タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

「ウクライナから愛をこめて」オリガ・ホメンコ/群像社-ウクライナ出身で日本の大学で学んだ著者が綴るウクライナの人々や風景。その美しさがいま危機にさらされていることに強い憤りを感じる

 

 

2022年2月、ロシアは隣国のウクライナに対して軍事侵攻した。およそ4ヶ月が過ぎたいまも戦争は続いている。

ウクライナから愛をこめて」は、ウクライナキエフ(現在日本ではよりウクライナ語の発音に近いキーウと表記、呼称されている。本レビューでは本書の記載に添ってキエフとします)出身で東京大学大学院に留学し博士号を取得後、キエフの大学で日本史を教える傍ら、作家、ジャーナリストとしても活動している著者が日本語で書いたエッセイ集である。

本書に描かれるウクライナは美しい魅力的なところだと感じる。そこに暮らす人々の姿、ウクライナの歴史、キエフの街並みなど、一度は訪れてみたいと思ってしまう。一方で、チェルノブイリ原子力発電所があり、1986年に起きた未曾有の大事故がウクライナの人々にどのような影響を与えたか、そして2011年の東日本大震災後に起きた福島原発事故についても記されている。

ウクライナは世界有数の農業国だ。「ひいおじいさんの土地」というエッセイにこんな描写がある。

私は農業の仕事をさせられたことのない世代なので、土地にあまり特別な「思い入れ」はないと思っていた。それでも、外国にいる時に「自分の国」を問われたら、まず頭の中に思い浮かぶのは、子どもの頃、母親とおばあちゃんのところに行く途中にある麦畑の野原。そこには花がたくさん咲いていた覚えがある。それが私の中の故郷ウクライナのイメージ。

また、「散歩で感じるキエフの歴史(1)」、「散歩で感じるキエフの歴史(2)」には、キエフの街にある歴史的な名所旧跡について書かれている。キエフの中心部にあるシェフチェンコ公園という大きな公園は、ウクライナ人が大好きなサッカーの選手の名前からつけられたものではなく、19世紀帝政ロシア時代にウクライナの独立を語った国民的英雄タラス・シェフチェンコに由来するものであること。キエフ大学から聖ウラジミール教会につづくシェフチェンコ大通りのポプラ並木。少し横道に入るとマロニエの並木があり、5月のマロニエの花が咲く頃がキエフの観光シーズンであること。旧ソ連邦では一番深い地下を走っている地下鉄は、万が一のときには核シェルターとなるように考えて作られたこと。

エッセイに記されたキエフを頭の中で想像しながら、この美しい街並みが、歴史的な建物が、そして何よりこの街で暮らしていた人たちが、理不尽な戦争によって破壊され、住む場所を奪われているのだということに愕然とする。そして怒りを覚える。

ロシアがウクライナに侵攻したことについて、ロシアにもロシアなりの言い分はあるだろう。だが、いかなる理由であれ武力をもって軍事的に侵攻し、そこに暮らす人々の平和を奪う行為はけっして許されることではない。現在、世界中の多くがロシアを非難し様々な制裁を加えている。ただ、ウクライナに軍事的に侵攻したことは非難されてしかるべきではあるが、ロシアに暮らす一般市民や日本をはじめ世界に暮らすロシア人に対して悪意を投げつけるのは間違っている。そこはしっかりと考える必要があると思う。

なぜこのようなことが起きてしまうのかと考えずにはいられない。そして、今こうして平和な生活を送れているが、いつなんどき戦争に巻き込まれるかわからないのだということを考えずにはいられない。

本書はもう何年も前に買っていて、ずっと積んだままになっていた本だ。まさかこのような状況になって読むことになるとは想像していなかった。だが、このような状況にあるからこそ読んでおかなければならない本だとも言えるかもしれない。

6月末に発行されたフリーブックレット「BOOKMARK」の緊急特集号「戦争を考える」で、作家の恒川光太郎さんが本書を紹介している。その末尾は「キーフの街を平穏に歩ける日々が訪れることを願ってやまない」と記されている。本書を読んだ人も読んでいない人も、ほとんどの人が共通して願っていることだと思う。私もウクライナに1日も早く平和な日々が戻ってくることを願っている。(願うことしかできないもどかしさ)