タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

コナン・ドイル/千葉茂樹訳、ヨシタケシンスケ絵「コナン・ドイルショートセレクション 名探偵ホームズ踊る人形」(理論社)-名探偵シャーロック・ホームズが活躍する短編から厳選された作品を収録したホームズ入門書

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「名探偵ホームズ」シリーズは、おそらく多くの読書好きが子どもの頃に手にしたことのある作品ではないだろうか。

名探偵ホームズシリーズ
怪盗ルパンシリーズ
少年探偵団シリーズ

学校の図書室にズラリと並んだ本を、片っ端から借りて読む。「ぼくはホームズ!」「おれはルパン!」と友だち同士でどちらが好きか、どちらが先に読み終えるかを競いあった思い出もある。いまの子どもたちも同じだろうか。

本書は、千葉茂樹さんが数あるホームズ物の短編の中から選んだ3つの作品とワトソン博士を主役としてユーモアあふれるショートストーリー1編が収められている。理論社が刊行している『ショートセレクションシリーズ』の中の1冊である。表紙、各短編の扉絵を描いているのはヨシタケシンスケさん。ヨシタケシンスケさんは、さらに『踊る人形』のあの暗号文も描いている。

収録作品は、

踊る人形
まだらの紐
黄色い顔
ワトソンの推理修行

の4編。いずれもホームズシリーズの中では人気の作品だ。読んだことがあるという方も多いだろうし、読んだことがなくても内容を知っているという方もいるだろう。なので、それぞれの作品について、あらすじを説明する必要はないと思う。

56編もあるホームズ短編作品の中から、この3編を選んだ理由について翻訳の千葉茂樹さんは「ずいぶん悩みました」と書いた上でこう説明している。

『まだらの紐』は、自身が子どものころに読んだときの衝撃が忘れられず、ドイル自身がホームズ物の短編の中で第1位にあげていること。
『踊る人形』と『黄色い顔』については、ホームズのしくじりという観点で選んでいること。

どの短編が選ばれたとしても納得なのだが、『踊る人形』と『黄色い顔』がいずれもホームズのしくじりが描かれていたとは考えたことがなかったので、おもわず「なるほど!」と膝を打った。どちらも事件は解決しているのだが、『踊る人形』ではホームズらしからぬ決断の遅れがあったし、『黄色い顔』では真相を見誤った。確かに、どちらもホームズのしくじりだ。

なぜ、しくじりという観点で作品を選んだのだろう。その理由については、あとがきにも書かれていない。私なりの解釈として書けば、完璧であるはずのホームズが失敗するという“人間性”を見せたかったのではないだろうかと考える。

いかに天才的なシャーロック・ホームズであっても、一瞬の判断の遅れや認識のズレによって失敗を起こす。ホームズだって失敗するんだから、私たちが失敗するのも当たり前のことなのだ。でも、その失敗を繰り返さないために、どうすればいいのかを考えることが大事だということに気づかせる。本書にはそういう狙いがあるのかもしれない。個人的で勝手な深読みだけれど、そう思った。

メガン・シェパード作、リーヴァイ・ピンフォールド絵/原田勝、澤田亜沙美訳「ブライアーヒルの秘密の馬」(小峰書店)-少女には鏡の中に馬がみえた。翼の傷ついた馬は少女がみた夢なのか、それとも現実なのか。

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わたしたちは
空を
飛んでいた

279ページのこの文章からはじまる一連の場面に息を呑んだ。リーヴァイ・ピンフォールドが描く力強くもあり、それでいて儚げでもあるイラストレーション。そして、40章、41章と続く場面の描写。このクライマックスシーンには、著者の思いとともに、翻訳者の思いもギューっと詰まっているような迫力を感じる。

