タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

本の雑誌編集部編「絶景本棚」(本の雑誌社)-まさに絶景!人の本棚ってホント興味深いよね~

家に本が溢れている。

私の家には2部屋に天井までの本棚が6本ある。収容能力的には相当にキャパはあるはずだ。なのに、部屋には本棚に収まりきらない本がそこここに積み上がっている。

本の雑誌」という雑誌があって、定期購読している。巻頭カラーで書店の紹介と様々な読書家の本棚を紹介するページがある。毎月楽しみにしているページだ。ちなみに2018年4月号では渡辺明棋士の本棚が紹介されていた。

本書「絶景本棚」は、「本の雑誌」に連載されているこの連載をまとめたもの。34人の好事家たちの本棚写真がこれでもかと掲載されている圧巻の写真集だ。掲載されている34人の好事家たちの名前と一部の方の本棚写真は本の雑誌社の書籍紹介ページでみることができる。ただ、書籍紹介ページに公開されている喜国雅彦氏、中野善夫氏、都築響一氏、新井素子氏、川出正樹氏の本棚は、スタイリッシュで整然としている側の代表であって、本書には「いったい人間はどこで生活しているんだ!?」と愕然、呆然とする魔窟も紹介されている。むしろそちらの方が見ていて楽しいしなんだか安心する。例えば日下三蔵氏とか、日下三蔵氏とか・・・

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他人の本棚を見るのは本当に面白い。そもそも読書は、その人の趣味嗜好の現れであり、当然本棚にはそれが如実に反映される。本書に登場する34人は、職業柄本をたくさん読む方もいるので、完全に趣味嗜好のみで構成されているとは限らないのだが、やはりどこかにその片鱗は見え隠れする。

いくつか気になった、圧倒された本棚を紹介したい。

まず最初に紹介されている社会経済学者・松原隆一郎氏の本棚は、螺旋階段をぐるりと取り囲むように作られている。階段脇の本棚にびっしりと並ぶ本を眺めながら、その階段を上ったり下りたりする。なんて素敵な光景だろう。多くの読書家・蔵書家が憧れる本棚の姿がそこにある。

読書家・蔵書家が憧れる本棚ということでいえば、「教皇ヒュアキントス」や「夢のウラド」の翻訳も手がけるファンタジー研究家・中野善夫氏の本棚もそうだろう。たくさんの本を抱えていて一番の悩みは経年による日焼けだ。まだ読まれていない本の背が次第に色褪せていくのは、やはり寂しい。中野氏の本棚は、日焼けを防止するための対策が施されている。扉付きの本棚。ガラス扉にはUVカットのフィルムシートが貼られている。まさに愛書家と呼ぶにふさわしい。

松原氏や中野氏のように整然と本が収納されている本棚もあれば、まさに『魔窟』と呼ぶべき本棚もある。いや、もはやそれは本棚とは言えないだろう。

ミステリー・SF研究家にしてアンソロジスト日下三蔵氏には、『日本最大級の魔窟にして秘境』とキャッチコピーがつけられている。本棚は、一応ある。しかし、そこには到底収まりきらない本が、部屋中を、いや家中を埋め尽くしている。「床に溢れている」などというレベルではない。増殖し続けた本で埋め尽くされた本によって、家中が侵食され、人間が生活する空間がないのだ。3LDKのマンションの中に、生活空間は一畳ほどしかないというから、まさに魔窟であり秘境だ。

私個人は、なかなか本を処分できない人間で、だから冒頭に書いたように家に本が溢れている。思い切って断捨離しようと思うけど、そもそも『まだ読んでない本』が蔵書の大部分を占めているので(一応読み終わった本は思い切って処分したこともある。最近はチャレンジしていない)、「これから読むかもしれない」から処分できないのだ。(その考え自体が幻想にすぎないのだけれど)

だがしかし、本書を読んで、我が家の状況はまだまだ大丈夫な方だと安心した。だって、あの魔窟に比べたら我が家はちゃんと人間が生活するスペースがあるんだもの。あぁ、良かった良かった。(ホントに?)

