タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

ナディア・ムラド、ジェナ・クラジェスキ/吉井智津訳「THE LAST GIRL イスラム国に囚われ、闘い続ける女性の物語」(東洋館出版社)-暴力によって尊厳を奪われることのつらさ。イスラム国の残虐で非人道的な犯罪が正しく裁かれるために活動する女性の自伝。

2018年のノーベル平和賞は、「世界中の紛争下で置きている女性に対する性暴力」と闘うふたりの活動家に授与された。コンゴ民主共和国の医師ドニ・ムクウェゲ氏とイラクの少数派ヤズィディ教徒の活動家ナディア・ムラド氏である。

本書は、ナディア・ムラド氏が経験した過酷な事実を自ら綴ったノンフィクションだ。

ナディアは、イラク北部にあるコーチャという小さな村で育った。彼女たちは、ヤズィディ教徒というイスラム教の中でも少数派に属する。両親やたくさんの家族との暮らしは貧しいが平和でもあった。イスラム国によって蹂躙されるまでは。

イスラム国(本書では『ISIS』と記される)が、コーチャを襲ったのは2014年である。ISISの兵士たちは、男たちや老人たちを大量に殺戮し、ナディアのような若い女性は『サビーヤ』として連れ去られた。『サビーヤ』とは、性奴隷のこと。ナディアたちは、女性としてだけでなく人間としての権利を奪われ、ISISの兵士たちの慰みものとして扱われることとなったのだ。

彼女が経験したことは、本書に記されている以上に、筆舌に尽くしがたいことであったと思う。ここに記されていることだけでも、私には衝撃的で、言葉を失わせる内容だった。自分たちの勝手な理屈でイスラム教の教義を解釈し、少数派や異教の人たちへの非人道的な行いを正当化するイスラム国に激しい憤りを覚え、ナディアたちが受けたレイプ被害やヤズィディの人たちへの大量虐殺行為に怒りを覚えた。

本書は、三部構成となっている。第1部には、イスラム国によって蹂躙されるまでの、コーチャでの貧しく慎ましくも平和で幸せな生活が記される。その後に待ち受ける悲劇があるだけに、その幸せな家族の姿がつらい。

第2部には、イスラム国による虐殺行為、サビーヤとしてISISの男たちにレイプされる日々、そして監視のすきをついて逃亡を図るまでのことが記される。本書の中でももっとも読んでいてつらくなるところだ。ただ少数派でイスラム国の信じるイスラム教の教義に反するというだけの理由で、人間らしい扱いもされず、無慈悲に殺されていく人々。女性としての人権も尊厳もなく、性的な慰みものとして扱われ繰り返しレイプされる女性たち。

イスラム国の支配から脱出したナディアは、ISISによる支配に批判的なヒシャームの家族に救われる。ヒシャームとその息子たちは、ナディアをイスラム国から脱出させるために手を尽くし、彼女は拉致されてからおよそ3ヶ月後に自由を得る。

ナディアの闘いは、イスラム国から逃げ出すことで終わるわけではない。彼女は、自分と同じようにサビーヤとして拘束されているヤズィディ教徒の女性たちを救うために、自らの体験したことをすべて話すことで、この異常な状況を広く世界中に知らしめ、イスラム国の残虐さを知ってもらうために立ち上がる。そこからが、ナディアにとっての本当の闘いになったのだ。ヤズィディ教の戒律では、結婚前の女性がセックスをすることはタブーである。レイプによる強制的なセックスであったとしても、同じヤズィディ教徒からは偏見の目でみられるかもしれない。イスラム国から脱出した中には処女膜の再生手術を受けた女性もいたという。

ナディアは、自分が受けた悲惨な体験を話した。世界に向けて発信した。そこには、ただ「強さ」という言葉だけで語ってはいけないような決意がある。

ナディアが望むのは、自分をサビーヤとして弄んだISISの兵士たちへの復讐ではない。彼女が望むのは、イスラム国が行った犯罪に対する正当な裁きだ。イスラム国と真正面から対峙して、彼らが国際的な法の下で裁かれることなのだ。それが「私を最後にするために」ナディアが闘い続ける理由なのだ。

遠く日本に住む私たちは、イスラム国がこれほどの残虐で非人道的な犯罪を行ってきたことを知らない。女性が性奴隷として扱われていたことを知らない。今回、本書を読む機会をいただき、このようなことが起きていたことをはじめて知ることができた。ノーベル平和賞の受賞というきっかけはあったかもしれないが、こうして翻訳され、私たちに知る機会を与えてくれた翻訳者の吉井智津さんと本書を刊行した東洋館出版社に感謝したい。

とてもつらい読書ではあったが、この本を読めて、いろいろなことを知ることができたのは良かったと思っている。