タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

ガエル・ファイユ/加藤かおり訳「ちいさな国で」(早川書房)-アフリカのちいさな国で起きた民族同士の対立。荒廃していく国と崩壊していく家族。

 

ガエル・ファイユは、フランス人の父とルワンダ難民の母との間に1982年にブルンジで生まれた。本書「ちいさな国で」は、彼の処女作にあたる。

 

物語は、ぼく(ガブリエル)の語りで進んでいく。フランス人の父とルワンダ難民の母の間に生まれたぼくと妹のアナは、この国では恵まれた家庭の子どもだ。しかし、その一方でこの国の人びとは確実に貧しく厳しい生活を送っている。

隣国ルワンダも含め、民族間での衝突が繰り返されるちいさな国は、形ばかりの選挙で独立した共和国としての体裁を繕っている。それも、上辺ばかりの民主国家にすぎない。やがて、軍部主導により発生したクーデターで大統領が暗殺されると、ぼくが生まれ育ったちいさな国は内戦へと突き進んでいく。そして、罪もない老人や女性や子どもたちが犠牲となる、

ここには、事実を舞台設定として描かれるぼくの闘いと成長の記録が記されている。まるでドキュメンタリーを読んでいるかのように、ひとつひとつの物語がググっと読み手の心に押し入ってくるような気がする。ページをめくるごとに作品に閉じ込められていたパワーが解き放たれ、洪水のように私を包み込んでくるような気がして、ひどく消耗する読書であった。

なぜ、違う民族同士とはいえ同じ国の人たちが互いにいがみ合って対立し、戦い合わなければならないのか。そんな問いかけは無意味なことなのかもしれない。対立の火種というのは常にどこかでくすぶっていて、ちょっとしたきっかけで一気に燃え上がってしまうものなのだ。それは、違う民族だからとか、信仰する宗教が違うからとか、主義主張が違うからとか、理由は様々なのだ。ぼくが生まれて暮らしているちいさな国では、それが民族間の対立だったのだ。

一度対立の火種が燃え上がると人間の理性は軽々と吹き飛んでしまうものらしい。内戦状態となったちいさな国では、突然目の前で人が殺されていく。ぼくも街でひとりの男がリンチされ殺される姿を目撃する。しかし、街を行き交う人たちはその光景を日常として受け入れている。特に騒ぎ立てることもなく死体をよけて通行人は先を急ぐ。それは、ぼくもまた同様だ。

ちいさな国が内戦で壊れていく。そして、ぼくの家族も母の精神とともに崩壊していく。次第に激化していく内戦の中で、父はぼくと妹を安全なフランスに逃す。こうしてぼくの家族は離れ離れとある。

1982年生まれの著者は、本書に描かれている1993年からの内戦とそこで起きた大量虐殺をリアルに体験している。ただ、訳者あとがきに記されているように、本書の主人公であるぼく(ガブリエル)と著者は必ずして同一人物ではない。それでも、著者がぼくと同じように内戦の中でいくつもの悲劇的な状況を直接目撃したり、聞いてきたであろうことは間違いないように思う。

本書には印象的なエピソードがある。ぼくとエコノモポロス夫人との交流のエピソードだ。ある日の午後に偶然知り合ったふたりは、夫人が所有する本を介して交流を深めていく。ぼくは、夫人からたくさんの本を借り、読み、感想を夫人に伝える。それは、ぼくがフランスに旅立つときまで続く。

殺伐とした状況にあって、本が人間の最後の理性、尊厳をつなぎとめる役割を果たしているという意味で、私はこのエピソードが強く心に残った。戦いは無意味で不毛なものだ。その無意味で不毛な日々の中で、本がぼくに夢を与えてくれて、それをエコノモポロス夫人に話し聞かせることが、崩壊しそうなぼくの心をギリギリのところで支えてくれている。

本があることの意味を再認識させてくれるエピソードだと思った。

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