 

夢のウラド: F・マクラウド/W・シャープ幻想小説集

夢のウラド: F・マクラウド/W・シャープ幻想小説集

 
教皇ヒュアキントス ヴァーノン・リー幻想小説集

教皇ヒュアキントス ヴァーノン・リー幻想小説集

 

 

 

マーガレット・アトウッド/中島恵子、池村彰子訳「テント」(英光社)-著者の思索について読者に問いかけるような語り口の35篇の短篇集

 

マーガレット・アトウッドというと、やはり「侍女の物語」を思い起こす。(絶賛積ん読中)

本書は、マーガレット・アトウッドの短篇集なのだが、他の作家の短篇集とは雰囲気が異なる印象を受ける。全3部で構成される短篇集に収録されている作品は全35篇。その一篇一篇が、著者の思いを読者に投げかけるような語り口で記されている。

著者自身が考える人生の物語。自分自身を語り、飾り、探し求める物語。著者を取り巻く環境や生きていく支えの物語。

「私はこう思っているのよ」

「私はこんなことに悩んでいるのよ」

「私にはこんな場所で生きているのよ」

物語は、あるときは小説であり、あるときは詩篇であり、あるときは戯曲である。物語は、あるときはリアルであり、あるときはイマジネーションである。様々に姿を変えて語られる物語は、ときに読者の共感を呼び、ときに読者の困惑を招く。

訳者あとがきに記されるように、35の物語はアトウッドの創作に対する実験だ。様々な文体、様々な表現をつかって創作された作品は、それぞれに違う顔を見せる。それだけに、読者も様々な読み方が楽しめる。純粋にエンターテイナーとしての小説世界を楽しむのもよい。ひとつひとつの作品から、著者の思想を読み解くのもよい。創作技法、表現技法の勉強につかうのもよい。

どっぷりとはまり込めるタイプの本ではないけれど、手元にあって少しずつページを開いてみたくなるタイプの本だと感じた。

 

侍女の物語

侍女の物語

 
侍女の物語 (ハヤカワepi文庫)

侍女の物語 (ハヤカワepi文庫)

 

 

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ニール・ホール/大森一輝訳「ただの黒人であることの重み~ニール・ホール詩集」(彩流社)-「ただの黒人」というレッテルで突きつけられる差別。それはアメリカだけの問題なのか?

 

重いのは黒人とは何かを白人が決めること
「ただの黒人」とは誰かを決める、その決め方自体が
社会によって決められ、その社会は、ほとんど、白人が作る

これは、ニール・ホールの詩集「ただの黒人であることの重み」に収録された表題作の一節。この一節に衝撃を受けた。

〈差別〉とは何か。私たちの周りには差別が溢れている。人種差別、性差別、職業差別、障がい者差別、貧困が生み出す格差も差別といえるだろう。あらゆる差別が私たちの周りには存在していて、意識/無意識に関わらず、私たちは誰かを差別している。

例えば無意識にでも、「◯◯のくせに」と考えたり言葉に発したりしたことはないか、と自分に問いかけてみる。

「女のくせに」
「外国人のくせに」
障がい者のくせに」

「◯◯のくせに」という強い差別でなくても、「◯◯なのに」と考えることはある。毎年夏に行われる某チャリティ番組を見ながら「障がい者なのに頑張っている」と涙を流すのは、「同情という名の差別」にはならないか?

「ただの黒人であることの重み」は、アメリカに今なお深く強く存在する人種差別の問題を突きつける。詩篇という形で記された言葉の数々は、ただ言葉を連ねただけの文章よりも心に刺さる。そこにある言葉の奥底に、アメリカの黒人が抱えている積年の苦しみがある。

西島大介「アオザイ通信完全版#2~歴史と戦争」(双子のライオン堂)-ベトナムを描くエッセイマンガの第2巻。テーマは『歴史と戦争』です。重いテーマですが、ベトナムという国を理解する入門書になると思います。

