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山高登「東京の編集者~山高登さんに話を聞く」(夏葉社)-91歳の版画家が語る新潮社編集者時代の貴重な作家たちとの記憶

 

山高登さんは、大正15年生まれで今年(2017年)に91歳となる木版画家です。

私は、そもそも美術に疎いこともあり、山高登さんという木版画家の存在を知りませんでした。でも、作品は目にしたことがあります。夏葉社から刊行されている関口良雄「昔日の客」に山高登さんの木版画が掲載されているのです。

山高さんは、現在木版画家となっていますが、それ以前は新潮社で文芸編集者をしていたといいます。本書「東京の編集者~山高登さんに話を聞く」は、山高さんが編集者であったことを知った夏葉社の島田さんが、2016年の夏に山高さんのご自宅に通ってお話を聞いた内容をまとめたものです。

 

本書には、編集者時代の山高さんと内田百閒、志賀直哉上林暁といった作家たちとのエピソードがたくさん掲載されています。また、山高さんが手がけた本の装丁や木版画で作られた蔵書票もいくつか掲載されています。

編集者時代のエピソードや作品の数々はどれも魅力的ですが、それに匹敵するくらい魅力的なのが、山高さんが撮影した写真です。

それは、山高さんが版画を制作するために街の風景、街に暮らす人びとの姿を撮影したモノクロームの写真です。写真は、表紙にも使われていて、シルエットになった人びとの向こうに運河と浮かぶ船が写っています。人びとの表情は影となっていてうかがい知れませんが、どこか楽しげにも、逆に憂いを感じさせるようにも見え、深い味わいを感じます。

東京に生まれて戦火をくぐり抜けてきた末に、山本有三が新潮社で手がけていた「銀河」という児童雑誌の手伝いをするようになった山高さんは、そのまま新潮社に入社して文芸編集者としての日々をスタートさせます。新潮文庫の作品も手がけていて、村岡花子訳の「赤毛のアン」を新潮文庫に企画したのも山高さんでした。

山高さんは、文芸編集者として数多くの作家を担当しています。吉屋信子志賀直哉、内田百閒といった現在文豪と呼ばれるような作家や、尾崎一雄上林暁といった今では知る人も少ない私小説作家が山高さんの担当でした。中でも内田百閒についてのエピソードは、やはり面白いです。

新潮社出版部およそ80名のほとんど誰も内田百閒の担当になりたがらなかった中、山高さんは自らすすんで内田百閒の担当となり、百閒が亡くなるまで続けられていたそうです。内田百閒はとにかく人嫌いで、自宅の玄関にはこんな貼り紙があったそうです。

世の中に人の来るこそうるさけれ
とは云ふもののお前ではなし
世の中に人の来るこそうれしけれ
とは云ふもののお前ではなし

最後にてがけていた「日没閉門」は、百閒の葬儀の日に完成し刷り上がったばかりの本が棺に納められたのだそうです。

「東京の編集者」は、そうしたエピソードの数々と、木版画、写真の数々を通じて昭和の貴重な作家たちや当時の東京の風景を伝えてくれる大事な記録だと思います。山高登さんの話を聞き、その記憶や記録、作品を形にして残そうと本書を企画し作り上げた夏葉社はすごいと思いました。