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「チベット幻想奇譚」星泉、三浦順子、海老原志穂編訳/春陽堂書店-チベットの現代文学を代表する作家たちが描き出す幻想世界。チベット文学体験の最初の一歩

 

 

先日(2022年10月8日、9日)、「チベット現代文学フェス2022」というイベントが開催された。チベット語で書かれた現代文学が翻訳出版されて10年の節目を迎えることから、それを記念して開催されたイベントである。2日間の日程だったが個人的な都合で参加は10月8日の初日のみとなったが、映画「ティメー・クンデンを探して」(ペマ・ツェテン監督作品)の上映会やチベット文学と映画制作の現在についての冊子「セルニャ」についての座談会、ラシャムジャ「路上の陽光」の一節の朗読、さらにこれまで翻訳されてきたチベット現代文学作品についての翻訳者座談会と盛りだくさんや内容に加え、サプライズゲストとして来日中だったチベットを代表する詩人であり舞台演出家でもあるプチュンDソナム氏の挨拶もあって、実に充実した1日となった。

チベット幻想奇譚」は、私が参加した初日の翻訳者座談会の中で、ラシャムジャ「路上の陽光」、ツェラン・トンドゥブ「黒狐の谷」、ラシャムジャ「雪を待つ」、ツェワン・イシェ・ペンバ「白い鶴よ、翼を貸しておくれ」と並んで紹介された作品である。若手から中堅まで、チベット現代文学作家たちが描き出す幻想小説、奇譚小説を集めた日本独自のアンソロジーとなっている。

本書は、大きく3つのセクションに分かれていて、10人の作家による13篇の幻想奇譚小説が収録されている。また、セクションごとに編訳者の作品解説が入っているので、作品の背景となるチベットの文化や風習などがそこで補足されているのも親切な構成。収録作品と作者、訳者は以下の通りである。

Ⅰ.まぼろしを見る
 人殺し ツェリン・ノルブ作/海老原志穂訳
 カタカタカタ ツェラン・トンドゥブ作/海老原志穂訳
 三代の夢 タクブンジャ作/星泉
 赤髪の怨霊 リクデン・ジャンツォ作/星泉
Ⅱ.異界/境界を越える
 屍鬼物語・銃 ペマ・ツェテン作/星泉
 閻魔への訴え エ・ニマ・ツェリン作/三浦順子訳
 犬になった男 エ・ニマ・ツェリン作/三浦順子訳
 羊のひとりごと ランダ作/星泉
 一九八六年の雨合羽 ゴメ・ツェラン・タシ作/星泉
Ⅲ.現実と非現実の間
 神降ろしは悪魔憑き ツェラン・トンドゥブ作/海老原志穂訳
 子猫の足跡 レーコル作/星泉
 ごみ ツェワン・ナムジャ作/星泉
 一脚鬼カント ランダ作/三浦順子訳

収録されている作品は、幻想奇譚小説という共通点はあるが、その作品世界観や物語の構造などはそれぞれに特徴的であり独創的である。「むかしむかしあるところに~」という書き出しで始まるようなおとぎ話を感じさせる郷愁を誘うような素朴さを持つ作品もあれば、芥川龍之介の作品を思わせるようなタイプの作品もあり、しっかりと構成された少し長めの作品もあれば、数ページで完結するショートショートのような作品もある。ホラー的な要素が強めの作品もあるし、思わず笑ってしまうような作品もある。チベットという土地柄や仏教に根付く作品もある。英米の幻想奇譚小説とは違う、どちらかというと日本の昔話やおとぎ話、古くからの言い伝え・伝承に通じる作品となっていて、だからこそ読んでいてどこか懐かしく思えるのかもしれない。

作品によって読み応えにバラつきもあるので、読んでいてググッと惹き込まれて前のめりに読み進めてしまう作品もあれば、肩透かしのようにサラッと終わってしまう作品もある。そこは読者として満足感が左右されるところになるかもしれない。

とはいいつつも、硬軟織り交ぜたバラエティ豊かな13篇が収録されていることは、これまでチベット現代文学になじみのなかった読者にとっては、そのとっかかりとして最適なアンソロジーになると個人的には考えている。私自身、おそらく今の時点で翻訳刊行されているチベット現代文学作品をほぼすべて入手して積んであるが、最初に読んだのが本書で正解だったかもと思う。特定の作家の長編や短編集ではなく、幾人かの作家の作品が収録されたアンソロジーは、チベット文学にかぎらず、その他の外国語文学を知る最初の1冊として有効なのかもしれないし、チベット文学やその他の外国語文学の入門編というだけではなく、海外文学の入門編としても有効かもしれない。

まだチベット文学を読んだことがないという方には、最初の一歩としてオススメのアンソロジーです。