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「白い病」カレル・チャペック/阿部賢一訳/岩波文庫-伝染病の恐怖を描いている部分もあるが、それ以上に正義となにか悪とはなにかを問いかける物語でもある

 

 

「白い病」は、カレル・チャペックが1937年に発表した戯曲である。これまでに二度翻訳出版されていて、今回が三度目の翻訳となる。訳者の阿部賢一さんが、緊急事態宣言が発令された2020年4月7日に訳し始め、noteで少しずつ公開していたものを岩波文庫から刊行したものである。刊行にあたって、付録(「前書き」と「作者による解題」)と役者による解説が追加されている。

阿部さんが本書を訳出した理由はさまざまあると思うが、やはり大きいのは現在も世界中でパンデミックを起こしている新型コロナウィルス感染症の存在だろう。翻訳の動機や作品への思いなどについては、朝日新聞のwebサイト「好書好日」に掲載された「疫病と戦争、いまこそ読むべきチャペック 謎の感染症テーマの戯曲「白い病」新訳公開」という記事に記されている。

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『白い病』(作中では『チェン氏病』と呼ばれる)は、50歳以上の人が罹患し、発病すると身体に白い大理石のような斑点があらわれ、身体からは腐臭が漂い、やがて死に至るという原因不明の伝染病である。治療法もわからなければ特効薬もない。まさに不治の病である。

誰もが『白い病』の恐怖に慄く中、ガレーンという町医者がその治療法を発見したと枢密顧問官ジーゲリウスを訪ねてくる。ガレーンの治療法は、一定の効果を発揮するが、彼は治療費を払えない貧しい患者にしか、この治療を行うつもりはない。彼は、取材にきた記者に向かって、治療法の公開する条件として世界中の国王や統治者に「二度と戦争を起こさないでほしい」と訴える。

記者 耳を傾けるとお思いですか?
ガレーン博士 ええ・・・お伝えください、さもなければ、この病気で命を落とすことになると・・・チェン氏病の薬は、私の発明品なんです、いいですか? もう人殺しをしないと約束するまで・・・私は薬を渡しません(以下略)

この場面にあらわれているように、「白い病」は原因不明の伝染病によるパンデミックの恐怖を描くだけの物語ではない。この作品が書かれた時代背景もあると思うが、戦争、独裁政治といった側面が強く描かれている。独裁者である元帥、軍需産業によって多額の利益を得ているクリューク男爵といった人物が登場し、国民は独裁者に熱狂し、戦争へと邁進する。

その狂信的な社会の脅威として存在するのが『白い病』だ。伝染病は、社会的地位や貧富の格差、人種といった垣根とまったく関係なく人々に襲いかかる。ガレーンは、その治療法を唯一発見した。そして、彼はその治療法を人質として、独裁者に対して戦争の中止と恒久平和を実現するように求めるのである。

ガレーンのとった行動は、正義といえるのだろうか。戦争反対、恒久平和の実現の理念は正しいものだろう。しかし、一方で彼は自らの信念を貫くために、誰もが罹患し命を落とす可能性のある伝染病の治療法を人質にした。そのことで、多くの患者が病気で命を落とすことになることは、医者である彼は当然わかっているはずだ。治療によって救える命を見捨てることは、彼の医療倫理には反していないのだろうか。

物語の終盤、元帥は戦争への道を突き進む。国民は元帥を熱狂的に支持する。元帥の演説を聞くために集まった群衆は、「戦争万歳!」「元帥万歳!」と叫び続ける。その熱狂の中をガレーンは、元帥のもとに急ぐ。物語の結末は、あまり悲劇的で、あまりに残酷で、そしてシニカルだ。

何が正しくて何が間違っているか。何が正義で何が悪か。答えはひとつとは限らない。カレル・チャペックが「白い病」で突きつけた問いは、新型コロナウィルス感染症パンデミックが世界中で発生した2020年においても、まったく同じ問題である。この物語が問いかけているのは、永遠に答えのみつからない問題なのかもしれない。