タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

「秘密」多田尋子/講談社-結婚できる機会があるのに結婚しなかった女性。結婚とは何か。結婚すれば幸せなのか。結婚に対する価値観を問われているような短編集

 

 

書肆汽水域刊「体温」講談社刊「体温」に続いて、講談社刊の「秘密」を読んだ。書肆汽水域「体温」に収録されている「秘密」を含む4篇が収録されている。

毀れた絵具箱
遠い華燭
雑踏
秘密

東京の美術学校に通う朋子は、仕方なく出席した美術関係者の集まりで画材屋に勤める藤倉と出会う。藤倉は、一方的に朋子に思いを寄せ、彼女が授業で使う画材を安く売ってくれたり、帰省するときにはアパートから駅まで送り迎えしてくれたりと、過剰と思えるほどに接してくるようになる。朋子は、藤倉の存在を鬱陶しく不気味に感じているが、きっぱりと拒絶することもなく彼の好意に甘えてしまっていた。(「毀れた絵具箱」)

雑な言い方をしてしまうと、「毀れた絵具箱」はストーカー小説である。藤倉は、画材店の客である朋子に一方的に惚れ込み、宴会の帰りにわざわざ彼女を家まで送り、頼んでもいないのに画材や荷物の運搬を手助けする。朋子は遠回しに藤倉を拒絶するのだが、彼は「ぼくはきらわれていることをようく知ってます」と意に介さない。それどころか、藤倉は朋子に「結婚してほしい」と告げるのだ。朋子が先輩の酒井に頼んで恋人のフリをして断っても「ぼくは絶対にあきらめませんよ」と言う。

藤倉のような粘着質の男は、同じ男性である私からみても気持ち悪い。朋子も彼に付きまとわれるのは迷惑なのだが、何かと世話をしてもらえているので強く拒絶することができなくて、そこにつけこまれている。藤倉の巧妙さは、ある一線を踏み越えてまで執着しないところだ。物語が進んでいくと、藤倉は一時的に朋子の前から姿を消す。それにより朋子は、嫌いだったはずの藤倉の存在が逆に気になってしまう。そうして、常に藤倉は自分の存在を朋子に意識させ続けていく。実に厭な感じの作品だった。

「遠い華燭」は、これまで読んできた多田尋子作品の中ではじめての男性主人公の作品だった。大学生の耕司がようやく就職を決めたところから物語ははじまる。彼には、淳子という恋人がいるのだが、この淳子がなかなかに曲者で、耕司を振り回す。淳子は同じ大学生で、耕司よりも優秀だし家庭環境にも恵まれている。性格は真面目だが、それゆえに何を考えているのかよくわからないところがあって、耕司を困惑させる。

淳子は自立しているようでいて、実は依存性が高く関わった人間に重いと感じさせる女性だ。耕司の就職活動や、働き始めてからの仕事ぶりにも「帰りが遅い」「なぜ残業するのか」などとよく口を出す。耕司は次第に彼女への気持ちが冷めていく。そんなときに同じ会社の先輩社員友子と出会う。耕司からみた朋子は、真に自立した女性で淳子とは正反対の女性だった。

恋人の行動に悩まされ、このまま関係を続けるべきか悩む耕司は友子に相談相手になってもらっているうちに恋愛感情を抱くようになる。淳子との関係を続けるか、彼女と別れて友子を選ぶか。最終的に彼が下した決断は正しかったのか。優柔不断な男の末路を考えさせられる。と同時に、この物語の本当の主役は友子なのだということもわかってくる。

デパートの店員として働く網子は、お店が終わった帰り道で野島という若い男に声をかけられる。彼は、その直前にデパートの閉店間際に飛び込んできてネクタイピンを買っていった客だった。その出会いをきっかけに網子は野島と付き合うようになる。ふたりは付き合いを重ね、結婚を意識する年齢になっていく。野島は結婚を願望していたが、網子の方には結婚に踏み出せない事情があった。(「雑踏」)

本書のあとがきで著者は、「この作品集には、機会があったのに結婚する生きかたの方をえらべなかった女たちがたまたまそろってしまった」と記している。「雑踏」の網子は収録されている4篇に登場する『結婚をえらべなかった女性』の典型的なケースといえるかもしれない。網子が野島との結婚に踏み出せない理由はいくつかある。デパートに入社して間もない頃に出会った吉野という先輩社員の生き方への憧れ。父親もわからないまま網子を身ごもって出産し、そしてまた違う男の子どもを身ごもった末に子宮外妊娠で命を落とした母海子の存在。

表題作となっている「秘密」の主人公素子も、自分の出生の秘密とその秘密を共有する兄との関係から自分は結婚しないと決めて生きることを選ぶが、そこは「雑踏」の網子との共通項かと思う。網子や素子のように、自分の置かれた環境や過去の秘密を理由にして結婚を諦める女性は、おそらく今の世の中にはほとんど存在しないだろう。そもそも、「雑踏」「秘密」が書かれた1990年から1992年ころでも、そんな古臭い考えで結婚を諦める女性はほとんどいなかったと思う。

「毀れた絵具箱」の朋子や「遠い華燭」の友子のように、自分や相手の気持ちや態度から結婚に至らなかった女性たちがいる一方で、網子や素子のように自らの育ってきた環境によって結婚そのものを考えられない女性がいる。本書に登場するのは、結婚に対するさまざまな価値観だ。物語は女性の結婚観として描かれているが、同じことは男性にもいえることだと思う。結婚とはなにか。何が本当の幸せなのか。そんなことを考えたくなる短編集だった。

 

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