タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

高見のっぽ「夕暮れもとぼけて見れば朝まだき~ノッポさん自伝」(岩波書店)-〈ノッポさん〉と聞いて懐かしく感じる人はどのくらいいるのでしょうか?私にとってノッポさんは憧れの人でした。

 

♪でっきるかな でっきるかな~

この軽快なメロディを懐かしく感じる人は、おそらくアラフォー、アラフィフと呼ばれる世代になっているのではないだろうか。1970年から1990年までNHK教育テレビ(現在のEテレ)で放送されていた「できるかな」は、チューリップハットをかぶった背の高い言葉を発しないお兄さんノッポさんと「ウホウホ」だか「フガフガ」だかいう鳴き声のような声を発する着ぐるみキャラゴン太くんの無言劇に、天の声の〈おねえさん〉が合いの手を入れながら進行する子ども向けの番組で、毎回ノッポさんが器用に作る工作が子どもたちの人気だった。

「できるかな」でノッポさんを演じていたのが、本書の著者・高見のっぽさんである。本名は高見嘉明。以前の芸名は高見映だった。1934年生まれということなので、今年(2018年)で84歳になる。そうかぁ、ノッポさんも八十代なんだなぁ。

本書は、ノッポさん(芸名はひらがなだけど、馴染み深いのでカタカタで書く)が自らの生い立ち、芸人としての思い出やテレビ業界で経験した出来事を綴った自伝である。堅苦しい内容ではなく、ノッポさんらしい飄々として軽快なエッセイ風の文章で記されている。

ノッポさんは、京都の役者長屋で生まれた。父の嘉一は〈松旭斎天秀〉という芸名でマジシャンをしていたり、〈チャーリー高見〉という芸名でチャップリンの物真似をしたり、また違う芸名でチョイ役の俳優をやったりと芸の世界でいろいろとやってきた人物だったそうだ。その父と母のキンとの間に末っ子として生まれたのが高見嘉明、後のノッポさんなのである。

両親はノッポさんを可愛がって育てた。チャーリー高見の鞄持ちとして芸人の世界に入ったノッポさんを、チャーリーは積極的に後押しした。ノッポさんのご両親は、ノッポさんの一番のファンなのだ。ノッポさんが、さまざまな経験や失敗を繰り返し、ときに自分の芸人としての能力に悩んだりしながらも長く活動を続けてこられたのは、こうしたご家族の愛情があったからだと思う。

私にとってノッポさんは、「できるかな」でみるノッポさんだ。それは今も変わらない。〈ノッポさん〉と言われれば、冒頭に書いた軽快なメロディが思い浮かぶくらいだ。それが、この本を読んで、ノッポさんがただの〈ノッポさん〉ではないと教えられた。作詞家としての顔、放送作家としての顔、芸人としての顔、エンターテイナーとしての顔。ノッポさんは、本当に多彩な人なのだと知った。

たとえば、現在でも「ポンキッキーズ」として放送されている「ひらけ!ポンキッキ」は、ノッポさん(当時は高見映さん)が構成作家として参加していたという。また、東京ディズニーランドが開園する前年の1982年大晦日に、まだオープン前のディズニーランドを舞台に民放の「ゆく年くる年」が制作されたときの構成台本を書いたのもノッポさんなのだ。

それでも、やっぱり私にとってはノッポさんは〈ノッポさん〉である。80歳を過ぎてもあの頃のイメージを保ったまま、私たちにユーモアを届けてくれる存在であるノッポさんは、憧れの存在である。ノッポさんは永遠の〈ノッポさんだ。

ユージーン・トリザビス文、ヘレン・オクセンバリー絵/こだまともこ訳「3びきのかわいいオオカミ」(冨山房)-かわいいオオカミと悪いおおブタ。みんなが知ってる「3びきのこぶた」とはひと味違う面白さとスケール感

 

その日、いつものように仕事のかたわらにツイッターのタイムラインをながめていました。いえいえ、さぼってなんていませんよ。ちょっとした息抜きです。

しばらくいろいろな方のツイートをながめていたら、とあるツイートに目が止まりました。そこには写真付きである絵本の紹介が書かれていました。絵本のタイトルは「3びきのかわいいオオカミ」とありました。