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双子のライオン堂から全3巻で刊行される西島大介のコミックエッセイ「アオザイ通信完全版」の第2巻。今回は、ベトナムの歴史と戦争をテーマにした作品が収録されている。あと、前巻からの続きとなるロングインタビューの後編。

アオザイ通信」に描かれるベトナムの歴史は、欧米列強によるアジア植民地政策の歴史でもある。イギリス、フランス、スペイン、オランダといったヨーロッパの国々は豊富な資源の獲得と領土の拡大を目的にアジア、アフリカへと進出した。ベトナムは、19世紀後半にフランスの植民地となり、第二次世界大戦後にベトナム民主共和国として独立を宣言する。そこから、ベトナムの長い戦争の時代がはじまっていく。フランスからの独立戦争インドシナ戦争)におけるディエンビエンフーの戦いに勝利したが、ここでベトナムは南北に分断される。そして、南北ベトナムの対立にアメリカが軍事介入したことから泥沼のベトナム戦争へと突入していく。

アオザイ通信」でも、ベトナム戦争に関することが多く描かれている。ベトコンによるブービートラップのこと。若い兵士が多数参戦した戦争という特異性。ボートピープルと呼ばれた難民たち。倫理観なんて存在しない残酷な場面を切り取った報道。そういった戦争によって引き起こされる様々な悲劇や残忍さを私たちに伝えている。

もともと、ベトナム戦争を舞台にした「ディエンビエンフー」のおまけマンガとして描かれたのが「アオザイ通信」な訳で、ベトナムの歴史やベトナム戦争のことが描かれるのは必然であろう。本編の「ディエンビエンフー」では描き切れなかったベトナム戦争の事実を読者に伝えることも、著者として考えていたのかもしれない。

ロングインタビュー後編について書いておきたい。

「アオザイ通信完全版#1」に掲載されたインタビュー前編では、西島大介というマンガ家が誕生し、どのような活動を行ってきたのかが語られてきた。それもかなり話があちらこちらと脱線しながら。その脱線ぶりが面白かったのだが、その反面で「ちゃんとまとまるんだろうか?」と多少不安さも感じながら読んでいた。まあ、発散してまとまりなく終わるならそれはそれで面白いかも、などと無責任な期待もあったんだけどね。

本書に収録されているインタビュー後編では、「ディエンビエンフー」について語られている。ほぼ脱線していない。良かった、ちゃんとまとまっている(笑)

ディエンビエンフー」連載のきかっけとか、掲載誌を転々とせざるを得なかった経緯、「TRUE END」を描くことになった理由や思い描いているラストについて語っている。このロングインタビューは、西島大介という作家の大切な記録となっていると思う。私は、前後編を読んでみて、西島大介という作家の作品に対する興味が深まった。やはり「ディエンビエンフー」は読んでおきたい。(「アオザ通信完全版#1」のレビュー中で『第1巻のKindle版を入手した』と書いているが、その後第6巻まで購入した)

さて、「アオザイ通信完全版」も次の「#3」で完結する。第3号のテーマは「旅!?」とある。いやいや、その「!?」が気になるんですけど(笑)

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ディエンビエンフー(1) (アクションコミックス)

ディエンビエンフー(1) (アクションコミックス)

 
ディエンビエンフー(2) (アクションコミックス)

ディエンビエンフー(2) (アクションコミックス)

 

 

 

加藤シゲアキ「チュベローズで待ってる~Age32」(扶桑社)-祝・第8回Twitter文学賞国内編第1位!確かに組織票かもしれないけど、作品として第1位で納得できます。

 

第一部にあたる「Age22」のラストで、愛人である斉藤美津子のバックアップを受けてゲーム会社「AIDA」の最終面接に臨んだ光太は、面接官である八千草たちからの圧迫面接を乗り切り就職を果たす。しかし、就職活動を支えてくれた美津子は彼の前から永遠に姿を消した。

第二部となる本書「チュベローズで待ってる~Age32」は、第一部「Age22」から10年後を描く。「Age22」は『週刊SPA』連載だったが、「Age32」は書き下ろしだ。

