タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

ブノワ・デュトゥールトゥル/赤星絵里訳「幼女と煙草」(早川書房)-行き過ぎた社会を痛烈に皮肉った背筋の寒くなるブラック・ユーモア小説

 

「幼女と煙草」のはじまりは、刑の執行を目前にしたひとりの死刑囚をめぐるトラブルで幕を開ける。警察官殺しの犯人として死刑判決を受けたデジレ・ジョンソンは、死刑囚に許される最後の希望として煙草を一服することを要求する。しかし、彼に刑が執行される刑務所のクァム・ラオ・チン所長は苦悩していた。なぜなら、規則として刑務所内は禁煙と定められていたからだ。なんとか別の願いに変えてもらえないかと所長はデジレに告げるが、デジレは最後の一服を要求することは法律で認められていると主張し撤回を拒む。

 

もうひとつの物語は、市役所の技術顧問として勤める〈僕〉の話だ。市長が打ち出した子どもの権利を尊重し、市役所を託児所として開放する政策のおかげで傍若無人に振る舞う子どもたちを苦々しく感じていた〈僕〉は、ある日、全面禁煙の市役所の中でトイレに隠れてこっそりと一服していた。そこにひとりの少女が迷い込んできたことで、〈僕〉は子どもに対する罪を犯した変態少女性愛者として逮捕されてしまう。〈僕〉は強く身の潔白を訴えるが、「子どもの言うことに嘘はない」として、彼の抗弁は一切無視されてしまう。

煙草をめぐる矛盾に満ちた健康崇拝主義と、盲目的に子どもの権利を認めて守ろうとする社会は、フィクションの世界でありながら妙に現実味を帯びている。

これは、架空の街の話ではなく、私たちの身の回りで現実に起ころうとしている話なのではないか。そんなリアリティを感じてしまう。

受動喫煙による健康被害が声高に訴えられ、喫煙者の居場所はドンドンなくなっている。少子化社会では、子どもは国をあげて守るべき存在であり、子どもの権利は大人と同様あるいはそれ以上に尊重されなければならない。どちらも正論だ。おそらく反論の余地はないし、異を唱えることは世間的に悪であるとみなされる。

「幼女と煙草」が描き出す世界は、行き過ぎた社会の風潮を痛烈に皮肉っている。だから、途中までは笑いながら読めた物語が、いつしか重く心にのしかかってくるようになり、最後には笑えるどころがか怖いと感じるようになる。

物語が進行していくと、死刑囚と〈僕〉の立場が次第に交差していく。そして、ラストには衝撃の展開が待ち構えている。それはあまりに理不尽で、あまりに悲劇的だ。でも、それだからこそ、歯の浮くようなありきたりのラストではなく、読者の心に深く染み入るラストになっていると思う。

本書は、はじめての海外文学vol.3の大人向け推薦書の1冊だ。推薦者は、翻訳家の田内志文さんだ。おそらく、フェアに推薦されていなかったら手に取っていなかった作品だと思う。読み終わって、「面白かった。楽しかった」とスッキリできるタイプの作品ではないが、こういう「イヤ系」タイプの作品が好きな人にはオススメです。

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