タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

「嘘つきのための辞書」エリー・ウィリアムズ/三辺律子訳/河出書房新社-この本を翻訳してくださった三辺さんに心からの感謝と拍手を!



 

 

辞書というのは、なによりも正しくなければならない書物というのが、私の認識です。そうですよね、言葉の意味や正しい使い方を調べるために辞書を引いたのに、そこに書かれている事が間違っていたら大変なことになります。ましてや、実在しない言葉が辞書に掲載されていたら、それはもうその辞書の信頼性を大きく損なうことになります。

ですが、エリー・ウィリアムズ「嘘つきのための辞書」に登場する『スワンズビー新百科辞書』には、実在しない言葉、マウントウィーゼルが紛れ込んでいます。“マウントウィーゼル”とは、辞書に故意に挿入された架空の言葉、項目のことです。正しくあるべき辞書になぜそのようなフェイクワードが含まれるのか。作中人物のデイヴィッドが詳しく説明しています。(「Gは幽霊のG」を参照)

(長いので前略)
しかし、辞書によっては、わざと架空の語や意味を「捏造」して「広める」場合がある。自分たちのコンテンツを守るためだ。フェイクの項目を挿入するという違反行為が、反・違反行為のための仕掛けになるわけだ。

つまり、パクり防止のためにわざとフェイクワードを紛れ込ませておいて、丸写しされてもすぐにバレるように仕掛けておくのが“マウントウィーゼル”ということなのです。感覚的に理解し難い理屈ですが、実際に1975年に『新コロンビア百科事典』に掲載された「リリアン・ヴァージニア・マウントウィーゼル」という架空の人物に関するフェイク項目があり、それがマウントウィーゼルという言葉の由来になっているとのこと。

「嘘つきのための辞書」は、現代のスワンズビー社でインターンとして働くマロリーと19世紀末のスワンズビー社で辞書編纂者として働くウィンスワースの物語が、「Aは技巧的のA」に始まり「ZはツークツワンクのZ」で終わる26章で交互に描かれます。マロリーとウィンスワースの間には、およそ100年の時間の隔たりがあり、当然ながら両者が直接関わることはありません。ふたりをつなぐのは辞書に紛れ込んだマウントウィーゼルだけ。ウィンスワースは、その身に降りかかる日々のストレスを、辞書にひっそりとマウントウィーゼルを紛れ込ませることで晴らし、現代のマロリーはマウントウィーゼルを探して取り除く作業に従事する中で、恋人との関係や仕事への不安や不満を抱え込んでいます。ウィンスワースにはウィンスワースの、マロリーにはマロリーの、それぞれに複雑であったり神妙であったりする物語があります。それぞれに人間関係や恋愛関係の悩み、仕事に対する不安や不満といった葛藤を抱えていて、100年の時を経ても変わらないところもあれば、時代に応じて変化しているところもあったりします。そのあたりのバランスも面白いところです。

小説としての面白さは間違いがありません。ですが、それ以上に読んでいて感じたことがあります。それはズバリ、

「これ、翻訳するのメチャメチャ大変だっただろうな」

ということです。いやもう、私には絶対翻訳できません(そもそも英語ができないのですが)。作中に登場するマウントウィーゼルをどうやって日本語にするのか。ただ日本語にするだけでなく小説としての面白さも維持しないといけない。一般的な、という言い方は適切ではないかもしれませんが、他の小説を翻訳する場合とは全然違うストレスやプレッシャーがありそうに思います。訳者の三辺律子さんはあとがきの中で、「今回、結局翻訳は三バージョン作ることになった」と書いていて、最終的な形になるまでにたくさんの苦労を重ねられたのだと思います。あとがきのニュアンスだと楽しんで翻訳に取り組んだようにも感じられるますので、翻訳者としてはやりがいのある仕事だったのかなとも思います。読者としては、そういった翻訳者のおかげでこのような面白い海外文学を読めることに感謝しかありません。