「AIDA」に入社した光太は、美津子と話していたアイディアをもとに体感型のアーケードゲーム「ゴーストタウン」を企画、開発。大ヒットを飛ばして社内でも一目置かれる存在となる。光太は、「AIDA」の子会社であり、かつて就職が叶わなかった子会社「DDL」に出向し、「ゴーストタウン」のスマホ版ゲーム開発プロジェクトに関わることになる。それは、就職試験の最終面接で彼と対峙した面接官でもある八千草の差し金でもあった。

「Age22」は、金平光太という負け組の青年が〈チュベローズ〉というホストクラブで働く中で、同じホスト仲間や店の客である女性たち、彼の恋人や家族との関係を通じて人間としての強かさを身に着け、生き馬の目を抜く世界で生き抜いていくための術を得ていく成長の物語であり、青春小説であった。

「Age32」は、「Age22」のストーリーを継承しつつ、硬派なビジネス小説としての一面も有している。と同時に、妹・芽々の失踪事件や美津子の自殺の謎をめぐるパワハラ疑惑、そしてラストに待ち受ける衝撃的な事実の露見に至るまで、あらゆるエンタメ小説の要素が詰め込まれている。

ビジネス小説としては、ゲーム業界でライバル会社との対立を軸に、ゲームが子どもたちに与える悪影響や身体的リスクも交えて描かれる。ゲームをプレイした子どもたちが健康被害を訴え、そのことを問題視したNPO法人がゲーム開発会社を告発する構図は、現実にも起きている。著者がどの程度リアルで発生した事例を取材したのかは不明だが、抗議を受けて社内対策会議が開かれる様子やあらゆる手をつくして原因を追求する場面にはリアリティがある。

「Age32」の中核となるストーリーは、斉藤美津子の自殺の真相と八千草という男に秘められた謎の解明である。光太の就職を見届けた美津子は自殺という道を選ぶ光太の前から消えた。自殺の理由は会社の金を横領したことへの悔悟とされた。しかし、美津子の甥ユースケは彼女の自殺の本当の理由を知りたいと光太に迫る。本当に彼女の自殺の理由は横領事件なのか。真実はどこにあるのか。美津子と八千草の間にはどんな関係があるのか。

真実をめぐる物語は残酷だ。美津子の自殺に隠された真実。彼女が光太に託した本当の希望。そして、八千草と美津子の間にある衝撃の事実。それは、ある意味で掟破りな物語でもある。この衝撃の事実と展開は好き嫌いがはっきりと分かれると思う。エンターテインメントとして評価する読者があれば、バカミス、バカSFとして評価する、あるいは酷評する読者もあるだろう。個人的な感想としては、ラストに待ち受けていたこの展開はとても楽しめた。面白かった。

3月3日に下北沢の本屋B&Bで行われた第8回Twitter文学賞の結果発表イベントに参加してきた。国内編の第1位に選ばれたのは、加藤シゲアキ「チュベローズで待ってる」だった。本作への投票に関しては、「Age22」のレビューにも書いたようにジャニーズファンによる組織票が存在し、そのファン票をもって300票以上の票を獲得した本作が結果的に第1位になったということになる。

「チュベローズで待ってる」が第1位となったことについては、賛否が分かれることだろう。以前からTwitter文学賞を大事にしてきたファンとしては、ただただ「シゲの本だから」という理由だけで票が投じられたことに嫌悪を感じる人もいるだろう。

だけど、今回はじめて加藤シゲアキという作家の小説を読んでみて、私は本作が第1位となったことに納得できた。むしろ、組織票に頼らなくても評価されたのではないかとさえ感じた。第1位は難しいかもしれないけれど、ある程度の票は得られたのではないかと思う。国内編ベストテンに入るのは可能だったんじゃないだろうか。

加藤シゲアキは、アイドルとして影響力の高い作家である。応援してくれる多くのファンがいる。今回、彼の作品がTwitter文学賞で第1位を獲得したことをきかっけに、彼を愛する多くのファンが、彼の小説だけではなく、他の小説にも手を伸ばしてくれるといいなと思っている。

