ドイツ軍による空襲が連日のように続くロンドン。連日の戦局分析会議でくたびれ、夕食をとろうとクラブに足を運んだ私は、そこでジョン・シドニー・ハワードと出会い、彼が経験した壮絶な体験の話を聞く。
ネヴィル・シュート「パイド・パイパー 自由への越境」は、ドイツ軍による攻撃が激しさを増す中、老弁護士ジョン・シドニー・ハワードがドイツ軍の目をかいくぐりながら子どもたちを連れてフランスからイギリスを目指す道中を描く物語だ。
戦争で息子を失ったハワードは、その傷心を癒やすためにフランスの片田舎にあるホテルに滞在していた。ドイツによるフランスへの侵攻は次第に激化し情勢は厳しくなっていく。イギリス軍のダンケルク撤退の報を知ったハワードはイギリスへ帰ることを決める。そして、彼の帰国の話を聞きつけた同宿の夫婦からあることをお願いされることになる。それは、夫婦のふたりの子どもを一緒に連れて帰ってほしいというものだった。夫婦の夫は国際連盟の職員でスイスの本部を離れることはできないし、妻は夫のそばに残りたい。しかし、子どもたちを危険に晒すわけにはいかない。そこで、ハワードにお願いしてきたというわけである。
こうして、ハワードはふたりの子どもたちを連れてイギリスへ帰国の旅に出るのだが、ここからがこの物語のメインである。当初、鉄道などを利用してすんなりと帰国できる目論見だったハワードたちだが、ドイツ軍の攻撃が激しくなりフランス各所がドンドンと侵略、占領されていくことで移動ルートが次々と狭められていく。そして、次第に彼らは追い詰められていく。
また、旅の途中でハワードは、別の子どもたちも一緒にイギリスへ連れて行くことになっていく。ドイツ軍の攻撃によって両親を殺されひとり生き残った子やホテルのメイドの姪っ子など。本書のタイトルである「パイド・パイパー」は、「ハーメルンの笛吹き男」で笛の音色で町の子どもたちを連れ去ってしまう笛吹き男を指すが、フランスからイギリスへと命がけの旅を続けるハワードは、まさに善良なる“パイド・パイパー”である。また、作中ではハワードが草笛を作って子どもたちを楽しませたり励ましたりする場面が描かれるが、そこも“パイド・パイパー”たる一面であろう。
冒頭に、ドイツ軍の空襲が続く中でハワードが自らの数奇な旅の話を私に語っていることから、彼が無事に祖国に戻ってきたことは明らかだ。彼が子どもたち全員を無事に連れてこられたのか、子どもたちはイギリス到着後どうなっていったのか。その行末はラストにハワード自身の口から告げられる。
本書は1942年に刊行された。ハワードがイギリスへの帰国を決断するきっかけとなったダンケルクの戦いは1940年のことだから、ものすごくリアルタイムに書かれた作品である。リアルタイムに書かれた作品であるからこそ、そこには著者が戦争をどう捉えていて、その時代を生きている人たちや後世の人たちに何を伝えようとしたのか伝えてくれたのかを知ることができると思う。老体に鞭打ち、子どもたちを守ってイギリスへの旅を続けたハワードは、その点で見れば英雄といえる。一方で、老人や子どもや女性たちがその身を危険に晒し、命をかけて生きていかなければならないという異常な状況は、戦争というものの非日常性や非人道性を表していると感じる。戦時における英雄を描いているようにみせて、その根底には戦争の異常さを訴え明確に戦争を(その当時でいえばおそらくはナチスドイツを)批判する意志がこの作品には込められているのではないかと思った。