タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

「フェリックスとゼルダ」モーリス・グライツマン/原田勝訳/あすなろ書房-ナチスによるホロコーストは、フェリックスやゼルダのような罪もない子どもたちすら虐殺したのだという事実は忘れられてはいけない

 

 

第二次世界大戦におけるナチスユダヤ人迫害、大量虐殺は人類史上最悪の人種差別事件である。ホロコーストとも呼ばれる大量虐殺の犠牲者数は正確にはわかっておらず、およそ600万人のユダヤ人が犠牲となったともされている。ホロコーストの犠牲者はナチスドイツが侵略した東ヨーロッパから旧ソ連に至る地域で確認されているが、その中でももっとも多くの犠牲者があったとされているのがポーランドだ。

本書「フェリックスとゼルダ」の舞台はポーランドである。

そして本書は、ナチスが支配するポーランドで無垢な子どもたちが少しずつ自分たちのおかれた状況を知り、いろいろな大人たちの助けをもらいながら生き延びようとする物語だ。

物語は、10歳の少年フェリックスが語り手となって進んでいく。フェリックスはユダヤ人だ。両親は本屋を営んでいたが、彼を山の中の孤児院に預けて、以来3年8ヶ月もフェリックスはこの孤児院で暮らしている。フェリックスは、きっといつか両親が迎えに来てくれると信じている。

本屋の息子フェリックスは、本を愛する子どもだ。そして、ノートに物語を書いている。ある日、フェリックスは孤児院にやってきた男たちが中庭で本を燃やしているのをみた。ナチスの男たちだった。フェリックスは彼らを許せなかった。そして、両親が営んでいる本屋の本も燃やされてしまうのではないかと思った。本を隠さなければと思った。

フェリックスは祈りを捧げる。神様、イエス様、聖母マリア様、法王様、そしてアドルフ・ヒトラーに。ユダヤ人の本屋がまた元通り商売できますように。そう、彼は信じていたのだ。ヒトラーがぼくらを守ってくれると。

10歳の少年にとって、ヒトラーが何者であるか、ナチスが何を為そうとしているのか、ユダヤ人がどのように扱われどのような運命をたどるのかは何もわからないことだ。神父様が、ヒトラーが私たちを守ってくださると言えば、それを信じる。ナチスは大好きな本を燃やしてしまうから嫌い。それ以上でもそれ以下でもない。だが、フェリックスが故郷の本屋に戻るために孤児院を抜け出し、道中でさまざまな事態に遭遇し、また故郷でもかつての隣人にひどい目に合わされたりすることで、少しずつ“ユダヤ人”という自分の存在がどのように見られているかを理解していく。それは、フェリックスにとって、少しずつ少しずつ苦しめられていくようなもの。少しずつ希望を奪われ絶望へと導かれているということだ。

生まれ育った町を追われたフェリックスは、両親を探してもっと大きな町を目指す。そして、その途中で家族を殺された少女ゼルダと出会う。ゼルダを連れて大きな町へ歩を進める中で、フェリックスは彼女を勇気づけようと物語を作って聞かせる。まだまだ幼いゼルダは、「なんにもわかってないのね」が口ぐせで、ときにわがままにフェリックスを困らせるが、フェリックスはそんなゼルダに優しく接する。

読んでいると、フェリックスもゼルダも本当に純粋な子どもだと感じる。あまりの純粋さに危うさを感じる。だけど、それは私たち読者がナチスによるユダヤ人迫害の事実を知っていて、その知識の上で物語を読んでいるから感じるものだ。当時を実際に生きていた子どもたち(もちろん大人たちも)は、ヒトラーユダヤ人迫害を指示していたことも、ナチスユダヤ人を捕まえて強制収容所送りにしていたことも、ヒトラープロパガンダによって人々がユダヤ人への憎悪を高めていたことも知らないのだ。

物語の中では、フェリックスはヒトラーを神様やイエス様と同列の存在として祈りを捧げている。ヒトラーが、フェリックスがおかれている状況を良い方向へと導いてくれると信じている。ナチスが本を焼いたことには憤りを感じたが、ナチスの兵士が大勢の人をトラックの荷台に乗せてどこかへ運んでいく光景をみて自分もそこに乗せてほしいと思ったり、兵士に狙撃されて危うく殺されそうになっても偶然の事故だったんだと思ったりする。それでも、少しずつフェリックスは気づいていく。ナチスユダヤ人を嫌っているのではないかと。だけど、彼らがユダヤ人を強制的に隔離し殺そうとしているとは思いもよらない。フェリックスは、ナチスに連行されるユダヤ人たちがナチス兵から「きれいで食べ物も仕事もたくさんある田舎に連れて行ってやる」と言われているのを聞いて、自分たちも一緒に連れて行ってもらおうと子どもたちを匿っているバーニーに訴える。もちろんバーニーはそれを否定する。ユダヤ人が連れて行かれるのはきれいな田舎なんかではなく、強制収容所だとバーニーは知っているし、待ち受けるのは死だけだからだ。

彼らはナチスに見つからないように息をひそめて暮らさなければならない。しかし、ついにナチスの手が彼らを捕らえる。フェリックスとゼルダ、バーニーと子どもたちは、強制収容所へと向かう貨物列車に乗せられる。

本書の冒頭にこんな言葉が書かれている。

身の上が語られたことのないすべての子どもたちに捧ぐ

子どもたちにとってばかりではなく、老若男女大勢のユダヤ人がナチスホロコーストの犠牲となったことは、未来永劫語り継がれていかなければならない。戦争がもたらす悲劇を忘れてはいけない。本書のような作品を通じて、平和な時代を生きる現代の子どもたちが、かつて自分たちと同じくらいの、いやもっともっと小さい子どもたちが、理不尽な理由で人間としての尊厳を奪われ、残酷に殺されていったことを知ってほしい。フェリックスとゼルダの物語からひとつでも多くのことを知り、同じ過ちは絶対に起こさないことを胸に誓ってほしい。

強制収容所へ送られるはずだったフェリックスとゼルダは、その途中で列車から脱出し、そこからナチスの目を逃れての生活へと入っていく。その物語は、「フェリックスとゼルダその後」に続く。彼らのその後の人生はどうなっていくのか。僅かな希望と大きな不安を感じずにはいられない。