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「翻訳文学紀行Ⅵ」レスリー・マーモン・シルコウ他/大松智也訳他/ことばのたび社-異文化の深みを味わう翻訳文学アンソロジーの第6号。ネイティブアメリカンやパレスチナなど世界の物語に浸れる一冊

 

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翻訳文学の魅力は、世界中のさまざまな文化や感性に触れられるところにあります。ことばのたび社による翻訳同人アンソロジー「翻訳文学紀行」は、そうした魅力ある翻訳文学の中でも私には少しなじみのない世界を紹介してくれるシリーズで、本書はその第6号となります。

今回の収録作品は、英語文学(アメリカ)、ハンガリー語文学(ハンガリー)、アラビア語文学(パレスチナ)、ドイツ語文学(オーストリア)、華語文学(中華民国)となっています。パレスチナの作家による作品に注目してしまいますが、その他の作品も実にユニークで、それぞれに独特な物語を楽しむことができます。

「『ストーリーテラー』より二篇」レスリー・マーモン・シルコウ/大松智也訳(英語文学)
 「中央署当直にて」レィテー・イェネー/中井杏奈訳(ハンガリー語文学)
 「ワーディ・ニスナースの新しい地図」ターハー・ムハンマド・アリー/西道奎・溝川貴己訳(アラビア語文学)
 「『ゴットランド島』[第一部第三章「カインとアベル」]」ミヒャエル・スタヴァリチ/高田緑訳(ドイツ語文学)
 「鉄漿」朱西南/藺豪訳(華語文学)

「『ストーリーテラー』より二篇」は、英語文学と書いてしまうと凡庸な英米文学のひとつに思えてしまいますが、著者のレスリー・マーモン・シルコウネイティヴ・アメリカン文学を代表する作家のひとり〉となると見え方が変わってきます。著者自身が「メキシコ、アングロ・サクソン、ラグーナ・プエブロ族の血を引いており、オールド・ラグーナというネイティヴ・アメリカンの共同体で女系の親戚たちから伝統、伝承を教わって育った。」(作品冒頭の著者プロフィールより)とあり、訳者あとがきによればその作品はネイティヴ・アメリカンの伝統や口承文化を取り入れた作風になっているのが特長とのこと。「ストーリーテラー」という作品集から選ばれた二篇は、著者の作風を知ってから振り返ると、小説としての完成度の中に言い伝えによって継承されてきたいくつもの物語の融合した世界が見えてくるようにも思えてきます。

そして、やはり注目せざるを得ないのが、パレスチナ人作家ターハー・ムハンマド・アリーの「ワーディ・ニスナースの新しい地図」でしょう。パレスチナ問題というと、、リアルタイムに起きているイスラエルによる激しい攻撃の標的となっているガザ地区を想起しますが、パレスチナの問題はそこだけに集中するものではないということが本作を読むとわかります。イスラエル国内におけるパレスチナの問題は、いくつもの複雑な状況が絡み合い、私たちにはすぐには理解が及ばないものとなっています。本作は、イスラエル国内で暮らすパレスチナ人同士の複雑な事情や背景からくる関係性を核として描かれる物語であり、私たちがニュースなどを通じて見聞している外側にあるパレスチナ問題を知る作品だと思います。

ネイティヴ・アメリカンパレスチナといった人種や民族、国家の問題から注目される2作について記しましたが、その他の3作が注目に値しない作品ということではありません。

ハンガリーの作家レィテー・イェネーの「中央署当直にて」は、4人の登場人物の会話で構成される戯曲です。作品としては喜劇であり、ある女性に結婚前提での交際を申し込もうとしているバコニィという男が、同じ女性に求婚している警察署長が女性との約束の時間に遅れるように画策してほしいとケレケシュという男に頼み、ケレケシュがバコニィの頼みを実現しようとしていろいろと話しの辻褄を合わせようと奮闘する姿がユーモラスに描かれています。1935年の作品とのことですが、このような会話の妙や演者のドタバタで笑わせる喜劇の面白さに時代は関係ないのだと思いました。それと、訳者あとがきにあるレィテー・イェネーの型破りなエピソードも必読です。

オーストリアの作家ミヒャエル・スタヴァリチの「『ゴットランド島』[第一部第三章「カインとアベル」]」は、「ゴッドランド島」という長編小説の一部を抜粋したものです。「カインとアベル」は、旧約聖書「創世記」の第4章に描かれる物語で、兄弟間の嫉妬から生まれた世界初の殺人を描いています。スタヴァリチの「カインとアベル」は、学校の授業で「カインとアベル」をそれぞれに解釈した作文コンテストがある中、語り部の僕がひとりの生徒の「私が父と兄と釣りに行き、神が私をコーヒーに招いたとき」という作文に強く心を惹かれるという内容になっています。本アンソロジーに訳出されたのは長編全体のごく一部となりますが、この短い一部を読んだだけでも長編全体を読みたくなるほどの魅力があります。

朱西南の「鉄漿」は、大雪により閉ざされた小さな町でかつて名を馳せた孟家の血を引く最後の一人である孟憲貴が孤独に死を迎えるところから物語が始まります。鉄道の敷設を巡る町の人々の混乱と恐怖、官塩の賃借権を巡る孟昭有と沈長発の対立があり、ふたりの常軌を逸した破天荒ぶりに驚くとともに少し笑ってしまう短編です。孟昭有と沈長発にまつわるエピソードの強烈なインパクトと前半で描かれる孟憲貴の没落と孤独死の寂寥感との対比がひとつの一族の栄枯盛衰のみならず小さな町の盛衰も描き出している作品になっています。

「翻訳文学紀行」には、英米だけでなくその他の様々な国や地域の異文化に触れる旅をしているかのようなのような魅力があると思います。それぞれの作品には、それぞれの文化の中で育まれてきた物語が描かれていて、いくつもの異なる視点で世界を見ることができます。創造する物語にとどまらず、過去から語り継がれし伝承の物語やその時代、その場所にあってこそ生み出される物語の力を再認識できたように思います。5つの物語を通じて、私たちの日常からは知ることのできない世界につながることができる。未知の世界に触れ、当たらな視点を得る楽しさを味わえるアンソロジーだと思います。異なる文化や言語に興味を持つ全ての人におすすめの一冊です。