メガン・シェパード「ブライアーヒルの秘密の馬」は、第二次世界大戦中のイギリスが舞台だ。主人公の少女エマラインは、ブライアーヒル療養所に暮らしている。そこは、肺の奥に静かな水を抱えた子どもたちがいる場所。結核療養所である。エマラインは、両親や姉と離れてこの場所にいる。彼女の胸の奥にも、ときどき波立つ静かな水があるから。

エマラインには、鏡の中にいる馬がみえる。翼のはえた馬だ。それは、彼女にしかみえていない。もしかすると、アナにはみえているかもしれない。でも、シスター・コンスタンスやシスター・メアリー・グレイスも、ターナー先生も、ベニーや他の子どもたちにも、誰にもみえていない。エマラインだけの秘密だ。

そして、馬はエマラインの前にあらわれた。翼のある白い馬。その翼は傷ついている。エマラインは、馬の長からその馬-フォックスファイアをブラックホースから守るように頼まれ、ブラックホースの目を惑わすために虹の囲いを作ろうとする。彼女自身の身体も蝕まれるなか、ブッラクホースの魔の手は確実にフォックスファイアに迫っていく。

読者は思うだろう。

『すべてはエマラインの想像によって生み出された妄想ではないか』と。

『病の床でエマラインがみた夢なのではないか』と。

この物語が現実を描いているのか、夢や幻想を描いているのか、それは読者がそれぞれに考えることだ。

ファイアフォックスのその後は?
鏡の中の馬たちは?
エマラインの人生の行方は?

物語とは、必ずしも明快に答えを明かしてはくれないものだ。ときに、読者を突き放すように、謎を残したままに物語を閉じていくことがある。そんなとき、読者は自らの想像力をフル回転させて、登場人物たちのその後に思いを巡らせる。ひとりひとりの読者に、それぞれのストーリーが生まれる。それが、物語を読むことの喜びであり楽しさであるならば、「ブライアーヒルの秘密の馬」にはそれがある。

 

エヴァ・イボットソン/三辺律子訳「夢の彼方への旅」(偕成社)-マイヤ、フィン、クロヴィス。子どもたちは夢の世界で大きく成長していく。

 

 

エヴァ・イボットソンの作品の中でも評価の高い作品が本書「夢の彼方への旅」です。

舞台は、いまから100年くらい前、20世紀初頭のブラジルです。当時、ヨーロッパからの移民者はアマゾンの奥地で大規模なゴム農場を経営して利益を得ていました。そこには、ジャングルの奥地とは思えないヨーロッパ風の街並みが広がり、大きな劇場も建設されていました。

主人公のマイヤは、2年前に両親を亡くし、ロンドンの寄宿学校で暮らしていました。ある日、ブラジルでゴム農園を経営するカーターさんが彼女を引き取ることになり、家庭教師のミントン先生ともブラジルへ旅立つことになります。マイヤは、アマゾンの大自然の中には、きっと素敵で楽しい生活が待っていると思っていました。

4週間の長旅の末に、マイヤとミントン先生がたどりついた場所は、想像したような夢の場所ではありませんでした。カーター夫妻も双子のビアトリスとグウェンドリンも、とってもわがままで嫌な人たちだったのです。使用人のインディオたちを見下し、大自然の中で暮らしているのに草花や動物や虫たちを毛嫌いし、むりやりにイギリス風の生活をしようとしている人たちでした。彼らがマイヤを引き取ったのも、彼女の両親が遺した財産が目当てだったのです。

彼らはマイヤにも意地悪をします。マイアは自由に外に出ることが許されません。カーター夫人が双子をつれてマナウスの街へ行くときもマイヤだけは許されないのです。でも、マイヤはそんな環境の中で、使用人のインディオたちと交流し、彼らから信用されるようになります。

