タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

「ネイティヴ・サン アメリカの息子」リチャード・ライト/上岡伸雄訳/新潮社-1940年に刊行され、その内容から全米読書界を震撼させた問題作。20世紀アメリカ文学史に残る作品の新訳版。

 

 

2020年5月に起きたジョージ・フロイド事件を発端として全米に広がったブラック・ライブズ・マター運動。その当時は日本でも大きく報道されたBLM運動だが、最近ではほとんど報道されなくなった。だが、BLM運動が終息したとか黒人差別問題が解消されたということではない。日本にその動向が伝わっていないかメディア等での報道がされていないだけで、BLMのうねりは未だに根深く存在している。

ネイティヴ・サン アメリカの息子」の帯には大きく“ブラック・ライヴズ・マターの原点”と記されている。1940年にアフリカ系黒人作家のリチャード・ライトによって書かれた本書は、「訳者あとがき」によれば、「その衝撃的な内容でアメリカの読書界を震撼させた」問題作である。タイトルの「ネイティヴ・サン」は、『その土地生まれの息子』のことで、主人公の黒人青年がアメリカで生まれて育ったアフリカ系アメリカ人であることを示している。

舞台となるのは1930年代、大恐慌時代のシカゴだ。主人公はアフリカ系の青年ビッガー・トマス。彼は、母と弟、妹と一緒にネズミが走り回るような家で暮らしている。

物語は、「第一部 恐怖」、「第二部 逃亡」、「第三部 運命」の三部構成となっていて、第一部ではビッガーという青年の生活ぶりや性格、黒人仲間との関係などが描かれる。さらに第一部では、白人に対してビッガーが抱える恐怖心であったり、黒人であることで受ける偏見なども描かれている。

ビッガーは、資産家であるドルトン家で運転手として働くことになるが、事件はそこで起きる。ドルトン家の令嬢メアリーは共産主義にかぶれるお嬢様で、恋人のジャンとともに彼を組合の活動に勧誘する。ビッガーは、白人に対する恐怖と共産主義活動に引きずり込まるかもしれないという不安を抱きつつも、ドルトン家に雇われている身としてどう対処したら良いか困惑する。ビッガーの不安をよそにジャンとメアリーは、彼を引き連れてレストランで同席させるなどし、彼の不安はさらに募っていく。

そして悲劇が起きる。酔いつぶれたメアリーを家に送り届け、部屋まで運び込んだビッガーだったが、そこにドルトン夫人が姿を現したのだ。盲目のドルトン夫人は、メアリーの部屋にビッガーがいることはわからない。しかし、もし何かのきっかけで彼がメアリーの部屋にいることがわかってしまったらどうなる? 不安と恐怖に苛まれたビッガーはメアリーが声をださないようにその顔に枕を押し付け、結果的に彼女を殺害してしまう。ますます焦ったビッガーは、メアリーの遺体から首を切断し、暖房炉で焼いて隠蔽を図る。さらに、彼女の失踪の容疑がジャンに向けられるように画策する。しかし、事件は発覚し、ビッガーの逃亡劇が始まる。

ビッガーというひとりの黒人青年が、どうして白人の資産家令嬢を殺害するに至ったのか。そこに、1930年代のアメリカ社会において黒人がどのような立場にあったのかが関わってくる。奴隷としての立場からは解放されて半世紀以上の歳月が過ぎていても、なお黒人に対する差別や偏見は根深くアメリカ社会にはびこっている。本書の舞台となるシカゴは北部の街で、黒人に対する差別や偏見は南部に比べれば少ない。ビッガーが雇われることになるドルトン家も、黒人に対して住宅提供などの支援をしている慈善家として描かれている。だが、それでもビッガーたち黒人側からは、白人は支配者であり畏怖の対象であって、けっして対等な関係ではない。黒人は、白人の支配の下でそれなりの自由を得ているにすぎないのだ。

必死の逃亡もむなしくビッガーは逮捕され裁判にかけられることになる。彼を弁護するのは、彼が罪をなすりつけようとした共産主義者のジョンが紹介してくれたマックスという弁護士だ。検察側はビッガーをメアリー殺害、ベッシー殺害(ビッガーは逃亡中に恋人であった彼女を殺害している)だけではなく、過去に起きた彼とはなんら関係のない別の事件の容疑も押し付けて、彼を死刑にしようとする。一方でマックスは、ビッガーが犯した罪を認めた上で彼の命を救ってほしいと訴える。裁判の行方はどうなるのか。陪審員が、大陪審はどのような決断を下すのか。そこには、やはりこの物語が書かれた時代を背景とした結末が待ち受けている。

冒頭に書いたように、21世紀となった現代においても黒人差別問題は根深く存在し続けている。本書が書かれた当時に比べれば黒人の地位はあがっているが、本質的な差別感情は完全に消えているとは思えない。もちろん、いま本書に書かれたような事件が起きた場合に、本書に描かれるようなストーリーの展開にはならないかもしれない。結末も違った展開になるだろう。それでも、本書の内容が古びたものではなく、「もしかしたら、いまも同じことが起きて、同じような展開になるのでは?」と感じさせる程度には、黒人差別問題が私の中で現在進行形で存在するのは確かだ。そういう問題意識を持たされてしまうということは、人種差別という問題の根深さなのかもしれない。