「ん?『3びきのこぶた』じゃなくて『3びきのオオカミ』?」

なんとなくおもしろそうな作品の予感がしました。そこでさっそく地元の図書館に蔵書がないか検索してみたところ、ありました。すぐに予約しました。すぐに借りることができました。

さて、この作品のレビューに入る前に「3びきのこぶた」のお話をおさらいしてみましょう。とても有名で、ほとんどの人がこどものころに読んだことがあると思いますし、今でも現役でこどもたちに読み聞かせされている作品だと思います。

3びきのこぶたは、それぞれにわらの家、木の家、れんがの家を作ります。そこにオオカミがやってきて、まずわらの家を吹き飛ばしてしまいます。次にオオカミは、木の家に体当りして破壊します。さいごに、オオカミはれんがの家も壊そうとしますが、ぎゃくにこらしめられ、さんびきのこぶたはれんがの家で仲良く暮らしました。

 

ざっくりいうとこういう話です。

では、こちらの「3びきのかわいいオオカミ」はどういうお話なのでしょうか。

3びきのオオカミは、おかあさんの「広い世界に出ていきなさい。悪いおおブタには気をつけるのよ」という言葉にしたがって、3びきで家を作ることにします。最初につくったのはれんがの家です。すると、悪いおおブタがオオカミたちの家にやってきます。「なかに入れろ」と騒ぐおおブタは、ハンマーを振り回してれんがの家を破壊します。逃げ出したオオカミは、次にコンクリートで家をつくりますが、これもでんきドリルを持ち出したおおブタによって破壊されてしまいます。どうにか逃げ出したオオカミは、今度は鉄骨と鉄板で家をつくります。これならもう壊されることはないだろうと安心していましたが、そこは悪いおおブタです。なんとダイナマイトをオオカミの家を爆破するのです。

「3びきのこぶた」と比べるとなんとスケールの大きい話です。というか、悪いおおブタの悪さ加減がハンパないですね。

さて、鉄の家すら破壊されたオオカミたち、さいごは発想をガラッと変えて家をつくります。なにをつかって家をつくったのか。そして、オオカミと悪いおおブタの物語はどのような結末を迎えるのか。それはここでは書かないことにします。

リチャード・プラット文、クリス・リデル絵/長友恵子訳「海賊日誌~少年ジェイク、帆船に乗る」(岩波書店)-さあ、少年よ!いざ冒険の海へ!

 

昨年(2017年)書評コミュニティサイト「本が好き!」で開催された「やまねこ20周年記念読書会」をきっかけに〈やまねこ翻訳クラブ〉メンバーの訳書をいくつか手に取ってきた。その中には、「なぜカツラは大きくなったのか?-髪型の歴史えほん」(宮坂宏美訳)や「中世の城日誌~少年トビアス、小姓になる」(長友恵子訳)のようにレビュアーからの投稿が相次ぎ、「カツラまつり」「城まつり」といわれるほどに盛り上がった作品もあった。

本書「海賊日誌~少年ジェイク、帆船に乗る」は、そのタイトルからもおわかりのように「中世の城日誌~少年トビアス、小姓になる」の姉妹編のような作品だ。リチャード・プラット文、クリス・リデル絵という組み合わせも同じ。翻訳も同じく長友恵子さんとなっている。

「中世の城日誌」と同様、本書も少年の日誌の形で物語が展開する。

1716年9月23日。イギリスの植民地であったアメリカはノースカロライナ州にあるホリオーク村に住む少年ジェイク・カーペンターは、ウィルおじさんとともに船にのることになる。ちょっとした手違いはあったもののグレイハウンド号に職を得ることができたふたりは、他の乗組員たちとともにマルティニーク島に向けた航海へと旅立つ。長い航海の中で、ジェイクは大工見習いとしてアダムの手伝いをすることになる。アブラハムというコック見習いの友人もできた。

航海の中でジェイクは様々なことを体験する。その中には楽しいことも、残酷なこともある。船の上では船長の命令は絶対だ。グレイハウンド号の船長ニックは独裁的な残酷な男で、ときに船員に理不尽な罰を与えたりする。

途中、海賊の襲撃を受けて船が乗っ取られ(船長は囚われの身となり哀れな末路をたどる。彼の人徳のなさからすれば仕方ない)、グレイハウンド号自体が海賊船となる。こうしてジェイクは、様々な経験を積み、船乗りとして成長をしていくのである。