カーター家の人たちは、とても嫌な人たちですが、それ以外にマイヤが出会う人たちはとても魅力的です。

旅の途中で出会った劇団で役者をしている少年クロヴィス
ジャングルの奥にある湖のほとりで暮らす少年フィン

彼らとの友情は、カーター家の人たちによって抑圧されていたマイヤの心に希望の光を灯します。3人には、それぞれに夢があり、それぞれに相手のことを気づかい、友情を育んでいきます。彼らは、自分たちに訪れる運命に対して、自分たちで考え、自分たちで行動し、そして幸せを手に入れます。もちろん、そこには彼らを理解する大人たちのサポートもあります。たくさんの勇気とたくさんの力によって、彼らは成長していくのです。

「夢の彼方への旅」は、100年前のブラジルを舞台にしていることから『歴史小説』として分類されるのですが、作者のエヴァ・イボットソンはそのことに違和感を覚えるといっていると、訳者あとがきに記されています。

確かに、時代背景であったり、当時のブラジルにおけるヨーロッパ人入植者たちの生活やゴム景気による経済的な発展がもたらした欧米化の流れなど、歴史的な事実に沿って物語が描かれているので、本書を『歴史小説』と読むことはできます。ですが、イボットソンの作品として考えれば、「夢の彼方への旅」も他の作品と同様に主人公であるマイヤやフィン、クロヴィスといった子どもたちが、閉塞された世界から解き放たれて自らの夢に向かって羽ばたいていく成長の物語なのだと感じます。

「夢の彼方への旅」には、ファンタジーではないリアルな人間模様が描かれています。それが、これまで紹介してきたイボットソンの作品とのわずかな違いとなるかもしれません。ですが、物語の土台にあるものは共通です。

これまで数々のエヴァ・イボットソン作品を読んできて、彼女が一貫して作品に込めているテーマは、閉塞感からの脱却であり、大きな飛翔であると感じました。主人公たちは、最初は様々なルールや環境の中で押さえつけられて生きています。それが、様々な経験や冒険を経て成長し、最後には大きな夢を叶えていく。そんなストーリーを感じるのです。

彼女の物語はすべてハッピーエンドです。だから安心して読めるのです。悪人には必ず鉄槌がくだされます。でも、それすらもなんだかユーモラスで思わず笑ってしまいます。読み終わって「あぁ、面白かった」と感じられるのは、よても素敵なことだなと思います。物語のハッピーエンドは、読者にとっても幸せなのだと思います。

 

エヴァ・イボットソン/三辺律子訳「ガンプ魔法の島への扉」(偕成社)-9年に一度9日間だけ開く魔法の島と人間界をつなぐ魔法の扉を抜けて、さらわれた王子を救い出しに来た4人の救出者。彼らがみた成長した王子の姿は想像を絶するものだった。

 

 

いまの世の中、学校へ行って子どもたちに「ガンプってなんだ?」ときいても、ろくなこたえが返ってこないだろう。

という一文からはじまるのが、エヴァ・イボットソン「ガンプ 魔法の島への扉」で、魔法の島の王子様を人間界から救出するミッションを与えられた4人の救出者が巻き起こす騒動を描いた物語です。

『ガンプ』とは、魔法の島と人間界をつなぐ魔法の扉のこと。9年に一度9日間だけ開くその扉を通れば、限られた期間だけ、魔法の島の人々は人間の世界に出かけることができるのです。

イギリスのガンプがあるのは、キングスクロス駅の13番ホームの下にあります。「どこかで聞いたような?」と思いましたか? そうなんです。『ハリー・ポッター』でホグワーツ魔法学校へ向かうホグワーツ特急の発車するのが、キングスクロス駅の9と3/4番線ですよね。「ガンプ」が発売されたのは1994年で、「ハリー・ポッターと賢者の石」が発売されたのは1997年です。「パクリなの?」とは思わないでください。「黒魔女コンテント」の『訳者あとがき』によれば、「ハリー・ポッター」の設定が「ガンプ」と似ていることを指摘されたイボットソンは、このように答えたそうです。

