タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

「パパイヤ・ママイヤ」乗代雄介/小学館-SNSで知り合い小櫃川河口の干潟で出会ったふたりの少女が過ごす一夏の青春ストーリー

 

 

これは、わたしたちの一夏の物語。
他の誰にも味わうことのできない、わたしたちの秘密。

乗代雄介「パパイヤ・ママイヤ」は、SNSで知り合ったふたりの少女が出会い過ごした短い夏の日々を描く青春ガール・ミーツ・ガール小説である。最近は青春小説を読む機会がなかったので、新鮮な気分で読んだ。

登場人物は、“パパイヤ”という17歳の少女と“ママイヤ”という17歳の少女。物語はママイヤの語り「わたし」で綴られる。SNSでつながりあったふたりは、わたし(ママイヤ)の「おそろいにしようよ」の提案でパパイヤとママイヤになった。ふたりの共通点は「親がむかつく」ということ。でもそれは他のフォロワーにもたくさんいる。ふたりを結びつけたのはお互いが同じ県の同じ市で5キロと離れていないところに住んでいるということだった。

こうしてふたりは、小櫃川河口の干潟ではじめて会うことになる。そして、ふたりにとって忘れられない夏の日を過ごすことになる。

背が高くてバレーボール部に所属しているパパイヤと、部活はやってなくてカメラや読書を少し楽しんでいるママイヤ。ママイヤは運動もあまり得意ではない。対称的なふたりがそれぞれに家庭的な悩みを抱えていて、それを補い合うかのように互いを必要としていくという関係性は、読んでいると不安な気分になったり、共感できたり、でもやはり17歳の少女とのギャップを感じたりする。

小櫃川河口干潟で会うことを繰り返す中で、ふたりはひとりの男の子が干潟にある木の墓場で絵を描いているところに遭遇する。男の子が黙々と描いた絵はとても上手だったが、なぜか空は一面黄色く塗られていた。思わず「なんで黄色?」と問いかける。男の子は「見たままを描いた」と答える。しばしのやりとりがあって男の子は絵を描き直すことにする。黄色い空を描いた絵は、パパイヤが大きなウイスキーのペットボトルに詰め込んで海に放り投げこんだ。

男の子と会った翌週、ふたりは小櫃川河口干潟でホームレスの男性と出会う。ホームレスは、“きいれえもん”を集めていると言う。“きいれえもん”、つまり黄色いもの。所ジョンと名乗るそのホームレスは、彼が集めた“きいれえもん”をふたりに見せてくれた。桐のコレクション箱を埋め尽くす黄色。

この物語に出てくるのは、パパイヤとママイヤそしてふたりが出会った男の子とホームレスの所ジョンの4人だけだ。そして、男の子と所ジョンは、最初の出会いの場面でしかほぼ登場しない。

空が一面黄色く塗られた絵ときいれえもんを集めているホームレス。パパイヤとママイヤは、所ジョンに男の子が描いた黄色い空の絵をあげようと思いつく。そのためには、パパイヤが海に投げ込んだ大きなペットボトルを探す必要がある。だからふたりは、夏休みを利用して、流されたペットボトルを探して小櫃川河口干潟から袖ケ浦海浜公園、さらには小櫃川河口干潟から富津公園までの海沿いを自転車やバスで走り回る。走り回りながら、ふたりはお互いの家庭のことや学校のことを話していく。短い夏の冒険(というにはちょっとこじんまりしているけれど)を通じて、ふたりは互いを知り、読者はふたりを知っていく。

とりたててドラマティックな展開があるわけでも、胸キュンなラブストーリーが待っているわけでもない。ふたりの少女の夏物語は、もしかするありきたりで物足りないものと感じられるかもしれない。だが、それこそがリアルなティーンエイジャーの青春なのではないか。この物語に描かれる少女たちの姿こそが、いまのリアルな若者たちを描き出しているのではないだろうか。

思えば、自分にもパパイヤやママイヤと同じように青春の時代があった。もうセピア色に褪せてはっきりと思い出すことも難しいくらい遠い過去の話。パパイヤやママイヤのようなSNSでのつながりも、それどころか携帯電話すらなかった時代の青春。だけど、気持ち的にはパパイヤやママイヤと同じバイタリティがあったと思う。

パパイヤとママイヤが出会う小櫃川河口干潟やふたりが冒険する内房の海沿いの場所は、いまも私が住んでいる地元の風景だ。袖ケ浦海浜公園(最近では地元出身のバンド氣志團が主催する「氣志團万博」の開催地として全国的に有名)の展望台も富津岬に建つ展望台も馴染みの場所だ。地元が舞台になった小説というだけで、私の「パパイヤ・ママイヤ」に対する好感度は爆上がりなのである。