「中世の城日誌」が、少年トビアスの成長を通じて、中世の城事情を時代背景や城での仕事、人々の役割を通してわかりやすく解説する知識教養絵本であるのと同様、「海賊日誌」もまだアメリカがイギリスの植民地であった18世紀初頭の時代を背景にして、船乗りたちが船の上でどういう生活をしていたのか、どんな仕事があったのか、船長がどれだけの権力を有していたのかなど当時の船事情をわかりやすく解説している。「中世の城日誌」にあった城の構造や名称を解説するページは本書にもあって、グレイハウンド号の内部構造を解説するページがある。船の各部の名称や中がどういう構造になっているかなどわかりやすく図示されていて勉強になる。

訳者の長友さんは、「中世の城日誌」を翻訳するときに様々な文献をあたり、ずいぶんと苦労をして翻訳されたそうだ。きっと本書「海賊日誌」の翻訳でも苦労をされただろうと思う。そうした翻訳者の苦労があって、私たちは外国の本を読むことができる。翻訳者の仕事には本当に感謝である。

 

s-taka130922.hatenablog.com

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なぜカツラは大きくなったのか?―髪型の歴史えほん

なぜカツラは大きくなったのか?―髪型の歴史えほん

 
中世の城日誌―少年トビアス、小姓になる (大型絵本)

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ロバート・ゴダード/北田絵里子訳「謀略の都(上下巻)」(講談社)-『1919年三部作』の幕開け。父の不審死の謎を追うマックスに立ちふさがる国際的な謀略の影とは?

 

ロバート・ゴダードの作品を手にするのは、デビュー作「千尋の闇」を読んで以来で、およそ20年ぶりである。今回、『はじめての海外文学vol.3』の推薦本に本書「謀略の都」(推薦者は山本やよいさん)があったので、久しぶりにゴダード作品を読んでみた。

「謀略の都」は、『1919年三部作』の幕開けとなる作品だ。この三部作は以後「灰色の密命」、「宿命の地」と続いていく。

1919年春。英国陸軍航空隊(RFC)の元パイロットであるジェイムズ・マクステッド(通称マックス)は、フランス・パリで父のヘンリーが亡くなったとの連絡を受ける。ヘンリーは、第一次世界大戦終結後のパリ講和会議にイギリス代表団の相談役として参加していた。そのヘンリーが、滞在中のパリで、しかも戦争寡婦であるコリーヌ・ドンブルーのアパートメントで転落死したというのだ。ヘンリーの死は、事故死として処理されようとしていた。マックスの兄アシュリーも事故死として処理されることを望んだ。だが、マックスはヘンリーの死が事故であったとは思えず、ひとりパリに残って調査を開始する。ヘンリーの知人たちを訪ね、彼がパリで何をしようとしていたのかを探るうちに、そこに国際的な諜報活動のキーとなる人物が関連していることがわかる。そして、その秘密を探ることでマックス自身も国際的な謀略の渦中に巻き込まれていくことになる。

三部作の幕開けとなる本書は、1919年1月のパリ講和会議に関わった代表団の思惑とその影でうごめく国際的な諜報戦の中で、自国の利益、個人の利益、思惑を巡る複雑な関係性の中で父親の不審死の謎を解明しようとするマックスの姿を描き出す。マックスが求めるのは、父の死の真相のみだ。しかし、ヘンリーが関わっていた取引の存在が、マックスを否が応でも謀略の渦中に引きずり込んでいく。マックスと彼の相棒であるサム・トゥエンティマンは、時に命を狙われ、時に危険な状況に陥り、時に懐柔の誘惑に晒される。彼らは幾多の困難を乗り越え、多くの人々の協力とサポートを受け、事件の真相に近づいていく。

文庫とはいえ上下巻の長編は、読み始めるまでは「ちょっと長いのでは?」と思っていた。実際に読み始めてみると、次々と展開するストーリーに惹きつけられ、下巻に入ってからは一気に読み進めてしまった。特に、ヘンリーの死の真相が判明し、彼が接触を試みていたフリッツ・レンマー、ロシアからの亡命者で事件の鍵を握るナディア・ブカエフ、アラブ人の少年ル・サンジュといった人物たちがマックスの導線上に交錯し、収斂されていくラストの場面は、三部作の今後を大いに期待させる。

こうなったら『1919年三部作』を最後まで読み通さねばならない。また読みたい本のリストが増えてしまった。

 