「わたしはローリングと握手したいくらいよ。作家はみんな、おたがいに貸し借りしているのだから」

イボットソンらしいエピソードですよね。あからさまな盗作なら憤慨したでしょうが、設定の一部が似ているくらいなら作家同士で目くじらをたてる必要もないということでしょう。

話を「ガンプ 魔法の島への扉」に戻します。

物語は、まだ生まれて3ヶ月の王子を世話する3人の乳母が9年ぶりに開いたガンプを通って上の世界(人間の世界)へ出かけていくところから騒動が起こっていきます。3人は王子を連れて上の世界に出かけるのですが、そこで王子をトロットル夫人によって連れ去られてしまうのです。そして、そのままガンプは9日間が過ぎて閉じられてしまいました。王子は、上の世界に取り残されてしまったのです。

王様、女王様、3人の乳母たち、そして魔法の島の住民たちにとって辛く悲しい9年間が過ぎ、またガンプが開く日が来ました。連れ去られた王子を救うために4人の使者が任命されます。

老魔法使いのコルネリウスは偉大な魔法使いとして
農耕をつかさどる妖精フェイのガーキントルードは善き人として
ひとつ目の巨人オグルのハンスは力の強さで

そして、もうひとりはハグのオッジです。オッジはまだ子どもですが、おそろしいすがたをしたハグの一族に連なる女の子です。でも、一族の中では期待はずれのハグでした。なぜなら、オッジはちっともおそろしくなかったのです。でも、オッジはとても賢い子どもでした。

イボットソンの作品には、オッジのように、その種族や家系の中では落ちこぼれだったり、弱い立場の孤児だったりといったキャラクターがよく登場します。確かに彼らは落ちこぼれとしてコンプレックスを抱えたりしています。でも、それをバネにして知恵や勇気を身につけていきます。きっと、イボットソンはそういう少し弱い人が、本当は誰よりも賢くて強いんだということを伝えようとしているのでしょう。

4人の救出者はガンプをくぐり抜け、王子がトロットル家のレイモンドとして暮らすトロットル・タワーへ向かいます。そこで、ひとりの少年に出会うのです。彼は、とてもしつけが行き届いていて、礼儀正しい少年でした。救出者たちは、彼こそが王子の成長した姿だと思います。でも、彼は王子ではありませんでした。彼の名前はベン。トロットル家の下働きの少年だったのです。

本当の王子、レイモンドは母親であるトロットル夫人に甘やかされ放題に育てられた超わがままな少年になっていました。食べたいものを意地汚く食べまくり、欲しいものはなんでも買ってもらえる暮らしを満喫したレイモンドは、王家を継ぐ者としてはまったく不適格な人間に成長してしまったのです。

しかし、どんなにわがままで傍若無人であってもレイモンドは王子です。なんとかして彼を魔法の島へ連れ帰らなければなりません。期限はガンプが開いている9日間だけ。4人の救出者たちは、レイモンドのわがままに振り回され、イヤな思いをしながらも、彼を説得しなければならないのです。

甘やかされて育った子どもは碌な人間にならないということを、イボットソンはレイモンドのキャラクターで知らしめようとしています。読んでいて、とにかく腹の立つ子どもなのです。

どんなにわがままで憎らしい子どもでも、どこかに少しは可愛げがあるものです。しかし、レイモンドにはそういう可愛げが一切ありません。それでも、救出者たちはどこか少しでも褒められるところがないか探そうとします。健康そうだとか、よくあらわれているとか。

ガンプが閉じる期限がジリジリと迫る中で、救出者たちはどうやって王子を魔法の島へ連れ帰るのか。その顛末は、あるときは涙ぐましく、あるときは滑稽です。彼らとレイモンド、そしてベンのドタバタ騒動の結末は、もしかしたらすぐに想像ができるかもしれません。ですが、それでも物語を読ませるのがエヴァ・イボットソンのスゴイところです。読み終わって、楽しいお話を味わえたと感じるのもイボットソンならではです。

