タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

パスカル・キニャール/高橋啓訳「世界のすべての朝は」(伽鹿舎)-言葉にできない想いを音に乗せて届けたい

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九州を『本の島』にしたい、として活動している熊本の出版社・伽鹿舎。過去に、フランソワ・ルロール「幸せはどこにある」レーモン・ルーセル「抄訳アフリカの印象」と、〈伽鹿舎QUINOAZ〉シリーズの作品を読んできた。本書「世界のすべての朝は」が3作品目になる。

 

s-taka130922.hatenablog.com

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過去、早川書房から「めぐり逢う朝」というタイトルで刊行されていた本書は、同題の映画の原作として書かれたものだ。映画の公開に合わせて翻訳出版された作品だけに、その後は絶版となっていた。その作品が「世界のすべての朝は」とタイトルを新たに復刊されるに至った経緯は、本書の訳者あとがきに詳しい。

 

「世界のすべての朝は」は、1650年の春にサント・コロンブ夫人が亡くなったところから物語がはじまる。夫である音楽家のサント・コロンブは、マドレーヌとトワネットのふたりの娘とともに俗世との接触を避け、自宅でヴィオルで音楽を奏でる隠遁生活をおくるようになる。サント・コロンブのヴィオル音楽の評判を聞きつけた王から宮廷音楽家として招き入れたいと請われても、それを断り隠遁生活を選んだ。

あるとき、ひとりの若者がサント・コロンブのもとを訪ねてくる。マラン・マレというその若者は、サント・コロンブの弟子となり、やがて娘のマドレーヌと恋仲になる。だが、それは必ずしも幸せの前触れではなく、むしろ悲劇へ向かう。

妻を喪うことからはじまる物語は、サント・コロンブという音楽家の心の闇を追い続ける物語でもある。そして、妻を喪った心の闇を抱える父親を支える娘たちの叶え得ぬ幸せをさがし続ける物語でもある。

全編を通じて静謐な空気が支配し、レクイエムが奏でられているような物語は、言葉を紡ぐとともに音楽を奏でる物語でもある。それは、サント・コロンブが亡き妻の幻に向かって、自らの想いを感じさせようと奏で続けるヴィオルの調べが、この物語の主旋律として読者の心に響くから、そう感じさせるのだと思う。

サント・コロンブの人生は幸せだったのか。一見すると不幸にしか見えない物語だが、もしかすると彼の人生は幸せだったと考えることもできるのではないか。何が人生にとって幸せなのか。いくらでも深く思いを馳せることができる。それが、「世界のすべての朝は」から私たちが感じ取れることなのではないか。

本書を読み終えてからこのレビューを書くまでに少し時間がかかったのは、この物語から私が感じたことの正体を実体化するのに時間がかかったからだ。でも、こうして文章に書き起こしてみても、まだ十分に実体化できているとは思えていない。そして、おそらくこれからも自分の気持ちを完全に実体化することはできないかもしれない。

最後に、「世界のすべての朝は」について嬉しい話をH.A.BookstoreのTwitterで知った。

 

あと100冊売れれば、「幸福はどこにある」や「抄訳アフリカの印象」に続き、「世界のすべての朝は」も全国解禁になるとのこと。ぜひ、全国解禁を目指して頑張って欲しい。私のこの拙いレビューがその一助になれば幸いである。