宿命の地(上) 1919年三部作 3 (講談社文庫)

宿命の地(上) 1919年三部作 3 (講談社文庫)

 
宿命の地(下) 1919年三部作 3 (講談社文庫)

宿命の地(下) 1919年三部作 3 (講談社文庫)

 
千尋の闇〈上〉 (創元推理文庫)

千尋の闇〈上〉 (創元推理文庫)

 
千尋の闇〈下〉 (創元推理文庫)

千尋の闇〈下〉 (創元推理文庫)

 

 

フランチェスカ・リア・ブロック/黒木三世訳「妖精たちの愛とセックス」(角川書店)-「ひかりのあめ」、「“少女神”第9号」に続くリア・ブロック読書3作目。本作は、リア・ブロックがはじめて大人向けに書いた物語です。

 

昨年(2017年)その存在を知り、「ひかりのあめ」、「“少女神”第9号」と読んできて、物語の面白さと文章の美しさに魅了された作家フランチェスカ・リア・ブロックを少しずつ読んでいる。本書はリア・ブロック読書3作目。フランチェスカ・リア・ブロックがはじめて大人向けに書いたという短編集だ。

〈大人のために描いたベッドタイムストーリー〉とあるように、9篇の短編にはそれぞれに官能的な性愛が描かれる。セックス描写は、陳腐で生々しくなってしまうと一気に低俗なポルノ小説に成り下がってしまうものだが、リア・ブロックが描くセックスは、生々しさも含みつつ美しさを感じさせる。たとえば、冒頭に収録されている「海」という短編。主人公のトムが車椅子の少女メールと愛を交わす場面の描写はこうだ。

(略)緊張したトムの手にメールは手を絡めると、その手を胸に押しつけた。豊かでなめらかなふくらみに触れて、電気的なショックがトムを貫く。乳房はやわらかく、重く、興奮にうずいている。彼の指がその乳首に触れると、彼女は頭をのけぞらせて荒々しくうめいた。全身を痙攣させながら、彼女はトムの顔をやさしく左の乳房に押しつける。トムの舌が乳首を舐めまわすと、その身体はなおいっそう激しくもだえた。さらに強く身体を押しつけながら、彼女は大きく開けた口を彼の首筋に押しあてて、強く吸いついた。トムの呼吸はきれぎれになり、心臓は、水に溺れるときのように動悸を打った。荒々しくむきだした、日に焼けた胸に彼女が唇を這わせると、彼のコックは巨大にいきり立ち、海水をいっぱいにたくわえた。

「妖精たちの愛とセックス」は、ただ美しく官能的にセックスを描いているだけではない。9つの短編に描かれる登場人物たちの物語があったうえで、彼、彼女たちの抱える様々な物語と性愛が密接に絡み合うことで人間模様が描かれているのだと感じる。また、9つの短編はそれぞれに繋がっている。それぞれの短編は独立した物語として読めるが、登場人物が共通していたり、人物同士の関係性が描かれていたりしていて、全編を通じた大きな物語として読むことができる。

これで3作のリア・ブロック作品を読んできたことになる。YA小説、大人向け小説の区分には関係なく、リア・ブロックが描き出す物語は、その美しい描写と時代性を的確に取り込んだストーリー性が印象的だと、読むたびに感じる。日本では忘れられた作家になってしまっているが、こんな面白い作家がいるんだということは、これからもいろいろなところで宣伝していきたいと思う。

 

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門井慶喜「銀河鉄道の父」(講談社)-第158回直木賞受賞作。宮沢賢治の父の視点から描く家族の物語

 

風の又三郎」や「銀河鉄道の夜」など、数多くの作品を残した作家・宮沢賢治。彼は、現在の岩手県花巻市で生まれた。父は宮沢政次郎、母はイチ。賢治は宮沢家の長男である。

門井慶喜銀河鉄道の父」は、賢治の父である政次郎の側から見た賢治や彼の弟妹たちを描いている。第158回直木賞を受賞した。

仕事で京都を訪れていた宮沢政次郎は、岩手からの電報を受け取る。そこには、長男の誕生を知らせる『ヲトコウマレタタマノゴトシ』の文字があった。質屋を営む政次郎にとっては、跡取りとなる男子の誕生である。賢治と名付けられたその子は、利発な子として成長し、息子の成長に政次郎も父として惜しみない愛情を注ぐ。賢治は、宮沢家の大事な跡取りだ。長男として厳しく育てなければならぬ。ときに強く叱ることもある。礼儀作法も正しく身につけさせなければならぬ。