今回も、とても楽しく、ワクワクするような物語の世界を味わうことができました。

イ・ジョンミョン/鴨良子訳「星をかすめる風」(論創社)-戦争末期の福岡刑務所。囚人として収監された詩人と看守は、言葉を介して関係をつなぐ。言葉、文字、そして詩によって生まれる共感。

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韓国の国民的詩人・尹東柱ユン・ドンジュ)をめぐる愛と死の物語

本書「星をかすめる風」の帯には、こんな惹句が記されている。

舞台は、太平洋戦争末期の福岡刑務所。そこは、戦争に反対する知識人や犯罪者が収容される施設であり、治安維持法違反で検挙された反日思想の朝鮮人も数多く収監されていた。

物語は、戦時中に福岡刑務所で看守をつとめていた渡辺優一の語りで進む。杉山道造という看守が何者かに殺害される事件が刑務所内で発生し、その調査に渡辺が関わることになる。調査を進めていく中で、彼は杉山が第三収容棟に収監されている平沼東柱という朝鮮人の囚人と奇妙な関係を有していることを知る。そして、杉山の死と平沼の関係、さらに福岡刑務所で行われている残酷な事実を知ることになる。

「星をかすめる風」には、物語の軸がふたつある。ひとつは、杉山道造殺害事件の真相をめぐるミステリとしての軸であり、そこには日本人の看守と朝鮮人の詩人との間で生まれる言葉を通じた関係性が絡む。もうひとつは、福岡刑務所で九州帝国大学医学部が行っていたある残酷な研究である。

本書に登場する平沼東柱こと尹東柱は実在の人物である。朝鮮出身で1941年に日本に留学した彼は、1943年に治安維持法違反容疑で逮捕される。裁判で懲役2年の実刑を受けて福岡刑務所に収監された尹東柱は、1945年2月に獄死しているが、その死因は不明とされている。

語り部である渡辺は、平沼東柱がその文才を生かして厳しい検閲をくぐり抜け、朝鮮人収容者たちの手紙を代筆していたことを知る。彼が書いた手紙を検閲していたのが、殺害された杉山である。彼の死の真相を平沼東柱が知っているのではないかと考えた渡辺は、平沼を取り調べる。そして、同じく本を愛し、文学や哲学書に耽溺してきたふたりは、いつしか互いを認め合うようになっていく。

同じことが平沼と杉山の間にも起きていた。杉山は学もなく言葉や文学には疎いが、平沼の記した手紙を検閲する中で、平沼が自分に向けて言葉をぶつけてきていることに気づく。そして杉山もいつしか、平沼東柱の言葉の力、文章の力に心を奪われていく。

杉山の事件を調べ、杉山と平沼東柱との関係を知り平沼に共感していく中で、渡辺は福岡刑務所で朝鮮人の囚人に対して行われている残酷な事実に行き当たる。それは、人間の尊厳を完全に奪われた朝鮮人たちへの極悪非道な仕打ちであり、反面、この戦争で日本国の勝利を得るための重要な研究でもあった。人間としての正義を選ぶか、軍人としての忠義を選ぶか、事実を知った渡辺は葛藤する。

ひとりの男の殺人をめぐる物語は、こうして様々な真実が複雑に絡み合った物語へと深化し、読者を人間の深淵へと導いていく。

戦争という大義の中で行われることは、すべて正義となるのか。
戦争はどれほどに人間を残酷にさせてしまうのか。
戦争がどれだけ多くの罪なき人を殺してしまうのか。

尹東柱は、27歳という若さで獄死したことで『殉国者』として神格化され、韓国の国民的詩人に押し上げられた。それは事実である。だが、彼は本来死ななくてよい人間だったはずだ。彼を殺したのは戦争が行われていた時代であり、戦争が生み出した人間の狂気だ。