ふたりが出会い語らった場所、男の子が黄色い空の絵を描いた場所、所ジョンがきいれえもんを集めていた場所、小櫃川河口干潟については、こちらのサイトが写真も豊富で詳しいので興味のある方は参照してみてほしい。ふたりが出会った木の墓場や所ジョンが住みついていた揚水ポンプ場跡の写真もある。

bit.ly

冒頭にも書いたが、こういう青春小説を読むのは久しぶりだった。読む前は「中年のオッサン読者に若い女の子の青春ストーリーなんて楽しめるのかな」と思っていた。地元が舞台になっているから興味をもって読んだけど、作品的に理解できるか楽しめるかは未知数だった。結果、理解できているかは(パパイヤ、ママイヤと私との世代ギャップもあることだし)未知数だけど、とても楽しく読むことができた。そして、遠い昔を思い出して懐かしくも感じた。ときにはこういう青春を思い出させてくれるような小説を読んで、気持ちだけでもあの頃の自分に戻れればいいなと思う。

「フェリックスとゼルダその後」モーリス・グライツマン/原田勝訳/あすなろ書房-ナチスの手を逃れユダヤ人であることを隠して生きなければならないフェリックスとゼルダ。ふたりの未来に希望はあるのか。

 

 

私はどちらかというと長いものに巻かれるタイプの人間だと思う。自分の意見を強く主張するタイプでもなく、声の大きい人に追従して無難にことをやり過ごしてしまおうとする。もし、それが間違った行為であったとしても、自分が責任を問われることがなければ率先して異を唱えたりはしないかもしれない。

かつて、ヒトラーという独裁者を指導者としたナチスドイツと、軍事侵攻で占領されナチス支配下におかれたヨーロッパ諸国に暮らしていた人たちは、ナチスによるユダヤ人迫害、大量虐殺(ホロコースト)に対して反対の声をあげられなかった。一部に反ナチスを掲げユダヤ人救済の活動をした人もあったが、多くの一般市民はナチスの迫害行為を黙認し、中には積極的に加担する者もあった。

本書は、ナチスドイツに占領されたポーランドを舞台にした前作「フェリックスとゼルダ」の続編となる作品。前作のラストで強制収容所行きの貨車から飛び降りて脱出したフェリックスとゼルダが、その後どのようにナチスの目を逃れて生きたかが描かれる。

命からがら逃げるふたりが目にするあまりに残酷すぎる光景。丘の斜面にある大きな穴でからみあうように折り重なっている子どもたち。フェリックスよりも年上の子どももいれば、ゼルダより年下の子どももいる。それはナチスによって殺されたユダヤ人の子どもたちの死体だった。

ふたりは、ゲニアという女性に保護され、ユダヤ人であることがバレないように名前を変え、髪を染めたりする。それでも、ふたりは常にナチスに見つかるのではないか、ユダヤ人であることがバレて密告されるのではないかという不安、恐怖と戦っている。そんななかでも、ゲニアの家で飼育されているブタのトロツキーや犬のレオポルドとの暮らしは楽しかった。それでも、いつどのような形でふたりのことがナチスに知られてしまうのか、もし知られてしまったらふたりはもちろん、ゲニアもユダヤ人を匿った罪で厳罰が待っている。フェリックスはそのことに苦悩し続ける日々を過ごしていた。

フェリックスは本屋の息子であり本を愛する少年だ。彼は、危機的な状況に陥った時、不安な時にリッチマル・クロンプトンに「助けてください」と願う。リッチマル・クロンプトンはイギリスの女性作家で、ウィリアム少年と仲間たちを描いたシリーズ作品が人気の作家だという。前作「フェリックスとゼルダ」でゼルダを励ますためにフェリックスが話して聞かせていたのもリッチマル・クロンプトンの物語だ。本書でも、フェリックスを勇気づけ救ってくれるのはリッチマル・クロンプトンだった。

本書には、残酷な場面がたくさん出てくる。貨物列車から脱出したフェリックスとゼルダが丘の斜面でみつけた折り重なったユダヤ人の子どもたちの死体。ゲニアに連れられて出かけた町の広場に設置された高い木の柱に吊るされていたユダヤ人とユダヤ人を匿っていた人の死体。ナチス兵と警官、ヒトラー・ユーゲントによって見せつけられる強制連行されるユダヤ人の列とその列に向かって罵声を浴びせる町の人たち。

ユダヤ人を匿うこと、ユダヤ人に救いの手を差し伸べることは、ナチスへの反抗的態度であった。大衆は、心の中では罪悪感を抱きながらも自らに罰が下されることをおそれ、ナチスドイツの政策に賛同しユダヤ人を差別するマジョリティー側に立たざるを得なかった。その状態が長く続けば、いずれ罪悪感は薄くなり、「ユダヤ人は悪である」「ユダヤ人はこの世から抹殺されなければならない」という誤った思想が正しいことのように思えてくる。洗脳された大衆は積極的にユダヤ人を捕らえ、ナチスに差し出すことに加担するようになっていく。戦争という異常な状況も、洗脳を加速する要因かもしれない。

