子浩の後妻となった。今は時代もすぎて、浩はすでに亡く、野廼屋も店を閉じた。野廼屋のあった場所には銀行が建っている。佐知子は新興住宅地の分譲住宅に暮らし、姑の政乃は老人ホームで暮らしている。ふたりがかつての問屋街を懐かしむように語り合う中で物語は語られていく。それは、多田尋子作品らしい静かな物語だ。佐知子も政乃も野廼屋には後妻として嫁いだ。似た境遇のふたりは嫁と姑というよりも人生の先輩と後輩のような関係を築いている。静かすぎて物足りない印象を受けるかもしれないが、静かさの中に描かれるリアルを感じて欲しい作品だ。

「臆病な成就」は、多田尋子の作品で一番描かれることの多い『結婚しない女性』の物語だ。調剤薬局を営む行子は、一生ひとりで暮らしていきたいと考えていた。それは、彼女の両親のことを見てきたからだ。仕事でほとんど家に帰らず、たまに帰っても酒を飲んでばかりいて、母親や行子が自分の思うようにならなければ暴力を振るうような父親とそんな父親に依存するしかない母親をみてきたからだ。それでも、総合病院で同期だった吉村のことは好意をもって接していた。数年ぶりに再開したふたりは、ぎこちなく関係を築いていく。

森子は歌手として近々オペラの舞台に立つことになっていた。まだまだ未熟な彼女にとっては、有名歌手とのダブルキャストとはいえ大きな舞台だ。だが、それだけでは暮らしていけるわけもなくピアノ教室を開いたり、アルバイトをしたりしている。その日は「詩人の集り」で歌を歌う仕事だった。会の後の飲み会を終えて帰る途中、森子は平岡という男性に誘われる。その席で森子は酒に酔い、平岡と朝を迎えることになる。(「慰撫」)

本書に収録されている3篇は、どれも支え合う関係が描かれている。「臆病な成就」の行子と吉村、「慰撫」の森子と平岡、「白蛇の家」の佐知子と政乃、それぞれが互いに支え合っている。

支え合う関係であっても、それぞれには深い関係はない。行子と吉村は過去に同僚であり行子が吉村に片思いをしていた事実はあるが、それ以上の関係ではない。森子と平岡も同様だし、佐知子と政乃は嫁と姑という関係ではあっても、それぞれが後妻であり家族としてのつながりはやや薄いといえる。

希薄そうな人間関係が、実は互いを支え合う上で重要なつながりになっている。そこに多田尋子の作品らしい世界観があるように思える。夫婦や親子、兄弟姉妹のように深い関係性が強いつながりを持つのはあたりまえで、その強さが逆に呪縛になることもある(「裔の子」などはその血の呪縛が主人公を苦しめていた)。他人同士のつながりだからこそ、客観的に互いを支え合えることができる。『遠い親戚より近くの他人』ということだろう。そうした関係性が救いとなることの方が多いのかもしれない。本書を読むとそう考えてしまう。