 

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チュベローズで待ってる AGE32

チュベローズで待ってる AGE32

 
チュベローズで待ってる AGE22

チュベローズで待ってる AGE22

 
傘をもたない蟻たちは

傘をもたない蟻たちは

 
ピンクとグレー (角川文庫)

ピンクとグレー (角川文庫)

 
Burn.-バーン- (角川文庫)

Burn.-バーン- (角川文庫)

 
閃光スクランブル (角川文庫)
 

 

 

加藤シゲアキ「チュベローズで待ってる~Age22」(扶桑社)-『どうせアイドルが書いた小説』というハードルを飛び越えてきた。加藤シゲアキという作家から目が離せなくなりそうです。

 

他の国内作品レビューでも書いているが、ここ数年は翻訳小説をメインに読書をしているので、国内小説は本当に数えるほどしか読めていない。

ましてや『芸能人が書いた小説』となれば、余計に手に取らなくなる。優先順位は下がる。

今回、加藤シゲアキ「チュベローズで待ってる」を読んだのは、この本が第8回Twitter文学賞の投票期間にちょっとした話題になっていたからだ。それは、ジャニーズアイドルである加藤シゲアキのファンたちが、Twitter文学賞の国内編推薦作品として本書に投票するように呼びかけたことに端を発する。Twitter文学賞事務局とファンの間でのゴタゴタがあり、そのことに加藤シゲアキ本人がブログでコメントを出す事態になった。

この一連の騒動の中で加藤シゲアキという作家に対して興味をもった。「チュベローズで待ってる」という作品を、彼のファンではない一介の本好きにすぎない自分が読んでどう感じるか確認してみたいと思った。すぐに図書館に予約を入れると一週間ほどで手元に届いた。意外とすぐに貸し出しの順番が回ってきて驚いた。

「チュベローズで待ってる」は、二部構成になっている。本書「チュベローズで待ってる~Age22」が第一部、「チュベローズで待ってる~Age32」が第二部だ。

「Age22」は、主人公の金平光太が就活に失敗して酔いつぶれている場面からはじまる。夜の新宿で自分の吐瀉物にまみれる光太の前に現れたのは、関西弁で話す青年。彼は〈雫〉と名乗り、光太を自分が所属するホストクラブ〈チュベローズ〉にスカウトする。〈光也〉という源氏名で働くことになったその店で、光太は、ホストたちから〈パパ〉と呼ばれるオーナーの水谷、同期で入店したホスト仲間の亜夢、光太が就職を希望したゲーム会社〈DDL〉の社員で光也の客となった斉藤美津子たちと出会い、様々なトラブルや人間関係に巻き込まれ翻弄されながらもホストとして上昇していく。

光太は、家庭環境にも複雑な事情を抱えている。作業中の事故で父親を亡くしていて、そのトラウマからハンバーグが食べられない。父の死後に彼と妹の芽々を育ててきた母は病弱で、金平家の生活は光太が支えている。にも関わらず、彼の就活はうまくいかない。恵という恋人がいるが、就職内定済みの彼女との関係もギクシャクしている。

物語の設定は端的に言ってしまえば相当にドロドロしている。ホストクラブという水商売が舞台であり、かつ〈チュベローズ〉はオーナーの水谷の強い影響力に支配された闇に包まれている。ホスト同士のナンバーワンをめぐる凌ぎ合いも、客の女たちとの関係性も、ドロドロでグチョグチョな世界だ。

だが、そのドロドロでグチョグチョな世界を描き出す加藤シゲアキの文章からは、逆にドライな印象を受けた。ものすごく乾いていて、ものすごく客観的なように感じた。光太の一人称視点で語られているにも関わらず、だ。

主人公の一人称で書かれているのに、主人公の内面的な葛藤も描かれているのに、読んでいてドライで客観的に感じる。そのことに「スゴイ」と思った。それって、複雑な状況に置かれた主人公が自らを客観的に観察しているということに繋がるんじゃないか? と感じたし、だからこそ、光太という主人公のナイーブでありながらもどこか冷めた人間性が立ち上がってくるのだと感じた。

