タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

R・J・パラシオ/中井はるの訳「もうひとつのワンダー」(ほるぷ出版)-顔に障がいのある少年と出会った彼らがとった態度。なぜ、あんなことをしたのか。3人の少年少女について描くスピンオフストーリー

生まれつき顔に障がいのある少年オギーが学校に通うことでおきるいろいろな経験を通じて、オギー自身や彼の周囲の人々が成長し変化していく姿を描き出し、世界的ベストセラーなった「ワンダー」。本書は、「ワンダー」にも登場した主要なキャラクター、ジュリアン、クリストファー、シャーロットについて描いたスピンオフ作品である。

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「ワンダー」を刊行してから、著者には「続編の予定はないのか?」という質問が寄せられたと、『まえがき』の冒頭で著者が言及している。著者は、質問を受けるごとに申し訳ないと思いつつもこう答えていた。

「いえ、続編は出さない方がいいと思っています。このあとオギーたちがどうなっていくのかは、読者の方がたご自身に想像していただきたいのです」

 

確かに読者としては、「ワンダー」のラストの場面で大いに感動し、オギーやジャック、サマーたちがこのあとどう成長し、そしてどんな大人になるのだろうと気になった。中でも、オギーの敵役であり「ワンダー」のラストではビーチャー学園を去ることになったジュリアンは、その後どうなったのか気になっていた。

「ワンダー」の中では完全に悪役として描かれたジュリアンは、読者からもっとも嫌われた存在である。「冷静を保ち、ジュリアンになるな」というスローガンもネット上に公開されたという。(以下はネット公開されているポスターの例。他にもいろいろなパターンがある)

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著者が続編としてではなくスピンオフとして本書を書こうと考えたのは、ジュリアンが一番の理由だったという。読者からの嫌われ者となってしまったジュリアンについて、彼の側からキチンと書いておく必要があると考えたのだろう。こうして、ジュリアンの物語とクリストファー、シャーロットの物語を加えた本書ができあがったのである。

ジュリアンの物語は、彼がオギーと出会い彼をいじめることになるに至った理由がジュリアンの側から描かれている。ただ単純にオギーを“異質な存在”として嫌悪したのではなく、ジュリアンが抱える複雑なトラウマや彼を甘やかす両親(特に母親)の存在が、彼の性格を歪めてきたという実情がそこにある。

ビーチャー学園を辞め、新年度から別の学校に通うことになるジュリアンは、夏休みをパリに住む祖母の家で過ごすことになる。そこで彼は、祖母が子どもの頃に体験した壮絶な話を聞くことになる。彼の祖母はユダヤ人であり、ナチスドイツのユダヤ人迫害によって多くの仲間が強制収容所にいれられ虐殺された。祖母は、ナチスユダヤ人狩りが激しさを増していく中、同級生の家に匿ってもらって生き延びる。祖母を救った同級生は、身体に障がいがあり、みんなから『トゥルトー(カニ)』と呼ばれていじめられていた少年だった。

なぜジュリアンはオギーをいじめてしまったのか。そこには、オギーに対する恐怖心がある。ジュリアンは、祖母が体験した話を聞き、自分がオギーをいじめたことの罪の重さ深さを初めて実感する。ジュリアンと祖母の話、そしてラストに明かされる真実は、読んでいて激しく胸を揺さぶった。涙がこみ上げた。

クリストファーの物語、シャーロットの物語でも、ふたりそれぞれのオギーとの関係や考え方、そして彼ら自身が抱える人間関係の悩みが描かれている。ジュリアンもそうだが、彼らは特別な人間ではない。彼らはどこにでもいる普通の少年であり少女だ。友だちとバカ騒ぎして、恋バナで盛り上がったりするのが大好きな子どもたちだ。勉強が苦手な子もいれば、ガリ勉の子どもだっている。運動が苦手なインドア派の子どもがいれば、身体を動かすことが大好きな子どももいる。ひとりひとり顔も体型も性格も違うけど、普通の子どもたちなのだ。

「ワンダー」が、オギーという他の子どもとは違う特別な存在が現れたことで起きる奇跡(ワンダー)描いたように、「もうひとつのワンダー」はジュリアン、クリストファー、シャーロットという普通の子どもが体験する出来事が奇跡(ワンダー)を起こすのだということを私たちに教えてくれる。

特別だから奇跡を起こせるんじゃない。普通の子どもたちでも奇跡を起こせるんだ。「もうひとつのワンダー」とはそういうお話なのである。