一部の声の大きな者の考えによって大衆が扇動され、弱者を差別する状況が当たり前となっていく。これは、今でも起きている。これだけさまざまな情報が簡単に手に入るようになり、その情報から個人が正しく自分で考えることができるようになっている現在であってもだ。むしろ、情報が溢れすぎているから、人々は自分で考えることをやめ、声の大きい者に従ってしまうのかもしれない。誰かに従っていれば責任をとらなくていいし、何より楽だ。

ナチスの影に怯えながら暮らすフェリックスとゼルダの運命がどうなっていくのか。そこには厳しい現実が待ち受けている。フェリックスとゼルダの物語はフィクションである。だが、物語の舞台となっている時代や環境は現実に起きたことだ。戦争によって引き起こされる現実の悲しさ、残酷さに胸が苦しくなる。

訳者あとがきによれば、「フェリックスとゼルダ」の物語はさらに第3作、第4作と書き継がれているそうだ。だが、調べた限りでは残念ながら翻訳はこの「フェリックスとゼルダその後」までしか刊行されていない。本書以降、彼らはどのような運命を生きたのか気になる。

s-taka130922.hatenablog.com

「フェリックスとゼルダ」モーリス・グライツマン/原田勝訳/あすなろ書房-ナチスによるホロコーストは、フェリックスやゼルダのような罪もない子どもたちすら虐殺したのだという事実は忘れられてはいけない

 

 

第二次世界大戦におけるナチスユダヤ人迫害、大量虐殺は人類史上最悪の人種差別事件である。ホロコーストとも呼ばれる大量虐殺の犠牲者数は正確にはわかっておらず、およそ600万人のユダヤ人が犠牲となったともされている。ホロコーストの犠牲者はナチスドイツが侵略した東ヨーロッパから旧ソ連に至る地域で確認されているが、その中でももっとも多くの犠牲者があったとされているのがポーランドだ。

本書「フェリックスとゼルダ」の舞台はポーランドである。

そして本書は、ナチスが支配するポーランドで無垢な子どもたちが少しずつ自分たちのおかれた状況を知り、いろいろな大人たちの助けをもらいながら生き延びようとする物語だ。

物語は、10歳の少年フェリックスが語り手となって進んでいく。フェリックスはユダヤ人だ。両親は本屋を営んでいたが、彼を山の中の孤児院に預けて、以来3年8ヶ月もフェリックスはこの孤児院で暮らしている。フェリックスは、きっといつか両親が迎えに来てくれると信じている。

本屋の息子フェリックスは、本を愛する子どもだ。そして、ノートに物語を書いている。ある日、フェリックスは孤児院にやってきた男たちが中庭で本を燃やしているのをみた。ナチスの男たちだった。フェリックスは彼らを許せなかった。そして、両親が営んでいる本屋の本も燃やされてしまうのではないかと思った。本を隠さなければと思った。

フェリックスは祈りを捧げる。神様、イエス様、聖母マリア様、法王様、そしてアドルフ・ヒトラーに。ユダヤ人の本屋がまた元通り商売できますように。そう、彼は信じていたのだ。ヒトラーがぼくらを守ってくれると。

10歳の少年にとって、ヒトラーが何者であるか、ナチスが何を為そうとしているのか、ユダヤ人がどのように扱われどのような運命をたどるのかは何もわからないことだ。神父様が、ヒトラーが私たちを守ってくださると言えば、それを信じる。ナチスは大好きな本を燃やしてしまうから嫌い。それ以上でもそれ以下でもない。だが、フェリックスが故郷の本屋に戻るために孤児院を抜け出し、道中でさまざまな事態に遭遇し、また故郷でもかつての隣人にひどい目に合わされたりすることで、少しずつ“ユダヤ人”という自分の存在がどのように見られているかを理解していく。それは、フェリックスにとって、少しずつ少しずつ苦しめられていくようなもの。少しずつ希望を奪われ絶望へと導かれているということだ。

生まれ育った町を追われたフェリックスは、両親を探してもっと大きな町を目指す。そして、その途中で家族を殺された少女ゼルダと出会う。ゼルダを連れて大きな町へ歩を進める中で、フェリックスは彼女を勇気づけようと物語を作って聞かせる。まだまだ幼いゼルダは、「なんにもわかってないのね」が口ぐせで、ときにわがままにフェリックスを困らせるが、フェリックスはそんなゼルダに優しく接する。

