タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

「BUTTER」柚木麻子/新潮社-幸せの形ってなんだろう、と考えてしまう

 

 

「バターはエシレというブランドの有塩タイプを使いなさい。丸の内に専門店があるから、そこで手に取って、よく見て買うといいわ。バター不足の今、海外の高級バターを試すいい機会よ。美味しいバターを食べると、私、なにかこう、落ちる感じがするの」
「落ちる?」
「そう。ふわりと、舞い上がるのではなく、落ちる。エレベーターですっと一階下に落ちる感じ。舌先から身体が深く沈んでいくの」

柚木麻子「BUTTER」は、2007年から2009年にかけて起きた首都圏連続不審死事件をモチーフとして描かれた作品です。週刊誌の記者である町田里佳は30代の女性。彼女は、結婚詐欺の末に3人の男性を殺害した容疑で逮捕され、現在裁判中の“カジマナ”こと梶井真奈子と面会し、彼女を取材して記事をものにしたいと考えていました。しかし、カジマナは面会には一切応じることはなく、特に女性記者の面会には応じてくれません。ですが、里佳は親友の伶子からのアドバイスもあり、どうにか面会の許可を得ます。

冒頭の引用は、里佳が初めて東京拘置所でカジマナと面会したときの会話です。里佳の家の冷蔵庫にマーガリンがあると聞いたカジマナは、そのワードに反応します。マーガリンがいかに身体に悪いかを滔々と語り、フェミニストとマーガリンは許せない」とまで息巻いたうえで、その勢いに恐縮する里佳に告げます。

「バター醤油ご飯を作りなさい」

訝しむ里佳に、さらに畳み掛けるようにカジマナが語ったのが冒頭の引用になります。

こうして、カジマナとの奇妙なファーストコンタクトを果たした里佳は、カジマナとの面会を重ね、彼女の気持ちを理解するために、彼女が話す様々な料理を味わい、様々なシチュエーションを経て口にする食事に心を動かされ、いつしかカジマナの不思議な魅力に取りつかれていきます。カジマナの放つ異様なオーラに飲み込まれて翻弄されていくのです。

「BUTTER」の主要な登場人物(カジマナ、里佳、伶子)は、それぞれに違った形でこじらせてしまった女性です。

カジマナは、女とは男につくすことで幸せになれると信じています。美貌やスタイルの良さなどの見てくれでチヤホヤされるのではなく、美味しい料理を振る舞ったり、甲斐甲斐しく面倒をみて、男たちがカジマナの存在に魅了されていくことが彼女の幸せです。

里佳は、仕事で認められることが自分にとっての幸せだと考えています。週刊誌記者という男性中心の職場で男性記者と対等になるために、里佳はカジマナへの独占インタビューという特ダネをものにしようとします。しかし、カジマナと会い、取材を進めていくうちに、彼女の犠牲となった男たちと同様に里佳もカジマナの不思議な魅力に惹き込まれていきます。

伶子は、子どもを産み育てることの幸せに固執しています。そのことが、夫との関係に影響していることに玲子自身も気づいてはいます。彼女は、夫との関係を打開する一助としてカジマナの存在を意識するようになり、なぜ彼女がこれほどに男の心を掴んだのかを探ろうとします。

3人の女性たちの、それぞれに抱えている理想の姿と現実とのギャップや、彼女たちがそれぞれに互いに影響を与え合い、心の空白を埋めようとしたり、その逆に心の隙間をこじ開けられたりする関係性がこの物語の鍵になっているのではないかと思います。他人からどう思われたいのか、自分の理想を他人にいかに認めてもらうか、理解してもらうか。常に他者の視線を気にして生きているように思います。

取材が進んでいく中で里佳は、次第にカジマナの本性、本心に近づいていきます。里佳が暴いていくカジマナの本質と、彼女の本質を見抜いたからこそ気づく本当の幸せの形。里佳は、自分にとっての本当の幸せの形を実現するために、古いマンションを購入し、家族や親友、仲間たちが気兼ねなく集まれる場所を作ります。

本書のラストで描かれるような人間関係や空間の存在が、すべての人に共通する幸せの形であるとは限りません。カジマナが思い描き実現してきた生き方も、間違えなければ幸せの形として成り立っているかもしれません。幸せの形とは人それぞれであって、特定の形にのみ収束されるものではないと思います。しかし、「BUTTER」という物語の中にあっては、里佳が築こうとしているものが幸せの形なのだと思います。

私にとっての幸せの形とは? そんなことを考えてしまいました。