物語の第一部である「Age22」は、後半へとつながる序章だ。「Age22」には「Age32」につながる様々な伏線がある。その伏線はどのように回収され、どのような結末を迎えるのだろうか。

ジーン・ウェインガーデン・文、ミカエル・S・ウィリアムソン・写真/山本やよい訳「OLD DOGS~愛しき老犬たちとの日々」(原書房)-出会いのあの日から、いつも、ずっと、君はそばにいて、変わらぬ優しい目で僕を見つめる

 

「OLD DOGS~愛しき老犬たちとの日々」は、そのタイトルにある通り老犬のみが紹介されている写真エッセイ集である。その冒頭には、こんな一文が掲載されている。

本書は老犬たちへの賛辞であり、
そのすばらしい徳を称えるものである。
登場する犬はすべて、写真を撮影した時点で、
少なくとも10歳を超えていた。
このなかで現在も生きているのはどの犬かとお尋ねなら、
われわれはこう答えよう。
みんな、ちゃんと生きている、と。
老犬よ、永遠なれ。

この本には、64匹の犬の写真と彼らのエピソードが紹介されている。そのすべてが、10歳以上のいわゆる〈老犬〉である。

序章「ハリーの思い出」に記されたハリーは、この本の著者ジーン・ウェインガーデンの飼い犬である。オスのリトリーバー犬で13歳まで生きた。

晩年のあるエピソードが微笑ましい。年をとって足もおぼつかなくなったハリーの散歩は、排泄という義務を果たすためだけのことになっていた。若い頃には興奮してはしゃぎまわっていたのに、今では周りの他の犬たちや行き交う人たちには関心を示さずトボトボと歩く。

そんなハリーだが、散歩の途中でハニーに会う時はシャキッとした。ハニーは、ハリーより年下のメスのピット・ブルだ。ハニーとハリーの様子についてはこう書かれている。

ところが、散歩の途中でハニーに会うと、ハリーはとたんにシャキッとする。ハニーはハリーより5歳若くて、はるかに元気だが、ハリーのことが好きで、一緒に歩くときは歩調をそろえてくれる。2匹で何ブロックか歩いていく。視線を前方に据え、おたがいに無関心な様子だが、一緒にいるだけで満足している。

 

年をとっても大好きな女の子の前では颯爽とした姿をみせようとするハリーとそんなハリーに合わせて歩くハニーの姿。なんと可愛らしいことか。

ハリーとハニーのエピソードのように老犬を飼っている方なら、きっと共感できるエピソードが他にもたくさん載っている。そこには、犬を飼うことの楽しみがすべて記されていると思う。

我が家にも1匹の老犬がいる。16歳になるメスのビーグルだ。本書のレビューの最後に、我が愛すべき老犬への手紙を記します。

 

気がつけばもう16年。今年の夏がくれば17歳になるんだね。そのことに驚いているよ。
てのひらに乗るくらい小さくて、コロコロと転がるように僕の後ろを追いかけていたのが、つい昨日のように思い出されます。
今は、顔もすっかり白っぽくなって、いつも気怠そうに眠っていることが多いけど、ベッドやソファにピョンと軽快に飛び乗るし、階段だって自分の足で上がれる。元気なおばあちゃんになったね。

きみと一緒に生まれた他の子犬たちは、もうみんな死んでしまったそうです。きみが一番の長生きなんだよ。そのことは自慢していいと思う。
16歳は人間の年齢でいうと80歳くらいになるんだって、じゃあ夏がきて17歳になったら? きっと90歳くらいになるんだろうね。

人間の世界では、100歳を過ぎてなお、元気に日々を過ごしているおじいさんやおばあさんが6万7千人もいるんだって。きみも人間の年齢で100歳以上、18歳、19歳、いやいや20歳まで生きてくれないかな。
きみが、これからも元気でいつまでも長生きしてくれることを、僕は心から願っています。

また明日も散歩に行こうね!