読んでいると、フェリックスもゼルダも本当に純粋な子どもだと感じる。あまりの純粋さに危うさを感じる。だけど、それは私たち読者がナチスによるユダヤ人迫害の事実を知っていて、その知識の上で物語を読んでいるから感じるものだ。当時を実際に生きていた子どもたち(もちろん大人たちも)は、ヒトラーユダヤ人迫害を指示していたことも、ナチスユダヤ人を捕まえて強制収容所送りにしていたことも、ヒトラープロパガンダによって人々がユダヤ人への憎悪を高めていたことも知らないのだ。

物語の中では、フェリックスはヒトラーを神様やイエス様と同列の存在として祈りを捧げている。ヒトラーが、フェリックスがおかれている状況を良い方向へと導いてくれると信じている。ナチスが本を焼いたことには憤りを感じたが、ナチスの兵士が大勢の人をトラックの荷台に乗せてどこかへ運んでいく光景をみて自分もそこに乗せてほしいと思ったり、兵士に狙撃されて危うく殺されそうになっても偶然の事故だったんだと思ったりする。それでも、少しずつフェリックスは気づいていく。ナチスユダヤ人を嫌っているのではないかと。だけど、彼らがユダヤ人を強制的に隔離し殺そうとしているとは思いもよらない。フェリックスは、ナチスに連行されるユダヤ人たちがナチス兵から「きれいで食べ物も仕事もたくさんある田舎に連れて行ってやる」と言われているのを聞いて、自分たちも一緒に連れて行ってもらおうと子どもたちを匿っているバーニーに訴える。もちろんバーニーはそれを否定する。ユダヤ人が連れて行かれるのはきれいな田舎なんかではなく、強制収容所だとバーニーは知っているし、待ち受けるのは死だけだからだ。

彼らはナチスに見つからないように息をひそめて暮らさなければならない。しかし、ついにナチスの手が彼らを捕らえる。フェリックスとゼルダ、バーニーと子どもたちは、強制収容所へと向かう貨物列車に乗せられる。

本書の冒頭にこんな言葉が書かれている。

身の上が語られたことのないすべての子どもたちに捧ぐ

子どもたちにとってばかりではなく、老若男女大勢のユダヤ人がナチスホロコーストの犠牲となったことは、未来永劫語り継がれていかなければならない。戦争がもたらす悲劇を忘れてはいけない。本書のような作品を通じて、平和な時代を生きる現代の子どもたちが、かつて自分たちと同じくらいの、いやもっともっと小さい子どもたちが、理不尽な理由で人間としての尊厳を奪われ、残酷に殺されていったことを知ってほしい。フェリックスとゼルダの物語からひとつでも多くのことを知り、同じ過ちは絶対に起こさないことを胸に誓ってほしい。

強制収容所へ送られるはずだったフェリックスとゼルダは、その途中で列車から脱出し、そこからナチスの目を逃れての生活へと入っていく。その物語は、「フェリックスとゼルダその後」に続く。彼らのその後の人生はどうなっていくのか。僅かな希望と大きな不安を感じずにはいられない。

「夕暮れに夜明けの歌を 文学を探しにロシアに行く」奈倉有里/イースト・プレス-ロシアで暮らし学んだ日々。その中で出会った人々、学んできたことを振り返った記録。読んでいてさまざまな思いが深く胸に響いてきた。

 

 

何かを学ぶということは、長い人生において必ず自分の血となり肉となるということを人生も折り返し点を過ぎてゴール地点も視界に入ってくるようになった今強く感じている。

なぜそういう話から始めるかといえば、本書「夕暮れに夜明けの歌を 文学を探しにロシアに行く」が、奈倉有里さんがロシア語を学んでいく中で得た出会いであったり、ロシアという国で見聞した出来事が彼女の今を構成するとても大切な要素となっていると感じたからだ。

高校1年生のときに、「自分も英語以外の言語がやりたい」と考えた奈倉さん。“自分も”というのは、彼女のお母さんが“趣味として”ドイツ語を学び、さらにスペイン語も学んでいたからで(しかもいずれも独学である)言語を学ぶということに対するハードルが低かったのだろう。第1章「未知なる恍惚」で描かれる家庭内の描写(ドイツ語、スペイン語を学ぶお母さんが家中の家具や家電に単語を書き、ロシア語を学ぶ奈倉さんはそこにロシア語の単語を書く)や書店に行けば友人から「ロシア関連の本には見境がない」と言われるほどロシア語やロシア文学に関する本を手にとるほどにロシア語にのめり込んでいく描写が面白い。面白いと同時に、若い時にこんな風にすべてを捧げられるほどにのめり込めるものと出会えた奈倉さんを羨ましくも感じた。

