タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

「裔の子」多田尋子/福武書店-家族のつながり、人とのつながり、さまざまなつながりが生み出す関係性はときに人を幸せにし、ときに人を苦しめる

 

 

『多田尋子作品を読む』の第5弾。多田尋子の商業誌デビュー作「凪」を含む4篇が収録された短編集「裔(すえ)の子」を読んだ。

収録されているのは以下の4篇

裔の子 ※第101回芥川賞候補(1989年上期)
殯笛
夢の巣

「裔の子」は、祖母、母、娘と続く女系家族の血のつながりを描く。それは、重い呪縛のように主人公沢子の心を蝕み続ける。
沢子の家は、寺の近くで墓参客に花を売ったり水桶や植木鋏を貸す店を営んでいる。家には、沢子の母と祖母が一緒に暮らしていて、店は主に母が見ている。沢子は寺の保育園で働いていた。

沢子の家には男手はない。祖父の存在も父の存在もほとんど感じられない。連綿と続く女系家族として描かれる。そこに、沢子の縁談話が持ち上がり、彼女は厚夫と結婚して家を出るのだが、祖母は過剰に夫婦に干渉してくる。若い夫婦のことを心配しているというわけではなく、毎日のように電話をかけてきても話のは自分の愚痴ばかりだ。どう話せば祖母や母に自分たちのおかしさをわかってもらえるか。沢子はそう考え続ける。やがて、夫婦の間に女の子が生まれると祖母は夫婦の家に毎日通ってくるようになり、そして事件が起きる。もともと精神的に不安のあった母が自殺未遂を起こすのだ。

祖母や母との関係、母親の自殺未遂、祖母の過剰なまでの干渉、生まれてきた子どもが女の子であったという事実。さまざまな要因が次第に沢子の心を蝕んでいく。女系家族の呪縛から逃れなければならないという強い思いが、そのためにはどうにか男の子を産んで血の因果を断ち切らなければという思いが次第に彼女を追いつめていく。

二人目の子どもを妊娠した沢子は、お腹の子が男の子であることを強く願う。男の子を産むためにあらゆる努力を惜しまない。だが、沢子は結局流産してしまう。そのことが、ついに沢子の理性を崩壊させてしまうのだった。

「殯笛」の『殯』(もがり)を辞書で引くとこう書いてある。(平凡社/百科事典マイペディア)

本葬まで貴人の遺体を棺に納め仮に安置してまつること。喪の一種とみられ,その建物を殯宮(もがりのみや)という。古代皇室の葬送儀礼では,陵墓ができるまで続けられ,その間,高官たちが次々に遺体に向かって誄(しのびごと)をたてまつった。

また、「もがりぶえ」という読みで『虎落笛』と書く言葉もあって、これは「冬の激しい風が竹垣や柵 (さく) などに吹きつけて発する笛のような音」を意味し、俳句の冬の季語である。

「殯笛」は、小さな居酒屋の女将秋代が恩人の葬儀の夜に店をあける準備をしている場面からはじまる。料理の仕込みをし店を掃除しながら、最近亡くなったふたりのことを思い出している。若い頃に結婚も考えていた野田のこと。看護婦だった秋代にこの小さな居酒屋の女将になることを勧めてくれた川津のこと。

『殯』という亡くなった人を偲ぶ慣習と、冬の風が吹きこんで発せさられる『虎落笛』と呼ばれる音との間に言葉としての関連性があるかはわからないが、誰か親しかったり世話になったりした人を失ったときに心の奥にぽっかりと穴があいて、その穴を寂しさという冷たい風がヒューと吹き抜けるのを感じながら、亡き人の記憶を思い起こすことは私たちは誰しも経験することだ。この物語で描かれる秋代も私たちと同様に亡き人の喪失感を感じながら懐かしい記憶を思い出すことで彼らを弔い、自らを慰めている。

「夢の巣」は、小さな劇団が舞台の小説で、これまでに読んできた多田尋子作品の中では異質な作品だ。もっとも、書かれたのはデビュー初期のころなので、多田尋子らしさが固まる前のいろいろなタイプの作品を書いている時期の作品だからそう感じられるのだろう。裏方仕事ばかりでなかなか役をもらえない主人公のユリエが、稽古場で劇団主催者の津村と話すうちに、自分の居場所について、自分の役割について考える。悩める若者の姿を描く作品である。

「凪」は、瀬戸内海の小さな島で暮らすすぎのと彼女が介護している義母カウの生活を描く。1985年1月号の「海燕」に掲載された多田尋子の商業誌デビュー作品だ。70歳をすぎたすぎのと90歳をすぎたカウ。カウは寝たきりですぎのの世話がなければ寝返りをうつこともできない。すぎのが明るいキャラクターとして描かれているので、あまり悲壮感は感じられないが、老老介護の厳しい現実はこの時代からすでに存在していたのだということを考えさせられる。

血がつながっているとか、つながっていないとか、人間関係を語る上でつながりは大切な要素だと思う。ただ、どのようなつながり方であれ、人間同士のつながりには、幸福なつながりもあれば不幸なつながりもある。つながっていることが人を縛りつけてしまうこともあれば、つながっていることで安心感を与えてくれることもある。

この短編集には、いろいろなつながりが描かれている。つながりから生まれるさまざまな出来事がさまざまな物語となって形作られていく。多田尋子に限らず多くの作家がそういう物語を生み出しているのだということを考えずにはいられない。

 

s-taka130922.hatenablog.com

s-taka130922.hatenablog.com

s-taka130922.hatenablog.com

s-taka130922.hatenablog.com