タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

「珈琲の哲学 ディー・レスタリ短編集1995-2005」ディー・レスタリ/福武慎太郎監訳、西野恵子、加藤ひろあき訳-#はじめての海外文学 vol.6。インドネシア現代文学を代表する作家の短編集。珈琲に憑かれた男の葛藤を描く表題作他、人間の人生の複雑さを描く18篇

 

 

インドネシア文学を読むのは、たぶんこれがはじめてだと思う。そういう意味で言えば、本書はまさに“はじめて”の海外(インドネシア)文学である。

本書冒頭の監訳者・福武慎太郎氏の解説によれば、著者のティー・レスタリは、現代インドネシアを代表する作家である。1976年生まれで、5人兄妹の4番目の娘とのこと。この解説を読むまで、なんとなく男性作家のイメージを持っていた。小説家デビューは2001年で「スーパーノバ:騎士と王女と流星」という長編小説(未邦訳)。発売35日で1万5千部を売り上げたという。インドネシアの出版事情はわからないが、かなり高い数字なのだろう。「スーパーノバ:騎士と王女と流星」というタイトルからして、SFファンタジーっぽいイメージだが、翻訳されていないので読むことはできない。ちょっと気になる。「スーパーノバ」はシリーズ化され、2016年に第6部が刊行されて完結した。

本書「珈琲の哲学」は、2006年に刊行された最初の短編集で、18の短編、散文が収録されている。

珈琲の哲学
ヘルマンを探して
とどかない手紙
砂漠の雪
心の鍵
あなたが眠るその前に
歯ブラシ
時代にかかる橋
野生の馬
一切れのパウンドケーキ
沈黙
天気
ラナの憂い
赤いろうそく
スペース
設計図
ブッダ・バー
チェロのリコ

表題作の「珈琲の哲学」は、コーヒーにとりつかれた男の物語だ。

自分のカフェをオープンするために、最高のコーヒーを求めて世界中を旅したベン。彼は、パリやローマやニューヨークのカフェのバリスタを訪ね、彼らから美味しいコーヒーを淹れる方法を学んだ。物語の語り部である僕は、ベンのビジネスパートナーとして彼のカフェ開業を支援する。こうして『珈琲店 ベン&ジョディ』はオープンする。そこは、最高の環境で最高のコーヒーを楽しむための場所。まさにベンはコーヒーの哲学の探求者だった。やがて彼は、メニューに豆のブレンドの哲学と味わいや香りに関する説明を書き込み、店名も『珈琲の哲学 あなた自身をみつける店』に変更する。

彼らの店は万事順調だった。ベンのコーヒーはあらゆる客を満足させた。しかし、あるひとりの中年男性客がベンのプライドに火をつけた。その男は、ベンは淹れた最高と自負するコーヒーを「まあまあ美味しい」と評したのだ。男は、ベンが淹れたコーヒーとほとんど変わらないくらいのコーヒーを飲んだことがあるという。それは、中部ジャワの村にあるコーヒー農家のセノさんが屋台で淹れるティウスコーヒーだった。そのコーヒーを飲んだベンは衝撃を受ける。

たった一杯のコーヒーに取り憑かれ、その味を探求し、自らの哲学として最高の作品へと昇華させる。コーヒーに人生を捧げた男は、だが、自らが探求し作り上げた最高のブレンドのコーヒーを凌駕する一杯に出会い、それまで築き上げてきた自信とプライドを失う。“コーヒー”を別のものに置き換えてみれば、ベンの味わう栄光や挫折は私たちのそばにもたくさん転がっている。完璧を目指し続けて挫折した者が、いかにして再び歩き出すか。「珈琲の哲学」が描く物語は、味わい深いコーヒーのように、読者の心にしみてくる。

その他の収録作も印象深い作品が揃っている。“ヘルマン”という名前の人物を探し求める少女ヘラがたどる数奇な運命を男友達の視点で描く「ヘルマンを探して」や、投函するつもりのない手紙を書き続ける“あなた”の人生や感情を客観的な視点で静謐に描く「とどかない手紙」などは、「珈琲の哲学」と同様に人生の苦しさや切なさを描いているように感じる。

2ページに満たない短い散文作品も収録されている。「砂漠の雪」「心の鍵」「時代にかかる橋」といった短い散文作品は、ひとつひとつの短いストーリーの中に愛や人生を描き出すと同時に、作品たちが積み重なることで大きな世界を形作っているようにも感じられる。

「はじめての海外文学vol.6」で芹澤恵さんが推薦されている作品。最初に知ったのは、2020年1月に大阪の梅田 蔦屋書店で開催された『はじめての海外文学スペシャル in 大阪』で、芹澤さんが本書を紹介していたからだった。インドネシア文学という新しいアジア圏の文学作品にふれる機会を得ることができた。

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www.365bookdays.jp

 

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