冒頭に、地元の郷土史家である大内士郎氏から聞いたというこんなエピソードが紹介されている。
およそ十数年前に、伊藤野枝の生まれ故郷である福岡県糸島郡今宿村(現在の福岡市西区)でテレビの取材があった。もちろん、伊藤野枝に関する取材だ。野枝と同世代の老婆がまだ存命とのことで、そのおばあさんにインタビューすることになったのだが、話を聞こうとしても彼女は「そんなひとはしりません」の一点張り。結局、取材はできなかった。
その夜のこと、老婆は大内氏の家にやってきた。
昼間はおとなしかったおばあさんが、いきりたって大声をあげている。「おまえはなにを考えとるんじゃあ!テレビなんかにうつったら、世間さまに、ここがあの女の故郷だとしられてしまうじゃろうが!」どういうことだろう。大内さんがけげんそうな顔をしていると、おばあさんはこうさけんだという。「あの淫乱女!淫乱女!」
そもそも、伊藤野枝という女性活動家がかつて存在していたことを知っている人は、今の時代にどのくらいいるのだろう。学問として社会学とか政治学といったものを学んでいる人以外には、伊藤野枝なる人物を知る人は間違いなくいないのではないだろうか。
伊藤野枝は、大正時代に大杉栄らと共に活動したいわゆる“アナーキスト”と呼ばれる女性活動家である。
“アナーキスト”とは、“無政府主義者”であり、国家や権威の存在を否定して個人の自由主義を貫く思想による活動家たちだ。伊藤野枝は、アナーキストの代表的存在である大杉栄と恋愛関係(婚姻にあらず。なぜなら彼らはアナーキストであり、婚姻のような個人の自由を拘束するような因習を否定していたから)にあった。制度や家といった束縛によって抑圧される女性としての立場を嫌悪し、自由に生きることを追求した女性である。
本書でも書かれているように、伊藤野枝の人生は女性の解放を阻むあらゆるものとの戦い続けた人生だった。結婚制度、自由恋愛、妊娠、堕胎、女性の貞操。およそ、現代では想像もつかないほどに抑圧された存在であった女性の権利を主張し、本当の意味での女性解放を目指したのが、伊藤野枝であった。
だが、彼女が生きた時代は、彼女や大杉のような思想をけっして認めない時代だった。彼らは、当局から徹底的に弾圧される。彼らには常に監視の目がひかっていて、ほんの些細な事件を起こしただけで逮捕、勾留される。そして、最後には、拘留中の拷問によって大杉と野枝は殺されてしまうのである。
彼らのような過激な活動は、彼らが生きた時代ゆえに生まれた活動なのだろう。おそらく、彼らのような活動が現代の日本で行われるようなことはない。なぜなら、今の日本は誰でも言いたいことが言えて、個人の自由が尊重される国になっているからだ。もしかしたら、今の時代に大杉栄や伊藤野枝が生きていて、当時と同じようなアナーキズムによって活動を展開したとしても、それはひとつの思想として甘受されてしまうかもしれない。実質的な破壊活動にでも出ないかぎり、自らの主義主張を叫んだからといって逮捕されることもない。そして、おそらく現代の若者たちは、大杉や野枝に関心を持つことはない。およそ、過激アナーキストにとって、現代とは生きにくい時代なのかもしれない。