ただ、政次郎は父としてはまことに不器用な男だ。赤痢に罹った賢治をつきっきりで看病する。赤痢は伝染病だ。患者の面倒は医者や看護婦の仕事なのだ。それを無理強いして政次郎は病室に泊まり込む。その結果、賢治は回復して退院したものの、政次郎は腸カタルを患うこととなり、以後夏は粥しか受け付けない身体になってしまう。

そんな政次郎に父の喜助は「お前は、父でありすぎる」と言う。それほどに、政次郎は賢治を溺愛する。甘やかすわけではない。だけど、自然と賢治のためにということばかりを考えてしまう。

描かれているのは、政次郎の不器用な愛情であり、その愛情に甘える賢治の姿だ。喜助から「質屋に学問はいらない」と言われ、政次郎は小学校を出てすぐに店に入った。当然、跡取りである賢治も進学はさせず店に入れるはずだった。でも、政次郎は賢治に盛岡中学への進学を許し、その後も事あるごとに賢治の願いを聞き入れ、息子の生活を援助し続ける。そして、賢治は、父でありすぎる政次郎の愛情に甘え続けるのである。

息子に愛情を注ぎ続ける父親と、父親の愛情に甘え続ける息子。それは、とても自然な親子関係のように私には思えた。親が子に愛情を注ぐのは当たり前のことだ。もちろん、なんら分別もなく溺愛するような注ぎ方は間違っている。子どもの将来を見据え、キチンと正しい方向に導きながら、そのうえで与えられる愛情は与え続ける。宮沢賢治にとって、宮沢政次郎という父親はそういう存在であったに違いない。質屋の儲けがあって金銭的には余裕のある宮沢家には、賢治という人間を育てるだけの度量があったともいえる。政次郎の愛情と経済的支援があったからこそ、賢治は自分の好きなことに打ち込み続けることができた。後世まで高く評価されることになる作家・宮沢賢治を産み育てたのは、政次郎の、父でありすぎたがゆえの功績なのかもしれない。本書に描かれたエピソードがどこまでリアルかはわからないが、そんなことを考えたくなる小説だった。

 

今村昌弘「屍人荘の殺人」(東京創元社)-2017年の各種ミステリランキングで高評価ということで久しぶりに本格ミステリを読んでみたよ。

 

毎年年末になるとミステリに関する年間ベストが発表される。「このミステリーがすごい!」、「本格ミステリベスト10」、「週刊文春ミステリーベスト10」などがあって、これを参考にして年末年始の読書計画を立てる読書もいる。

本書は、上にあげた3つのミステリベスト10のすべてで第1位を獲得したという作品である。しかも、この作品が著者にとってのデビュー作なのだという。これだけ高い評価を得ている作品とはどういう作品なのか。本格ミステリはほとんど読まないながら、気になる作品ということで今回読んでみた。

本書の内容については、カバー折り返しにある紹介文をあげておく。

神紅大学ミステリ愛好会の葉村譲と会長の明智恭介は、いわくつきの映画研究会の夏合宿に参加するため、同じ大学の探偵少女、剣崎比留子と共にペンション紫湛荘を訪ねた。合宿一日目の夜、映研のメンバーたちと肝試しに出かけるが、想像しえなかった事態に遭遇し紫湛荘に立て籠もりを余儀なくされる。
緊張と混乱の一夜が明け――。部員の一人が密室で惨殺死体となって発見される。しかしそれは連続殺人の幕開けに過ぎなかった……!! 究極の絶望の淵で、葉村は、明智は、そして比留子は、生き残り、謎を解き明かせるか?!

ミステリ愛好家にして素人探偵である大学生たちが、他の学生たちとペンションに泊まる。すると、そこである前代未聞のトラブルに遭遇し、彼らが意図しない中でペンションに閉じ込められ、外部との通信も遮断されてしまう。その閉塞された中で、今度は残虐な殺人事件が発生する。外からの侵入は不可能な状況から、犯人は閉じ込められたメンバーの中にいることになる。素人探偵たちは、閉ざされた中で事件の捜査を行う。

以下、がっつりネタバレしています。これから本書をお読みになるという方は絶対に読まないでください!

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