タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

「フェリックスとゼルダその後」モーリス・グライツマン/原田勝訳/あすなろ書房-ナチスの手を逃れユダヤ人であることを隠して生きなければならないフェリックスとゼルダ。ふたりの未来に希望はあるのか。

 

 

私はどちらかというと長いものに巻かれるタイプの人間だと思う。自分の意見を強く主張するタイプでもなく、声の大きい人に追従して無難にことをやり過ごしてしまおうとする。もし、それが間違った行為であったとしても、自分が責任を問われることがなければ率先して異を唱えたりはしないかもしれない。

かつて、ヒトラーという独裁者を指導者としたナチスドイツと、軍事侵攻で占領されナチス支配下におかれたヨーロッパ諸国に暮らしていた人たちは、ナチスによるユダヤ人迫害、大量虐殺(ホロコースト)に対して反対の声をあげられなかった。一部に反ナチスを掲げユダヤ人救済の活動をした人もあったが、多くの一般市民はナチスの迫害行為を黙認し、中には積極的に加担する者もあった。

本書は、ナチスドイツに占領されたポーランドを舞台にした前作「フェリックスとゼルダ」の続編となる作品。前作のラストで強制収容所行きの貨車から飛び降りて脱出したフェリックスとゼルダが、その後どのようにナチスの目を逃れて生きたかが描かれる。

命からがら逃げるふたりが目にするあまりに残酷すぎる光景。丘の斜面にある大きな穴でからみあうように折り重なっている子どもたち。フェリックスよりも年上の子どももいれば、ゼルダより年下の子どももいる。それはナチスによって殺されたユダヤ人の子どもたちの死体だった。

ふたりは、ゲニアという女性に保護され、ユダヤ人であることがバレないように名前を変え、髪を染めたりする。それでも、ふたりは常にナチスに見つかるのではないか、ユダヤ人であることがバレて密告されるのではないかという不安、恐怖と戦っている。そんななかでも、ゲニアの家で飼育されているブタのトロツキーや犬のレオポルドとの暮らしは楽しかった。それでも、いつどのような形でふたりのことがナチスに知られてしまうのか、もし知られてしまったらふたりはもちろん、ゲニアもユダヤ人を匿った罪で厳罰が待っている。フェリックスはそのことに苦悩し続ける日々を過ごしていた。

フェリックスは本屋の息子であり本を愛する少年だ。彼は、危機的な状況に陥った時、不安な時にリッチマル・クロンプトンに「助けてください」と願う。リッチマル・クロンプトンはイギリスの女性作家で、ウィリアム少年と仲間たちを描いたシリーズ作品が人気の作家だという。前作「フェリックスとゼルダ」でゼルダを励ますためにフェリックスが話して聞かせていたのもリッチマル・クロンプトンの物語だ。本書でも、フェリックスを勇気づけ救ってくれるのはリッチマル・クロンプトンだった。

本書には、残酷な場面がたくさん出てくる。貨物列車から脱出したフェリックスとゼルダが丘の斜面でみつけた折り重なったユダヤ人の子どもたちの死体。ゲニアに連れられて出かけた町の広場に設置された高い木の柱に吊るされていたユダヤ人とユダヤ人を匿っていた人の死体。ナチス兵と警官、ヒトラー・ユーゲントによって見せつけられる強制連行されるユダヤ人の列とその列に向かって罵声を浴びせる町の人たち。

ユダヤ人を匿うこと、ユダヤ人に救いの手を差し伸べることは、ナチスへの反抗的態度であった。大衆は、心の中では罪悪感を抱きながらも自らに罰が下されることをおそれ、ナチスドイツの政策に賛同しユダヤ人を差別するマジョリティー側に立たざるを得なかった。その状態が長く続けば、いずれ罪悪感は薄くなり、「ユダヤ人は悪である」「ユダヤ人はこの世から抹殺されなければならない」という誤った思想が正しいことのように思えてくる。洗脳された大衆は積極的にユダヤ人を捕らえ、ナチスに差し出すことに加担するようになっていく。戦争という異常な状況も、洗脳を加速する要因かもしれない。

一部の声の大きな者の考えによって大衆が扇動され、弱者を差別する状況が当たり前となっていく。これは、今でも起きている。これだけさまざまな情報が簡単に手に入るようになり、その情報から個人が正しく自分で考えることができるようになっている現在であってもだ。むしろ、情報が溢れすぎているから、人々は自分で考えることをやめ、声の大きい者に従ってしまうのかもしれない。誰かに従っていれば責任をとらなくていいし、何より楽だ。

ナチスの影に怯えながら暮らすフェリックスとゼルダの運命がどうなっていくのか。そこには厳しい現実が待ち受けている。フェリックスとゼルダの物語はフィクションである。だが、物語の舞台となっている時代や環境は現実に起きたことだ。戦争によって引き起こされる現実の悲しさ、残酷さに胸が苦しくなる。

訳者あとがきによれば、「フェリックスとゼルダ」の物語はさらに第3作、第4作と書き継がれているそうだ。だが、調べた限りでは残念ながら翻訳はこの「フェリックスとゼルダその後」までしか刊行されていない。本書以降、彼らはどのような運命を生きたのか気になる。

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