タカラ~ムの本棚

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「体温」多田尋子/講談社-『男性の存在感』が描かれる4つの短篇を収録する作品集

 

 

書肆汽水域から刊行された「多田尋子作品集 体温」で、多田尋子という作家の存在を知った。30年以上前に書かれた作品であり落ち着いた大人の恋愛を描く短篇小説は、古さを感じさせるが、それでいてどこかに新しさも感じさせて、「こんな作家がいたのか」という驚きがあった。

多田尋子の過去作品を読んでみたいと思った。残念ながら新刊書店で入手するのは困難で古書価も高いので購入するのは難しいが、幸いにして地元の図書館に蔵書があったので予約した。まず、書肆汽水域版でも表題作となった「体温」を含む短編集「体温」(講談社刊)を読む。

表題作を含む4篇が収録されている。

やさしい男
焚火
オンドルのある家
体温

「やさしい男」は、25歳以上年の離れた男性と結婚した組子が主人公。彼女は、夫の俊男が30年以上前から暮らしてきた公団住宅で、夫と息子の洋一と暮らしている。俊男には精神を病んだ常子という前妻がいて、彼は彼女をずっと支え続けてきた。常子は、俊男にだけは暴力的で攻撃的な態度をみせてくるような状態で、彼は常に彼女に振り回されてときに怪我をしたりもしてきたが、彼女を見捨てることはしなかった。常子と離婚し組子と再婚した今になっても、入院している常子の見舞いに行っている。それは、組子にとっては不愉快でもあるが、同時に好きなところでもあった。

『やさしい男』とは俊男のことだ。彼の存在をどう読むかによって、この作品の印象はだいぶ異なってくると思う。俊男の常子に対する気持ち、組子に対する気持ちは、やさしいという言葉だけでは片付けられない。彼のやさしさを否定的にみれば、優柔不断で八方美人である。計算高いととらえる人もあるかもしれない。ここまで善人にはなりきれないとも思う。一方で、自分との生活の中で精神を病んでしまった常子を献身的に支え続ける俊男を責任感の強いやさしい男としてとらえる人もいるだろう。読者にさまざまな印象を与える作品だと感じる。

「焚火」の主人公葦子は、幼稚園につとめる独身の女性である。物語は、彼女がまだ若いころに出会った園児の父西野との関係を描く。といっても不倫というわけではない。お互いに相手のことは思っているけれど、恋愛に発展するわけではなく、良き相談相手の関係だ。ときどきふたりであって酒を酌み交わし食事をする。それ以上の関係にはならない。そこがいい。妻子のある男と独り身の女が出会い恋に落ちる。その先にはお決まりのようにセックスがあり、ドロドロした恋愛模様が展開する。そんなお決まりのような『大人の恋愛物語』ではなく、地に足のついたリアルな大人の関係が、葦子と西野の関係として描かれているのだ。落ち着いた気持ちで読める。

「やさしい男」の俊男、「焚火」の西野、「体温」の小山は、いずれも組子や葦子、率子にとって尊敬する存在、頼れる存在の男性である。だが、「オンドルのある家」の梶は真逆の存在だ。物語は、寝たきりの伯母と暮らす季子が30年ぶりの友人ふじ子を駅で待っている場面からはじまり、季子の過去が描かれる。季子は、明確に自分の意志を持って生きるタイプの女性ではない。周囲に流されるように生きてきた。彼女を翻弄するのが梶であり、典型的なダメンズである。

「やさしい男」「焚火」「オンドルのある家」と並べてみると「体温」については、書肆汽水域版の作品集で読んだときとは違う印象を受けた。それは、本書全体を通じて描かれるテーマ性によるものだろうと思う。

私は、本書の4つの短篇の共通性は『男性の存在感』だと感じている。主人公はいずれも女性で、女性の目線で物語は記されているが、そこに描かれるのは主人公たちと対峙する男性たちの姿だ。精神を病んだ前妻への責任を果たそうとする俊男。葦子の良き理解者として大人の対応でこたえてくれる西野。どうしようもないダメンズの梶。亡き友の妻だった率子の相談相手として彼女に優しい愛情を注ぐ小山。4人はそれぞれに違うキャラクターであり、読者はさまざまな感情をもって彼らのことを読み解こうとする。共感するところもあるし、嫌悪するところもある。男の良いところ、悪いところ、強いところ、弱いところがみえる。

作品としてはやはり古いし、特にケレン味があるわけでもない。オーソドックスなスタイルの小説だと思う。だが、その飾らないところが逆にいま読むと新鮮なのだと、改めて感じた。

 

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