タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

「サムデイ」デイヴィッド・レヴィサン/三辺律子訳/小峰書店-「エヴリデイ」の待望の続刊。Aとリアノンの恋の行く末は? Xの目的は? ラブストーリーだけじゃない。多様なストーリーが描かれる

 

 

毎日違う身体で目覚める“A”とAに恋したリアノンのもどかしく切ない恋を描いた前作「エヴリデイ」から4年、待望の続刊が翻訳された。Aとリアノンの関係や前作でAの前に現れたプール牧師の存在など、いろいろ気になる部分を多く残していた「エヴリデイ」のその後を描く。

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「エヴリデイ」のラストでひっそりとリアノンの前から姿を消したA。続編となる本書は、まずリアノンの視点から物語が始まる。

アレクサンダーという新しい彼氏はいても、いつかAが目の前に現れてくれるのを待っているリアノン。そんな彼女の前に現れたのは、Aに身体を利用された少年ネイサンだった。ネイサンは、Aに身体を利用されていたあの日何が起きていたのかを知りたかった。だから、手がかりとなるリアノンを探して会いに来たのだ。

リアノンとネイサンがAの消息を探す一方、同じようにAを探す存在があった。それが“X”だ。XはAと同じく他人の身体を借りて生きている。Aと違うのは、Aは毎日違う身体で目覚めるがXは宿主の身体にとどまりつづけられること。「エヴリデイ」で、プール牧師の身体を乗っ取り、Aの前に現れたX。そのときは強引に接触したためAに拒否されてしまった。次こそはAを手に入れなければならない。

純粋にAとの再会を望むリアノン。Aからあの日の真実を知りたいネイサン。Aを自分の仲間にしたいX。それぞれの思いの相手であるAは、リアノンへの愛を胸に抱えたまま、毎朝違う身体で目覚める日々を続けている。4人の世界線が再び交わるときは来るのか。それは幸せな世界線なのか、不穏な世界線なのか。「サムデイ」は、どこかにいつも不穏な感情を含みながら出来事を積み重ねていく。

プール牧師(X)と出会ったことでAは自分と同じように誰かの身体を借りて日々を生きる存在が他にもいることを知った。そして、Xから宿主の身体を完全に乗っ取ることができると知らされる。同じ身体にとどまりつづけることができればリアノンとの関係も変わる。だが、宿主を殺すことでもある。Aにはそれはできない。

Xという存在が登場したことで、物語は一気に不穏な空気をまとい始める。自分に適した宿主から身体を乗っ取り生きていこうとするXと、宿主の身体は宿主のものであり自分はその人生の中の1日を借りているだけだと考えるA。考えの異なるふたりは、本書の最後でリアノンやネイサンも巻き込んだ壮絶な戦いを繰り広げることになる。

Aとリアノンの関係がどうなっていくかも本書のポイントだ。読者としては、その行く末が気にかかる。前作のラストでリアノンの前から消えたAだが、リアノンもA自身も互いを完全に諦めることはできない。リアノンはどうにかしてAとの接点を取り戻したいと手を尽くす。そして、Aもリアノンの気持ちとなにより自分の気持ちに正直になっていく。ふたりは再会し、これからのふたりの関係をそれぞれに考える。ふたりが選んだ結果を読者はしっかりと受け止めてあげてほしい。

前作「エヴリデイ」を読んだとき、毎日違う身体で生きることで、男性や女性といった性別、白人や黒人といった人種、あるいはLGBTQといった様々なジェンダーが混在する人生を生きるAを主人公としたことが、ひとりの人間ひとつの性別ひとつの人種ではわかり得ない複雑な感情を読者に伝えてくれていると感じた。Aの視点からもそうだし、毎日違う見た目のAと会っているリアノンの視点からもそうだ。外見だけではわからない相手の内面をしっかりと思いやる気持ちが大切なのだと考えさせられた。

「サムデイ」には、AやXの他にもふたりのような存在が複数名登場する。匿名のチャットで自分の苦しみをつぶやくものがあれば、それに答えるものがいる。Aがリアノンに恋したように、出会い恋におちるものもいるし、Xのように宿主の身体を借り続け、その身体とともに人生を終わろうとしているものもいる。それぞれのエピソードを読みながら、人生は人の数だけがあるのだということを胸に刻んでおきたいと思った。