こうして、「進路というものが自分にあるのならロシア語しかない」とまでになった奈倉さんは、2002年から2003年にかけての冬にロシアのペテルブルクに渡る。渡航の旅の途中で大雪によるトラブルに巻き込まれたりするが、親切なバイオリン弾きの紳士に助けられてなんとかペテルブルクに到着し、語学学校でロシア語を学ぶ。さらにモスクワにあるロシア国立ゴーリキー文学大学に合格し2008年に日本人としてはじめて同大学を卒業した。本書には、波乱のペテルブルク渡航時のエピソードから文学大学で学んだこと、ロシアで出会ったたくさんの人との思い出が記されている。それは、奈倉有里というロシア文学研究者、翻訳家の礎を築いた若き日のノスタルジックな思い出であり、真剣にロシア語、ロシア文学と向き合ってきた学びの記録である。

いくつか印象に残ったエピソードがある。第5章「お城の学校、言葉の魔法」には、ペテルブルクで通った語学学校で出会ったエレーナ先生のエピソードが書かれている。奈倉さんはエレーナ先生と出会ってロシア語で詩を読む楽しさを知る。ペテルブルクの大学で文学を学ぼうと考えていた奈倉さんにモスクワの文学大学を薦めてくれたのもエレーナ先生だ。そして、アレクサンドル・ブロークという詩人を教えてくれたのもエレーナ先生だ。奈倉さんが魅了されたブロークの詩の一部が本書内で引用されている。

僕は喜びに 向かっていた
道は夕闇の露を 赤く照らし
心のなか 息を呑み 歌っていた
遠い声が 夜明けの歌を[・・・]
心は燃え 声は歌った
夕暮れに 夜明けの音を響かせながら[・・・]

本書のタイトル「夕暮れに夜明けの歌を」は、おそらくこのブロークの詩の一節からつけられたのだろう。

アレクサンドル・ブロークの詩の魅力については、第17章「種明かしと新たな謎」でも記されている。「かの女」というブロークの代表的な作品を引用した上で、原語の“音”に魅了されたことを奈倉さんは書いている。詩に書かれていることの意味やブロークの伝記的事実はわからなくても、エレーナ先生の朗読を聞き、その音の響きに魅了された。そして、文学大学で出会ったアントーノフ先生の授業で「かの女」がもつ詩のリズムについて学んだことでさらに衝撃を受けることになる。本書ではもちろん日本語の訳詩となっているが、奈倉さんが魅了されたという原語の音の響きを機会があれば聞いてみたい。

本書ではエレーナ先生の他に奈倉さんが出会った人々についての思い出がたくさん記されている。ペテルブルクで出会ったユーリャという女子大学生。モスクワで出会ったインガというドイツからきた女子留学生。宿泊所で出会ったサーカス団の青年で道化師のサーシャとアクロバットのデニス。同じ学生寮で同居していたマーシャとは現在でも連絡を取り合う仲が続いている。

奈倉さんにとって一番の出会いは文学大学の文学研究入門の講座で出会ったアレクセイ・アントーコフ先生である。しょっちゅう酒を飲んでいることで学生の間でも有名人だったアントーコフ先生。でも、アントーコフ先生の最大の魅力はその授業にあった。彼が授業を始めると学生たちはその講義に魅了される。普段は酔っ払ってフラフラしている先生が、いざ授業となると人が変わったようにいきいきとして学生たちを講義の世界に集中させる。まるで作り話やマンガに登場するような人物だが、紛れもなく実在の先生だ。多くの人にとっては、こんな先生に出会うことは奇跡とも言えるくらい稀なことだろう。以後、大学を卒業するまで奈倉さんはアントーコフ先生に師事し、彼からたくさんのことを学んでいく。アントーコフ先生の授業での奈倉さんの存在感から創作科の学生からネタにされて、その創作があらぬ誤解に発展してしまったりもする。アントーコフ先生との数々のエピソードには、奈倉さんの先生に対するリスペクトの気持ちがギュッと詰まっていると感じる。そして、本書の最終章になる第30章「大切な内緒話」での卒業論文でのエピソードにつながっていくのである。

今、ロシアはウクライナへの軍事侵攻により世界的に非難されている。奈倉さんが学んでいた頃にもロシア国内とロシア周辺との状況はかなりひどいものだった。警察組織の腐敗やチェチェン問題などがあり、自爆テロ事件なども起きている。そして、その状況は今もなお変わらぬままに、クリミア併合や現在のウクライナ軍事侵攻へとつながっていく。そうした中にあって、奈倉さんは自分は無力であったと記している。そのうえで、無力でなかった唯一の時間があり、それは詩や文学を学ぶことで生まれた交流のときであったと記している。人は言葉を学ぶ権利があり、その言葉を使って世界中の人たちと対話する可能性がある。それが“分断”を生むのではなく“つながり”を生むにはどうしたらよいか。日本語以外のロシア語という言語を学び、ロシアで暮らして多くの出会いや多くの経験をしてきたからこそ、奈倉さんは言葉の大切さを感じているのだろう。