ミステリ小説としての体裁を持ちつつ、尹東柱という詩人の人生を描き、彼の詩によって本当の正義を知る杉山と渡辺という日本人を通じて、時代が生み出したたくさんの悲劇と、その悲劇を生み出す人間の弱さを描く。そして、言葉がもつ力、文学がもつ力について考えさせられる。

読み終わって、ゆっくりとその意味を考えたくなる作品である。

 

尹東柱詩集 空と風と星と詩 (岩波文庫)

尹東柱詩集 空と風と星と詩 (岩波文庫)

 
空と風と星と詩―尹東柱全詩集

空と風と星と詩―尹東柱全詩集

 
生命の詩人・尹東柱:『空と風と星と詩』誕生の秘蹟

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尹東柱評伝―空と風と星の詩人

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天と風と星と詩

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エヴァ・イボットソン/三辺律子訳「黒魔女コンテスト」(偕成社)-偉大なる魔法使いのパートナーは誰に?黒魔法世界のシンデレラストーリー

 

 

黒魔法世界のシンデレラストーリーエヴァ・イボットソン「黒魔女コンテスト」は、簡単に言ってしまうとそういう話です。

これまで読んできたイボットソンの作品の中では、比較的ストレートな話だと思います。

黒魔術の世界で〈恐ろしのアリマン〉と讃えられる偉大なる魔法使いアリマン・キャンカーは、あまりに頑張りすぎ、働きすぎた結果、燃え尽き症候群のような状態になってしまいます。

彼には後継者が必要なのです。そこで、アリマンの花嫁候補を選ぶためのコンテストが行われることになります。もっとも黒い魔法を披露した黒魔女がアリマンの花嫁になれるのです。

コンテストには、7人の魔女が集まりました。

メイベル・ラック(〈使い魔〉はタコのドリス)
エセル・フィードバッグ(〈使い魔〉はブタ)
ふたごのナンシー・シャウターとノラ・シャウター(〈使い魔〉はふたりともニワトリ)
年寄りのブラッドワートばあさん(〈使い魔〉はウジ虫・ハエ)
マダム・オリンピア(〈使い魔〉はツチブタ)

そしてもうひとり、ベラドンナがいました。ですが、彼女は他の黒魔女とは違っていました。ベラドンナ白魔女なのです。

ベラドンナは、自分が白魔女であることが悩みでした。でも、彼女はどうしても黒魔法が使えません。彼女には魔法を手助けする〈使い魔〉がいないのです。それでも彼女はコンテストに出ることにしました。でも、優勝する自信はありません。ですが、テレンス・マグという少年と出会い、彼のペットであるミミズのローヴァーと出会ったことで黒魔法が使えるようになります。ベラドンナは、ローヴァーが自分の〈使い魔〉だと確信します。そして、テレンスと一緒にコンテストに挑むことになるのです。

最初に書いたように、「黒魔女コンテスト」はイボットソンの作品の中では、どちらかというと王道のストーリーです。設定は、黒魔術というネガティブな世界観になっていますが、ネガティブさ、暗さは感じさせません。ネガティブな設定なのだけどユーモアがたっぷりだし、ラブコメディとしての要素もあって楽しめます。

イボットソンの作品は、登場人物たちがしっかりとキャラクターとして完成していて、ひとりひとりに個性があります。本書でも、アリマン、ベラドンナをはじめ、コンテストに参加する黒魔女たちのユーモラスであり厭味ったらしい感じ、アリマンに振り回される秘書や召使いの存在感、ベラドンナをサポートするテレンスの利発さ、などなど物語に不必要なキャラクターが誰もいない。全員が物語の中で重要な存在になっています。

アリマンの花嫁候補に選ばれるのは誰なのか。黒魔女コンテストではどんな事件が巻き起こるのか。ベラドンナは黒魔女になれるのか。物語はたくさんの笑いとたくさんの幸せを読者に与えてくれます。

イボットソンの描き出す物語は、すべてハッピーエンドです。だから安心して読めるし、読後感もよいのです。

アリマンのように働きすぎ、頑張り過ぎの大人たちは、イボットソンの作品を読んでみることをオススメします。きっと癒やされると思いますよ。

亀石みゆき「CINEMA TALK Vol.1、Vol.2」「映画の中の女たち」-可愛らしいイラストと素敵な文章で好きな映画を紹介するZINE。映画が観たくなる!

