タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

「掃除婦のための手引き書」ルシア・ベルリン/岸本佐知子訳/講談社-2019年に出た海外文学で一番の話題作。ようやく読みました。

 

 

2019年に翻訳刊行され、その年の海外文学の話題の中心となったルシア・ベルリン「掃除婦のための手引き書」。2022年になって、文庫化され、新刊「すべての月、すべての年」が刊行されたということもあり、ようやく読んだ。

著者のルシア・ベルリンは、1936年に生まれ2004年に68歳で亡くなっている。父親が鉱山技師だったため幼少期は鉱山町を転々とし、父親が戦争に出征すると母親の実家のあるテキサス州エルパソで祖父母と暮らすようになる。祖父は歯科医だった。祖父、叔父、母がアルコール依存症という家庭環境で育ち、ルシア・ベルリン自身もアルコール依存症だった。3度の結婚と3度の離婚。シングルマザーとして4人の息子を育てながら様々な仕事をこなした。その中で小説を書き、アルコール依存症克服後には大学で教えるようにもなった。

ルシア・ベルリンの小説は、作家の人生で体験した出来事が色濃く反映されている。小説として書かれているすべての出来事がそうではないだろうが、ほぼ実体験を元にして書かれていると思う。

本書には24篇の短編が収録されていて、短い作品だと「わたしの騎手(ジョッキー)」は見開き2ページで完結するショートストーリーだ。先述したように、それぞれの作品が著者の体験を元にして書かれている。「わたしの騎手」は、救急救命室の看護師として働いていた経験から書かれた作品だし、他にも表題作は掃除婦として働いた経験を元にして書かれている。

24篇の短編は、どれも印象深い作品だが、個人的には「ドクターH.A.モイニハン」、「喪の仕事」、「さあ土曜日だ」に心を掴まれた。

「ドクターH.A.モイニハン」は、歯科医である祖父をモデルにした作品。とにかく鮮烈な印象を読者に与える作品だと思う。私も読んであっけにとられた。祖父はかなり腕のいい歯科医だったようだが、アルコール依存症であり、そういう意味ではかなりヤバそうな人物だが、そのヤバそうな印象を読者に突きつけるのが「ドクターH.A.モイニハン」なのである。抜歯のシーンは衝撃であり笑撃だ。

「喪の仕事」は、掃除婦としての経験にもとづく作品。不動産会社に雇われて住人が死んだ家の片付けをする中で出会ったある家族の姿を掃除婦の視点から描いていく。その家にひとりで暮らしていた父親が亡くなり遺品を整理しに来た姉と弟。ふたりの様子を伺いながら部屋の片付けをする掃除婦。遺された品々からふたりにとっての家族の思い出が掘り起こされる。淡々とした調子で書かれているからこそ、家族の死が心にもたらす作用がしみじみと感じられる。

「さあ土曜日だ」は、刑務所が舞台になっている作品。語り手であるおれは、刑務所でCDと出会い彼を読書に目覚めさせた。ふたりは刑務所の創作クラスで学ぶようになり、CDは創作の才能を伸ばしていく。創作クラスでは散文集を制作することになり、掲載する散文が足りないからと生徒たちに課題が出される。

「オーケイ、これで何をやってほしいかというと、長さが二、三ページで、最後に死体が出てくる話を書いてほしいの。ただし死体は直接出さない。死体が出ることを言ってもだめ。話の最後に、このあと死体が出ることが読者にわかるようにする。了解?」

「さあ土曜日だ」を最後まで読んで、この作品と作中で生徒たちに出されたこの課題との関係に気づくと、この物語がストンと胸に収まる感覚になった。こういうところがルシア・ベルリンの魅力なのだと思う。

24篇の作品の中には、あまり自分の感性とは響き合わないものもあった。最初の一編を読んだときは、もともと各所で絶賛されているという心理的なハードルもあってか、すぐには物語に入っていけなかった。だが、2篇目の「ドクターH.A.モイニハン」でググッと惹きつけられ、そこからは多少の上下動はあったが、どの作品も何かしらの発見があったり、印象を残すものだった。

ルシア・ベルリンは、「知る人ぞ知る」作家であったと著者略歴や訳者あとがきに書かれている。2015年にリディア・デイヴィスの序文(本書にも収録されている)を掲載した作品集が刊行されたことで再発見されることとなり、巡り巡ってその作品が翻訳され、私たちがこうして読むことができるようになった。そんな経緯も含めて、ルシア・ベルリンという作家とその作品は私たちに読書の楽しさ、面白さを与えてくれたと感じる。新刊「すべての月、すべての年」も読むのが楽しみになっている。