すでに多くの人が本書を絶賛している。今回、私自身も読んでいて、単純に面白いという他にいろいろなことを深く考えた。私は日本語以外の言語を知らないが、翻訳された文学作品やノンフィクションを読むことで世界を身近に感じることができる。この本は、言葉の持つ力について改めてじっくりと考えることを促してくれる本だと思う。考えること、そして理解することで相手との“つながり”を深めていく。いがみ合う世界ではなく分かり合う世界になることを祈るし、自分自身がそうなるように行動していきたいと思っている。

「呑み込まれた男」エドワード・ケアリー/古屋美登里訳/東京創元社-愛する息子ピノッキオを探して巨大な魚に呑み込まれたジュゼッペ。魚の腹の中で彼が綴ったこととは

 

 

エドワード・ケアリーの翻訳最新作「呑み込まれた男」が刊行された。まだ発売日より前だったが、立ち寄った丸善丸の内本店でひっそりと平台に置かれているのを見つけた私は、迷うことなく購入した。で、翌日から読み始めた。

「呑み込まれた男」は、「ピノッキオの冒険」に登場するピノッキオを作ったジュゼッペを主役とする物語だ。自らが作り上げた愛する息子ピノッキオが家を飛び出してしまい、ジュゼッペは必死で息子の行方を探し求める。そして、海辺の町で木彫りの人形が町を困らせているという噂を耳にする。ジュゼッペは、漁師が木彫りの人形を縛り上げ、古いぼろ船に放り込んで海へ流したと知る。彼は別の漁師から船を買い、ピノッキオを探して海へ漕ぎ出す。そして、巨大な魚に呑み込まれる。

本書の第1章、第2章は、ジュゼッペがピノッキオを創造し、逃げられ、探し求めて魚の腹に呑み込まれるまでの話が描かれ、第3章からはジュゼッペが魚の腹の中でみつけた“マリア”という船に残されていた品で生き延びることになる。彼は船長が残した航海日誌に、自分も記録を書き残していく。それは愛する息子のために残す記録だ。

こうして、ジュゼッペの回顧録のような形で物語は進んでいく。彼の生い立ち、父親との関係、過去に愛した女たちのことを彼は航海日誌に記していく。巨大な魚の腹の中という闇の恐怖や自分以外に誰もいない場所という孤独に抗うがごとく、ジュゼッペは日誌を記し、物語を創造する。かつて木彫りのピノッキオを創造したように、堅パンをこねた粘土で塑像を作り、木板に絵を描く。

読んでいくうちに感じたのは、本書が“父と息子”を描いた物語だということだった。ジュゼッペとピノッキオの物語であり、ジュゼッペとその父親の物語であり、マリア号の船長トゥグトゥスとその息子の物語。この“父と息子”という関係性が、本書のコンセプトというかキーワードのように、物語の中盤から終盤へと読み進める中で感じられるようになっていた。

本書の冒頭の献辞をケアリーは、「愛する父(1938~2010)と第一子だった息子(2006)を偲んで」(西暦年は横書きに合わせて数字表記にしました)と記している。本書が“父と息子”の物語だと感じたとき、あらためて献辞を読み返し、この物語はジュゼッペとピノッキオ、ジュゼッペの父の物語であると同時にケアリー自身の愛する父と息子との関係を反映した物語なのではないかということを思った。ジュゼッペは、ケアリー自身でもあるのではないかと感じた。

そんなことを思いながらこの物語を読み終えて、古屋美登里さんの訳者あとがきを読んでいくと「父と息子の物語」というワードが記されていた。そこには私が感じたこととは少しニュアンスは違っていたけど、本書やケアリーの過去作における登場人物たちの造形の共通性について記されていて、なるほどと思った。

最後に、本書のラストについて感じたことを書いておきたい。本書には「エピローグ その後」という章がラストにある。何が書かれているかについては、まだ未読の方の興を削ぐことはできないので書かないが、個人的にこのエピローグの必要性について考えている。エピローグの直前の章のラストシーンで物語が終わったとしても、読者は十分に納得する終わり方だと思うが、ケアリーはさらにエピローグとして後日談的な物語を記している。エピローグ自体ももちろん面白いし、これはこれでアリだと思うのだが、なくても物語がつまらなくなるわけではない。うーん、どっちがよかったんだろう。他の読者はどう感じるんだろう。

 

「将棋指しの腹のうち」先崎学/文藝春秋-いまや“将棋メシ”という言葉もすっかりメジャーになりましたよね

 

