タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

イ・ジョンミョン/鴨良子訳「星をかすめる風」(論創社)-戦争末期の福岡刑務所。囚人として収監された詩人と看守は、言葉を介して関係をつなぐ。言葉、文字、そして詩によって生まれる共感。

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韓国の国民的詩人・尹東柱ユン・ドンジュ)をめぐる愛と死の物語

本書「星をかすめる風」の帯には、こんな惹句が記されている。

舞台は、太平洋戦争末期の福岡刑務所。そこは、戦争に反対する知識人や犯罪者が収容される施設であり、治安維持法違反で検挙された反日思想の朝鮮人も数多く収監されていた。

物語は、戦時中に福岡刑務所で看守をつとめていた渡辺優一の語りで進む。杉山道造という看守が何者かに殺害される事件が刑務所内で発生し、その調査に渡辺が関わることになる。調査を進めていく中で、彼は杉山が第三収容棟に収監されている平沼東柱という朝鮮人の囚人と奇妙な関係を有していることを知る。そして、杉山の死と平沼の関係、さらに福岡刑務所で行われている残酷な事実を知ることになる。

「星をかすめる風」には、物語の軸がふたつある。ひとつは、杉山道造殺害事件の真相をめぐるミステリとしての軸であり、そこには日本人の看守と朝鮮人の詩人との間で生まれる言葉を通じた関係性が絡む。もうひとつは、福岡刑務所で九州帝国大学医学部が行っていたある残酷な研究である。

本書に登場する平沼東柱こと尹東柱は実在の人物である。朝鮮出身で1941年に日本に留学した彼は、1943年に治安維持法違反容疑で逮捕される。裁判で懲役2年の実刑を受けて福岡刑務所に収監された尹東柱は、1945年2月に獄死しているが、その死因は不明とされている。

語り部である渡辺は、平沼東柱がその文才を生かして厳しい検閲をくぐり抜け、朝鮮人収容者たちの手紙を代筆していたことを知る。彼が書いた手紙を検閲していたのが、殺害された杉山である。彼の死の真相を平沼東柱が知っているのではないかと考えた渡辺は、平沼を取り調べる。そして、同じく本を愛し、文学や哲学書に耽溺してきたふたりは、いつしか互いを認め合うようになっていく。

同じことが平沼と杉山の間にも起きていた。杉山は学もなく言葉や文学には疎いが、平沼の記した手紙を検閲する中で、平沼が自分に向けて言葉をぶつけてきていることに気づく。そして杉山もいつしか、平沼東柱の言葉の力、文章の力に心を奪われていく。

杉山の事件を調べ、杉山と平沼東柱との関係を知り平沼に共感していく中で、渡辺は福岡刑務所で朝鮮人の囚人に対して行われている残酷な事実に行き当たる。それは、人間の尊厳を完全に奪われた朝鮮人たちへの極悪非道な仕打ちであり、反面、この戦争で日本国の勝利を得るための重要な研究でもあった。人間としての正義を選ぶか、軍人としての忠義を選ぶか、事実を知った渡辺は葛藤する。

ひとりの男の殺人をめぐる物語は、こうして様々な真実が複雑に絡み合った物語へと深化し、読者を人間の深淵へと導いていく。

戦争という大義の中で行われることは、すべて正義となるのか。
戦争はどれほどに人間を残酷にさせてしまうのか。
戦争がどれだけ多くの罪なき人を殺してしまうのか。

尹東柱は、27歳という若さで獄死したことで『殉国者』として神格化され、韓国の国民的詩人に押し上げられた。それは事実である。だが、彼は本来死ななくてよい人間だったはずだ。彼を殺したのは戦争が行われていた時代であり、戦争が生み出した人間の狂気だ。

ミステリ小説としての体裁を持ちつつ、尹東柱という詩人の人生を描き、彼の詩によって本当の正義を知る杉山と渡辺という日本人を通じて、時代が生み出したたくさんの悲劇と、その悲劇を生み出す人間の弱さを描く。そして、言葉がもつ力、文学がもつ力について考えさせられる。

読み終わって、ゆっくりとその意味を考えたくなる作品である。

 

尹東柱詩集 空と風と星と詩 (岩波文庫)

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空と風と星と詩―尹東柱全詩集

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生命の詩人・尹東柱:『空と風と星と詩』誕生の秘蹟

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尹東柱評伝―空と風と星の詩人

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天と風と星と詩

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