ガタガタ書評ブログ

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

キム・ヨンハ/吉川凪訳「殺人者の記憶法」(クオン)−失われゆく記憶。連続する殺人事件。過去の自分と現在(いま)の自分。その語りは騙りなのか?

獣医師である“俺(キム・ビョンス)”の裏の顔は、残忍な連続殺人犯だった。一人娘のウニと表向きは平穏に暮らしているが、冷酷な殺人鬼としての過去があった。

キム・ヨンハ「殺人者の記憶法」は、キム・ビョンスという殺人者の独白で語られる物語だ。それは、殺人者による罪の告白ではない。彼の語りは、真実を語っているとは限らないからだ。それは、意図的な騙りなのか。または、失われゆく記憶、壊れゆく脳が彼にみせた幻想なのか。読者は、常にその真実性を疑いながら、この本を読み進めることになる。

キム・ビョンスは、アルツハイマー認知症だ。彼の記憶は日々確実に失われていく。今食べたものを忘れる。自分の家を忘れる。たったいま起きたことが記憶として残らない。だけど、遠い過去の出来事は鮮明に覚えている。自分がかつて殺してきた人々のことも。

記憶の回路が壊れゆく中で、連続殺人事件が発生する。彼は思う。「事件を起こしたの俺なのか?」と。そんなとき、彼は車を運転していて軽い追突事故を起こす。彼に追突された四輪駆動車の運転手は、車に乗ったまま降りてこない。どうにか、パク・ジュテというその運転手と連絡先を交換した彼は、四輪駆動車のトランクから血が滴っているのをみつける。

連続殺人事件の犯人は、キム・ビョンスなのか、それともパク・ジュテなのか。容疑者のひとりが物語の語り部となっていることで、読者はそこに書かれていることを常に疑わなければならない。だからといって、ここに書かれていることがすべてキム・ビョンスによる騙りであり、信用ならないのかと考えると、彼が抱えるアルツハイマーという病気の存在がクローズアップされ、“嘘”は書かれていないが“真実”であるとも限らない、というモヤモヤした考えにとらわれてしまう。

真正面から「この語り部は信用できない」と断言できないところに、この物語の面白さがある。どこまでが真実なのか。どこが嘘なのか。どこに記憶の混乱があるのか。かつて、何人もの人たちを冷酷かつ残忍に殺してきたキム・ビョンスが、新たな連続殺人事件の犯人でもあるのか。それとも、パク・ジュテこそが連続殺人事件の犯人なのか。

キム・ビョンスの中では、連続殺人事件の犯人はパク・ジュテだという疑念が強まっていく。やがて、一人娘ウニの恋人としてパク・ジュテはキム・ビョンスの前に現れる。娘の恋人が連続殺人事件の犯人だと気づいたとき、キム・ビョンスは娘を守るためにパク・ジュテを殺す計画をたてる。そして、物語はラストシーンを迎える。

ラストまで読み終えたとき、私はただ困惑した。そこには、それまで積み上げてきた物語に対するひとつのイメージがガラリと壊される真実が記されている。それはまさに“真実”だ。そして、その真実が示されたことで、読者はこの物語のすべてに対して困惑するのだ。自分が今まで読んできた殺人者の記憶が、もしかするとすべて彼の病が引き起こした妄想なのではなかったのかと不安になるのだ。

本書は、第四回日本翻訳大賞を受賞した。それは真実である。