 

 

藤井聡太さんが最年少プロ棋士になり、破竹の29連勝を記録したことでにわかも含めた将棋ファンが増えた。そして、その当時から藤井さんが数々のタイトルを獲得して五冠(竜王、王位、叡王、王将、棋聖)となった現在に至るまで世間から注目されるのが、いわゆる“勝負メシ”と呼ばれる棋士たちの食事やおやつである。ニュースやワイドショーでは対局の状況よりも何を食べたかの方が重要で、藤井五冠が注文した料理やお菓子をこぞって紹介していたりする。

「将棋指しの腹のうち」は、そんな棋士たちとメシにかかわるさまざまなエピソードが書かれたエッセイ集だ。著者はプロ棋士先崎学九段。羽生善治九段などと同世代の実力派の棋士であり、将棋マンガ「3月のライオン」(羽海野チカ白泉社)の将棋監修者としても知られている。

本書では東京千駄ヶ谷にある将棋会館近くの、棋士たちがよく利用するお店をテーマにして7つのエピソードが収録されている。お店のラインナップはこんな感じ。

第一局【みろく庵】
第二局【ほそ島や】
第三局【代々木の店】
第四局【チャコあやみや】
第五局【焼肉青山外苑】
第六局【きばいやんせ】
第七局【ふじもと】

第三局だけ具体的な店名ではなく【代々木の店】となっているのは、そのお店の名前が思い出せなかったのと書かれているエピソードがお店にとって良いエピソードではないからということらしい。

藤井五冠がデビューして将棋メシ、勝負メシが注目されるようになった頃、著者の先崎九段はうつ病を発症して将棋の世界から距離をおいていた。なので、第一局に取り上げられている【みろく庵】が、将棋ファンの聖地のような存在になりお客さんが殺到していたことを知らなかったという。先崎九段にとって【みろく庵】は、将棋会館での対局や勉強会が終わってから軽く一杯やるのにちょうどいい蕎麦居酒屋という店だったのだ。それが聖地となっているのだから驚いただろう。【みろく庵】は2019年に閉店してしまったので残念に思っている将棋ファンは多いと思う。

その他、【ほそ島や】は「将棋指しにとっての社員食堂」ともいえる棋士女流棋士奨励会員たちがよく利用しているそば屋、【チャコあやみや】はステーキハウス、【きばいやんせ】は居酒屋、【ふじもと】は鰻屋である。

目次にズラッと並んだお店の名前をみると、さぞかし将棋指しはいいものを食べているのだろうと思ってしまうが、たしかにいいものを食べている場合もあるが、けっしてグルメぶっているというわけではない。【ほそ島や】の魅力はそばの美味しさももちろんだが、若手の奨励会員にとってはなんといっても量。そして、いまでこそあまり見られなくなったようだが、先輩棋士がさりげなく後輩たちの食事代を払うという習慣だ。芸人の世界とかでもそうだが、先輩が後輩の面倒をみるというのは将棋界でもあるそうで、だがそれも最近では失われている。それは、ある事件がきっかけで対局中の外出が禁止になってしまったからとのこと。将棋界に限ったことではないが、不正防止という観点である程度の制限がかかってしまうのは致し方ないとはいえ、それがその世界で働いている人や関わっている人の楽しみや権利を奪ってしまうのは残念だ。

第四局【チャコあやみや】の羽生善治九段とのエピソードがよかった。NHKの仕事で長時間の解説(しかも同時に複数の対局分!)をふたりでこなさなければならなかったとき、夕方の休憩時間にふたりは【チャコあやみや】でステーキを食べる。その後、夜の部の解説を疲労困憊で乗り切ったふたりは、将棋会館の床に座り込む。どちらも口をきくのも大変なくらい疲れている。そこで先崎九段が自分でも意外な言葉を口にする。

「チャコのステーキ、おいしかったなあ」
瞬間、彼の声があの元気な甲高いものとなった。
「うん、おいしかった」
「あのステーキのおかげで、いい仕事ができたなあ」
「うん、ちょっと疲れたけどね」
本当に冗談抜きで、彼の口から疲れたという言葉を聞いたのはこの時だけだと思う。

疲労困憊の中で奮闘するふたりで食べたステーキ。きっと羽生九段の中に深く染みた食事だったのだろう。

他にも、棋士女流棋士奨励会員たちとのさまざまなエピソードが、それぞれのお店と結びついて記されている。笑えるエピソードもあれば、心にグッとくるエピソードもある。食と人生は切っても切り離せない関係だと思うが、将棋というやや独特な勝負の世界に身をおいている人たちだからこそ、その中で味わったさまざまな食事やお店との出会いが印象深いエピソードになっていくのではないだろうか。