 

今回レビューする「CINEMA TALK」と「映画の中の女たち」は、イラスレーターの亀石みゆきさんによる映画感想をまとめたZINEです。

「CINEMA TALK Vol.1 《特集》児童文学と映画」
「CINEMA TALK Vol.2 《特集》女の友情と映画」
「映画の中の女たち

こちらの3作について、まとめて感想を書いていきます。

著者の亀石さんがイラストレーターということで、映画の登場人物やアイテムがイラストで紹介されているのですが、これがなんとも心地の良いタッチのイラストで、見ていて優しい気持ちになります。私は絵心がまったくないので、画風がどうとか、上手か下手かという話は一切できませんが、亀石さんのイラストはいつまでも見ていられる味わいがあると感じます。

イラストも素敵なのですが、私が読んでいて思わず「おぉ」と思ったのは亀石さんの文章の巧みさです。

たとえば、「映画の中の女たち」の「かもめ食堂」の感想はこういう具合に始まります。

出会ってからすぐに意気投合して「~ちゃん」なんて下の名前で呼び合うようになるような関係は少女時代に戻ったみたいですごく楽しかったりしますが、経験上、そのような関係は往々にして崩壊するのもまた早いように思います。

すぐに意気投合できると楽しい、とあげておいて、でも壊れるのも早いよね、と突き放す。この書き出しを読んで、この感想の先の展開や「かもめ食堂」という映画のことが気にならない読者はいないのではないでしょうか。

同じ「映画の中の女たち」にある「サヨナラCOLOR」の感想では、ヒロインである原田知世について、

原田知世は女友達がいなさそうな役がよく似合うなぁ」と思います。

と書いています。私には原田知世に対するこういう視点がありませんでした。相手は女優なので、役柄によって受け取る印象が違ったり変わったりはあると思いますが、「女友達がいなさそう」というイメージはなかなか浮かばないように思います。

亀石さんが書く文章には、読んでいて「へぇ」とか「ほぉ」と思わせるところがあります。

その映画を観たことがあるよ、という人が読むと「そうそう」と共感するところがあれば、「そういう見方もあるのか!」と新しい魅力に気づかせてくれるところもあります。

まだ観たことのない映画なら、自分ならどう感じるだろう、どんな見方になるだろうと気になって、その映画を観てみたくなります。

「CINEMA TALK Vol.2」で取り上げている「リップヴァンウィンクルの花嫁」の感想では、亀石さんの体験談として『探偵』と思しき人物から「絶対に振り向いてはいけません。あなた、ストーカーから狙われてますよ」と声をかけられたエピソードから始まります。この入り方がうまいと思うのです。思わず「え、どういうこと?」と気になって読み進め、そこから映画の登場人物に話をつないでいく。あとは最後まで一気読みです。

もちろん、すべての文章が手練れていて上手という訳ではありません。ですが、いくつかある文章の中に少しでも気を惹く表現や気になるエピソードがあることで、全体が魅力的に感じてしまうのと、イラストの存在感もあって、読者は映画に対するイメージを描きやすくなっています。イラストと文章が互いを補完していることが亀石さんのZINEの魅力なんだと思うのです。

このZINEを取り扱っている本屋さんは、亀石さんのTwitterで確認することができます。また、亀石さんのホームページブログでも、ZINEに掲載されている内容を確認することができます。

fimpen.web.fc2.com

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面白いので、読んでみてほしいです。