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ガタガタ書評ブログ

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

本書に収録されたメッセージに対して、私は返す言葉を見つけられない-ヤスミンコ・ハリロビッチ編著「ぼくたちは戦場で育った~サラエボ1992-1995」

今年(2015年)の世相を表す漢字は《安》に決まったというニュースがあった。

今年の漢字が《安》に決まったことを受けて、安倍首相が自分の名前の漢字が選ばれたことを嬉しそうに語り、今年自分が執念の末に強行採決で決定した安全保障法案の意義を誇らしげに語っている姿がニュース映像で一斉に報道されたのだが、その姿を見て違和感を感じていた。

今年の漢字に《安》が選ばれたのは、安倍首相とはまったく関係がない訳ではない。だが、それは良い評価としてではない。むしろ、悪い意味である。なぜなら、多くの人が今年の漢字《安》で感じたことは、「将来に対する不《安》」であり、「不《安》定な生活への不《安》」であり、「戦争への不《安》」だから。「《安》心」、「《安》全」、「《安》定」という明るい面を感じた人は、ほとんどいなかったのではないだろうか。

ぼくたちは戦場で育った サラエボ1992─1995

ぼくたちは戦場で育った サラエボ1992─1995

 

日本は、1945年の終戦以降70年間にわたって戦争、紛争を直接経験することなく過ごしてきた。これは、世界に誇るべき事実だと思う。その間、世界では今に至るまで戦争、紛争が絶えることなく続いている。

本書「ぼくたちは戦場で育った」は、1990年代初頭に東欧のユーゴスラビアで起きた民族間紛争の中でも、もっとも悲劇的な戦闘となった1992年から1995年のサラエボ包囲戦を経験した当時の子どもたちが、成長し大人になってから当時を振り返って語った言葉を集めた記録である。

編著者のヤスミンコ・ハリロビッチは、1988年にサラエボで生まれ幼いころにサラエボ包囲戦を経験した。彼は、紛争終結後15年が過ぎた2010年になって、あの悲劇的な時代を生きた子どもたちの証言をインターネット上で集める活動を始める。それは、彼自身も経験した紛争を正しく記録として残すべきと考えたからだった。

彼の呼びかけに、世界中から1500以上のメッセージが寄せられ、その中から約1000のメッセージを収録したのが本書である。

私にとって、ユーゴスラビア紛争は遠いヨーロッパの遠い出来事でしかなく、その内容もあまりよくわかっていない。今回、本書を読む中でユーゴスラビア紛争、あるいはサラエボ包囲戦とはどういう戦いであったのか、どのような悲劇が起きたのかをインターネットで検索してみた。

中でも、サラエボ包囲戦については衝撃だった。1992年から1995年にかけて続いた包囲戦では、街を歩く一般市民を兵士が無差別に狙撃した。市民は常に命がけで、狙撃が行われた市街地は《スナイパーストリート》と呼ばれたという。

とても想像できる状況ではない。例えて言えば、東京の銀座通りを歩いているだけで、ビルの屋上や高層階に陣取ったスナイパーから無差別に狙撃され、命を落とす危険に常時さらされる日々をすごさなければならないのだ。そんな非人道的で非現実的なことがあるだろうか?

世界中から寄せられ、本書に収録されたメッセージのいくつかを紹介しておきたい。

戦争中に子どもでいるっていうのは、つまり、学校に好きな子がいて、その子が迫撃弾で殺されるってことだよ。

おぼえていること。
「ママが死んだよ」とパパが言った夜。
それから、
「きみのパパが死んだよ」と言う言葉。
戦争の馬鹿野郎。

どうしても克服できない、トラウマであり、消えることない恐怖心。

どこかの馬鹿のせいで失われた4年間……

大人になるまでのいちばんいい時期を、恐怖、避難、嘆き、不幸、ときに空腹のなかで過ごした。

スナイパーがねらっている通りを、友だちが走って渡ろうとしてたんだ。
母親は髪を逆立てて見守っている。
それを見ている2人の男が、賭けをしていたんだ。
彼が生き残れるかどうか。

子どもなんかでいられなかった。
地獄だった……ぼくは子どもたちがどんなふうに死んでいったかを見たんだ。