私は将棋のことはさっぱりわからないけれど、たまにネットで対局をみたりするのは好きだ。最近はAIが対局中の優勢の度合いなんかを判定してくれたり、次の一手を予想したりしていて、それが覆されたりするとコンピュータではまだまだ太刀打ちできない人間の凄さを感じられる。そうした棋士の凄さを思い返しながら、本書にあるようなエピソードを読むと、棋士人間性のようなものも垣間見えて楽しいと思う。

紹介されているお店に行ってみてもいいかもと思う。

「ウクライナから愛をこめて」オリガ・ホメンコ/群像社-ウクライナ出身で日本の大学で学んだ著者が綴るウクライナの人々や風景。その美しさがいま危機にさらされていることに強い憤りを感じる

 

 

2022年2月、ロシアは隣国のウクライナに対して軍事侵攻した。およそ4ヶ月が過ぎたいまも戦争は続いている。

ウクライナから愛をこめて」は、ウクライナキエフ(現在日本ではよりウクライナ語の発音に近いキーウと表記、呼称されている。本レビューでは本書の記載に添ってキエフとします)出身で東京大学大学院に留学し博士号を取得後、キエフの大学で日本史を教える傍ら、作家、ジャーナリストとしても活動している著者が日本語で書いたエッセイ集である。

本書に描かれるウクライナは美しい魅力的なところだと感じる。そこに暮らす人々の姿、ウクライナの歴史、キエフの街並みなど、一度は訪れてみたいと思ってしまう。一方で、チェルノブイリ原子力発電所があり、1986年に起きた未曾有の大事故がウクライナの人々にどのような影響を与えたか、そして2011年の東日本大震災後に起きた福島原発事故についても記されている。

ウクライナは世界有数の農業国だ。「ひいおじいさんの土地」というエッセイにこんな描写がある。

私は農業の仕事をさせられたことのない世代なので、土地にあまり特別な「思い入れ」はないと思っていた。それでも、外国にいる時に「自分の国」を問われたら、まず頭の中に思い浮かぶのは、子どもの頃、母親とおばあちゃんのところに行く途中にある麦畑の野原。そこには花がたくさん咲いていた覚えがある。それが私の中の故郷ウクライナのイメージ。

また、「散歩で感じるキエフの歴史(1)」、「散歩で感じるキエフの歴史(2)」には、キエフの街にある歴史的な名所旧跡について書かれている。キエフの中心部にあるシェフチェンコ公園という大きな公園は、ウクライナ人が大好きなサッカーの選手の名前からつけられたものではなく、19世紀帝政ロシア時代にウクライナの独立を語った国民的英雄タラス・シェフチェンコに由来するものであること。キエフ大学から聖ウラジミール教会につづくシェフチェンコ大通りのポプラ並木。少し横道に入るとマロニエの並木があり、5月のマロニエの花が咲く頃がキエフの観光シーズンであること。旧ソ連邦では一番深い地下を走っている地下鉄は、万が一のときには核シェルターとなるように考えて作られたこと。

エッセイに記されたキエフを頭の中で想像しながら、この美しい街並みが、歴史的な建物が、そして何よりこの街で暮らしていた人たちが、理不尽な戦争によって破壊され、住む場所を奪われているのだということに愕然とする。そして怒りを覚える。

ロシアがウクライナに侵攻したことについて、ロシアにもロシアなりの言い分はあるだろう。だが、いかなる理由であれ武力をもって軍事的に侵攻し、そこに暮らす人々の平和を奪う行為はけっして許されることではない。現在、世界中の多くがロシアを非難し様々な制裁を加えている。ただ、ウクライナに軍事的に侵攻したことは非難されてしかるべきではあるが、ロシアに暮らす一般市民や日本をはじめ世界に暮らすロシア人に対して悪意を投げつけるのは間違っている。そこはしっかりと考える必要があると思う。

なぜこのようなことが起きてしまうのかと考えずにはいられない。そして、今こうして平和な生活を送れているが、いつなんどき戦争に巻き込まれるかわからないのだということを考えずにはいられない。

本書はもう何年も前に買っていて、ずっと積んだままになっていた本だ。まさかこのような状況になって読むことになるとは想像していなかった。だが、このような状況にあるからこそ読んでおかなければならない本だとも言えるかもしれない。

6月末に発行されたフリーブックレット「BOOKMARK」の緊急特集号「戦争を考える」で、作家の恒川光太郎さんが本書を紹介している。その末尾は「キーフの街を平穏に歩ける日々が訪れることを願ってやまない」と記されている。本書を読んだ人も読んでいない人も、ほとんどの人が共通して願っていることだと思う。私もウクライナに1日も早く平和な日々が戻ってくることを願っている。(願うことしかできないもどかしさ)